第8話

「具合でも悪いですか?」

 多希は、肩にもたれかかる青年に声をかけた。

「……すみません。夜勤明けで、ちょっと眠くて。このまま裁判を聞いていても良いですか?」

 俯いたまま吐息まじりにお願いされ、多希は肩を貸すことにした。座位の不安定な患者をで支えるときのように、背中に腕をまわし、腸骨の辺りに手を添えて、姿勢を安定させる。片手で支えながら、反対の手で額や首筋に触れ、熱感が無いことを確認した。手首の脈拍は、どんどん速くなる。

「すみません、ちょっと……かなり、恥ずかしいです」

 青年が身じろぎ、多希は我に返った。かなり密着している。

「こちらこそ、すみません」

 具合の悪そうな隣の青年が気になるが、裁判の行方もに気になる。

 裁判は、四万津を殺人未遂で求刑したい検察と、四万津は無実だと訴える弁護側で、意見が食い違っている。双方の言い分を聞いているうちに、多希は面倒臭さを感じてしまった。なぜ起訴できたのか、再度疑問に思ってしまった。今のところのせめてもの救いは、四万津が結界を「解けちゃうかも」と言ったことが取り上げられていないことだ。

 初公判は、1時間ほどで終了した。

 隣の青年が、傍聴席からふらふら立ち上がる。多希は腕を抱えて青年を支えた。

「どこかで休みましょう」

「……出待ちしたい人がいるんです。廊下で待ちます」

「俺も付き合います」

 裁判所の廊下にベンチや椅子見当たらず、立ちながら待つことになってしまう。青年は壁に背中を預けて立ったまま、俯いた。肩の位置が多希より明らかに低い。青年は、180cmの多希より10cm以上小さそうだ。

 時計が見えず時間が確認できない廊下で、時間の経過がわからずに立っていると、先程の裁判に出ていた被告側の弁護士が通りかかり、歩みを止めた。青年も弁護士に気づき、顔を上げる。

「ナナオくん!」

「長男さん!」

 青年が、ナナオくん。弁護士が、長男さん。親子ほど歳の離れたふたりは、抱きつきそうな勢いで喜ぶ。

「ナナオくん、久しぶりですね! 母が老人ホームに入る前だから、2年ぶりくらいかな?」

「そうです、そうです。柘植つげという苗字を聞いて、もしかしてと思いましたが、本当に長男さんでしたね。普段よりも格好良くて、びっくりしちゃいました」

「いやいや、ナナオくんのお蔭ですよ。ナナオくんが訪問介護に来てくれなければ、僕も介護のことを学ぶ機会がなかったし、今回の弁護もできなかったし」

 弁護士、柘植氏は、ちらりと多希を見上げ、頭を下げた。

「初めまして。四万津あきらさんの弁護を担当しています、柘植といいます」

 差し出された名刺には、「つげ法律事務所 代表 柘植紺太こんた」と書かれていた。

 たぬき顔で、頭の毛根が寂しくなりつつ柘植氏は、多希の父親と同年代に見える。正直、多希の父親の方が男前な見た目をしているが、先程の裁判で、ゆるゆるな起訴内容に対して無罪を主張する姿は、一目置きたくなった。

「俺……自分、名刺を持ってなくて、すみません。静寛院大学病院で看護師をしています、緑埜多希といいます」

「先程、四万津さんが多希さんと言っていたのは、あなたでしたか。四万津さんが苦笑いしていましたよ。傍聴席でいちゃつくな、と」

「あれは、いちゃついてなど……!」

「冗談です。ナナオくんは、具合が悪いみたいですね」

 そんなことないです、と青年は美しく儚げに否定した。くう、と彼の腹の虫が白旗を上げた。

「少々早いですが、お昼ご飯にしませんか? おふたりからもお話を聞きたいですし」

 夜勤明けでふらふらする青年に配慮して、柘植氏はタクシーを呼んでくれた。

「長男さん、おひとりなんですか? パラリーガルとかは?」

「調べてもらいたいことがあって、先に事務所に戻ってもらいました」

 柘植は助手席に乗り、ふたりに後部座席をすすめる。

「申し遅れました。佐々木ささき奈直ななおです。柘植さんとは、お母様の訪問介護の際に知り合いました」

「それで、長男さん、と」

 ナースステーションの中でも、似たような言葉を聞く。患者の身内ことを、長男、次男、長女、次女。嫁や婿など、名前を知らないことも多く、関係性で呼ぶのだ。関係性で呼ぶのだ。本人を前にして呼ぶのは始めて見たが、柘植は嫌そうではなかった。

「長男さんが弁護をするとは知らずに、勉強のために裁判を見に来ました。それにしても、胸糞悪い裁判ですね。あんなに証拠が揃っていないのに、殺人未遂で起訴できるんだ?」

 多希も同感だった。それにしても、儚げな美青年は、心を許した相手に対してとんでもなく口が悪かった。

「僕も同感ですよ。まあ、詳しいことは事務所で」

 柘植が話題を終わらせると、美青年奈直は車に揺られてこくりこくりと傾眠を始めてしまった。長いまつげに、形の整った眉と鼻梁、花びらみたいな薄紅色の唇をまじまじと見てしまい、多希は無理矢理目をそらした。

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