第18話

 四季島国の北の地方、四季北に着いて多希が抱いた印象は、結界が薄い、だった。多希以外の人は気づいていないようだ。人口の違いだろうか。住人が少ないから、結界の必要性が叫ばれないのかもしれない。あるいは、結界や維持装置にかけられる予算が少ないか。考えても仕方ないが、ハナミネコに対抗できる人を同行させたい気持ちに共感したくなった。

 岩巻いわまき駅で新幹線を降り、公用車で県庁に向かう。多希は橘子の車椅子を押す以外に立ち会うことができず、県知事との挨拶の様子はわからなかった。奈直も立ち会えず、ふたりとも緊急事態のときだけ駆けつけることを許可された。

 昼の食事会は滞りなく行われたようで、午後は式典とイベントの会場に移動した。護岸整備がなされ、海が見える大きな公園である。

「奈直くん?」

 多希が、ふと奈直を見ると、奈直は口元を押さえて真っ青な顔をしていた。

「だいじょぶ、です……大丈夫に、します」

「駄目です。休みましょう」

 迂闊うかつだった。多希は自分の鈍さを罵りたくて仕方ない。

 岩巻は、十余年前の震災で大きな被害を受けている。今回の式典とイベントは、復興支援の一環だ。震災の時期は、奈直の少年期と重なる。奈直が何らかの心的外傷を抱えていてもおかしくない。

「……俺を、被災地の王子様にしないで下さい」

「王子様なんて、誰も言ってねえですけど」

「……ちっ」

 軽口を叩き合い、奈直は儚げに微笑んだ。

「奈直くん」

 SPに警護され、車椅子で待機する橘子が、奈直に声をかけた。

「ごめんなさい。あなたのことは事前に知っていたはずなのに、配慮が足らなかったわ」

「……そんなこと、ないです。俺が志願したんですから」

「奈直くんは休みなさい。車の中でゆっくりしてほしいところだけど、何かあったときのためにステージ脇の救護用テントに居てちょうだい。多希くん、付き添ってあげて」

「承知したいところですが、橘子さんの車椅子を」

「そのくらいなら、私もやります。練習してきました」

「愛美さん、ありがとう。わたくしの補助をしてくれる人は他にもいるけれど、奈直くんの対応ができるのは看護師の多希くんなのよ。だから、お願い。大切な介護士をお願いします」

 橘子に頭を下げられてしまい、多希は断れなくなってしまった。

 奈直の肩を支えて救護用テントに向かい、簡易ベッドに寝かせようとしたら暴れられ、パイプ椅子に座らせる。

「……大丈夫にするって言ったのに」

「バイタルを測りましょうね」

 口を尖らせる奈直は女子ウケが良さそうだが、多希は気づかないふりをして、訪問看護が使うキットを開けた。体温計も血圧計も入っている。

「体温計、入れて下さい」

「……どこに……?」

「脇だよ! 他にどこに入れるんですか!」

 警護に着いてきた史人が、こらえきれずに噴き出した。近くのボランティアスタッフも、笑っている。

「……やだ、脱がせないで」

「だったら、自分で脱ぎなさい」

「セクハラ!」

「史人くん、奈直を取り押さえてもらっても良いですか?」

 史人に奈直を羽交い締めにしてもらい、多希は奈直のワイシャツとインナーの裾を引っ張り出してまくり上げた。鍛え上げられた腹筋があらわになり、美青年のギャップに多希は一瞬固まってしまった。

「変態!」

「はい、体温計入れますからね!」

「どこに! 何を!」

 おそろいのウインドブレーカーを着たボランティアスタッフ達が、爆笑している。

「ちょっと、多希くん……誘発しないで」

 大変だ。史人が呼吸困難を起こしそうだ。

 ステージではすっかり式典が進行しており、愛美に車椅子を押してもらって橘子が登壇していた。挨拶が終わり、拍手が起こるが、すぐにざわつきに変わった。

「サプライズゲストの登場です! 東都から駆けつけてくれました! 国会議員の荻野おぎの保希やすき先生です!」

 司会の声が耳に入り、多希は全身が粟立った。寝耳に水だ。サプライズで登壇した男は、多希がよく知る人物である。

「多希くん、あの人」

「しっ!」

 多希は、史人に口止めした。

 荻野保希氏が、マイクを借りて何か話し始める。やめろ、聞きたくない。聞かせたくない。あの声を奈直が聞いたら、あのときの男だと気づいてしまうかもしれない。

 多希は両手を奈直の耳に当てた。

「何するんですか!」

 当然、奈直は暴れる。

「エロボは体に毒です!」

「声優さんのエロボに慣れているから大丈夫です」

「あいつの半径1キロに入ったら、老若男女妊娠しますよ!」

「老若男女骨粗鬆症!」

「ニャンコ子ニャンコ孫ニャンコ!」

「ふたりとも、落ち着いて! 滑舌良いけど脈絡なくなってるし!」

 騒いでいるうちに、体温計を落としてしまった。近くのボランティアスタッフが拾い、奈直を鋭く睨みつける。

「あんた、佐々木奈直か」

 ボランティアスタッフは、20歳そこそこの青年。奈直と同年代である。

「お前の罪を、俺達は忘れないぜ。良い機会だから、大臣に訴えてやる」

 奈直は、きょとんとして小首を傾げた。

「知り合いですか?」

 多希が訊ねると、奈直は首を横に振った。

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