3.英雄

 四季神レンヤが教室に入ってきた瞬間、まるで教室の色がワントーン明るくなったようだった。心なしか外で降り続いている雨の勢いも弱まった気がする。

 レンヤは今日休みじゃなかったの?そんな驚きはあったが、この緊迫した状況に発生した一つのイレギュラーへの感謝の念の方が勝ってしまった。

 今しかないと、僕はレンヤに声をかけた。


「珍しいね、レンヤが遅刻なんて」

「いやー通学途中に大荷物抱えたおばあちゃんがいてさ。大変そうだったから、持って家まで送ってきたんだよ。したらこの雨じゃん?びしょ濡れで参った参った」


 全然参ってなさそうに笑うレンヤは、雨も滴るいい男であった。お婆さんを助けて遅刻なんてベタなと思ったが、そんなベタなことを何気なくするのがレンヤという人間だ。


「四季神くん。遅刻した理由はわかったわ。今は授業中だから、席に着いて頂戴」


 今までのトゲがあるものとはちがい。雨岸先生のレンヤに対する声は柔らかいものだ。今までもそうだった。理由は至ってシンプル。レンヤの顔がイケメンだからだ。濡れた前髪を後ろにかきあげたその風貌は、高身長も相まって俳優のようである。そのくせ、嫌味がなくどんな時も笑顔なので、男女問わずに人気者だ。


「はーい、了解っす!そういえば、さっき先生と一条さんなんか言い合ってませんでした?」

「それは……まあ色々あってネ」

「それは雨岸先生が不当な説教仕掛けてきたから、反論していたのよ」


 言い淀む先生と異なり、あくまで正当防衛だと切って捨てる一条さん。目をかけている生徒の前で、悪印象を持たせるようなことをいった彼女を睨む雨岸先生。張り詰めた空気が戻ってきた。


「そうだぜ、レンヤ。さっきから先生からのすっげえ嫌がらせのオンパレード。トーマスなんて教科書の角で殴られそうだったw」


 追加でシュンがレンヤに告げ口をする。ちょっと盛っているが嘘ではない。教科書を叩きつけた音でトウマが飛び起きたところを思い出したのか、最後は堪えきれずにブフッと吹き出した。


 それを聞いたレンヤの顔はさっきまでの笑顔ではなく、真面目一色だった。


「それは本当か、トウマ?」

「まあ、当たらずとも遠からずか?」


 曖昧な答えを返すトウマ。シュンの言い分が全くの嘘ではないことがわかり、難しそうな顔をするレンヤ。

 そのあとレンヤは、他の生徒にも何があったのか質問していく。一人一人の主観が入った感想が、やがてまとまり全体像がくっきりした事実となる。授業が中断された先生も、最初は止めようとしていたが、レンヤの真剣な様子に折れたようで、途中から口を挟まなくなった。


 この日あったことを理解したレンヤの顔に浮かんだのは、怒りでも失望でも悲しみでもなかった。そこにあったのは燃え上がる正義感。しかし、それは雨岸先生を悪として断罪するものではない。

 クラスメイトも先生も助けるという救済の精神。悪いのはこの状況をつくった世界だと言わんばかりに。


 眉と目の間隔が近くなった、キリリとした目線で、レンヤは雨岸先生と正面から向かいあった。あまりにも真っすぐな視線にたじろぐ先生。少し諦めの入った先生の表情は、裁判が終わり、今から刑罰を言い渡される囚人のようだった。

 

 なぜこんなことをしたのか?どんな理由があったのか?先生の予想にと違い、レンヤの口から出た言葉は、そんな詰問や糾弾ではなかった。そんなことをしても意味がないと、レンヤは知っていたからだ。


「雨岸先生。俺は先生の授業が好きです。論理的でわかりやすいし、間違っているとこを何度も根気よく教えてくれる」

「四季神くん……」

「けどその教師としての熱量がいきすぎるが故に、ついやりすぎてしまう事があるのを知っています。はっきりといいます、それは良くないです。生徒にとっても先生にとっても。何より俺が嫌なんです」


 レンヤに否定された先生は、震えながら神妙に頷く。先程とは打って変わり、しおらしい態度だった。僕や一条さんが同じことを言ってもこうはならないだろう。レンヤだからこそである。


「俺は先生の授業が好きなんです。だから、それが原因で先生に教えを請えなくなるのがすごく寂しい」


 レンヤから語られたのは、ただ正直な告白。自分がどう思ってるかの感想。受け取る側に主導権を握らせた、その言葉にはなんの攻撃性もなかったのだった。

 しかし、その説得ともいえない言葉を聞いた先生は目を潤ませて感動している。今までとは違う意味で顔を赤くしているところを見るに、レンヤの顔面補正もその感動への一助にはなっていそうだった。

 震えた声で「そうね、私が悪かったわ」と自分の非を認めた先生を見るに、それは期待値以上の効果を発揮したようだ。


 ふと一条さんの方を見ると、そのやり取りを冷めた目で見ていた。


「とんだ茶番ね」


 冷めた目で見るだけでなく、口に出して言ってしまった。だが、レンヤしか目に入っていない雨岸先生には聞こえていなかったようだ。

 そしてレンヤは、パンと両手を合わせるように手をたたき、クラス全体を見渡した。


「よし!先生も反省しているみたいだし、俺たちにも至らないところはあったって事でこれで手打ちだな!あと15分あるし、授業に戻ろう。それでいいですね、先生」

「ええ、ありがとう四季神くん」


 うまくまとめたレンヤとそれに乗る雨岸先生。ほとんどのクラスメイトもその結論に異論はなかったみたいで、そのまま授業が再開された。一条さんは不服そうだったが。


 そのあとは穏やかに授業がすすんだ、ということはなく、何度か先生の無意識だろう言葉のトゲで空気が悪くなりそうな瞬間があった。だがそのたびにレンヤが適格なフォローをいれたり、自分も同じ間違いをしていたといってピエロ役を買ってでることにより、決定的に悪くなることはなかった。それどころか、終盤ではクラスメイトの笑い声まで聞こえるレンヤの手腕は見事なものであった。


「今日の授業はココまで。今回の内容を次までに復習しておくように」


 一限終了のチャイムがなると、雨岸先生はレンヤに取りなしてもらった後ろめたさからか、足早に教室を出ていった。


 クラスのみんなも思い思いに休憩時間を過ごすために行動を開始する。別の教室や校庭に繰り出すもの。友達と話すために席を立ち、一つの席にたむろするもの。日直の生徒は黒板一面に埋められた英文と日本文を、一生懸命消している。

 そんな中、僕は英語の教科書を片付けるでもなく、半分以上が白色で埋め尽くされた黒板が徐々にもとの色を取り戻していくのををボーと眺めていた。


「あーやっと終わった。まじダリぃわ雨岸の授業って。なあミッキー」

「…………」


 シュンに声をかけられるが、返事を返す余裕はなかった。大きな懸念事項が、心に船の錨のように重く落ちていた。


 レンヤの仲裁によって、今日の授業はは無事に終わった。あの時、落雷が落ちていたらと思うとぞっとする。学級崩壊まであったかもしれない。

 けど僕は全く安心ができなかった。今日ななんとかなったけど、次の雨岸先生の授業は?その次は?いつもレンヤがいるとは限らなくて、不在だった場合にどうなるかも十分思い知った。


 その思いが膨れ上がったとき、僕は席を立った。なんの計画もなしに、先生を追うために教室を出る。廊下の左右を見回すが、先生は見当たらない。階段の方か。この学校の主要階段にいるとあたりをつけて、人にぶつからないよう急いで歩いた。


 そして階段の踊り場で、先生を見つけた。いや、先生以外にも誰かいる。あれは……レンヤか。

 特に悪いことはしていないのに、つい隠れてしまう。 階段の踊り場からはちょうど死角になっている、廊下の壁に背をあてて耳をすます。


「先生。お節介かもしれないですけど、もし悩みがあるんだったら、誰かに相談した方がいいです。身近な人に相談できないってんなら、俺が聞きます」

「…………生徒には相談しにくいわ」

「相談しにくいのが生徒を気遣ってという意味だったら、俺なら大丈夫です。学校で話しにくいのであれば、外でもいいです。先生と先生のパートナーのこと、噂で聞いて心配だったんです!」


 今の先生にそれを聞くのか。僕が言っているわけではないのに、心臓がドクンと跳ね上がった。


「そうね……。じゃあ考えておくわ、ありがとう。フフッ、そんなこと言ってくれた生徒はあなただけよ」


 絶対にキレられると思ったが、聞こえてきた声音は意外にも優しげだった。

 心のパーソナルスペースギリギリ一歩手前。先生の心理状態とレンヤに対する心象、それら全部を計算に入れて踏み入れるラインを見極めた神業。僕であれば踏み入らないし、踏み入れない。それを素でやっているのかレンヤは。


 愕然とする僕をよそに、階段を降りる足音が聞こえてきて、レンヤが廊下に姿を現した。逆に雨岸先生は上の階に上がったみたいだ。


「お、幹隆。そんなとこで突っ立ってどうしたんだ。……もしかして聞かれてたか」

「ごめん、盗み聞きするつもりはなくて」

「いいよ、全然!幹隆も俺と同じで先生が心配で追ってきたんだろ。でももう大丈夫そうだ」

「大丈夫って、何で?」

「なんとなく?勘?」


 つい自分とは違う生き物をみるような目でレンヤを見てしまう。

 腕を組んでうなずくレンヤは、なぜか自信満々で謎の説得力があった。


「っと忘れてた。俺連絡しないで遅刻したから、たぶん欠席扱いだよな。ちょっと職員室いってくるわ」


 今しがた降りてきた階段を上って、二階の職員室を目指すレンヤ。その背中は、同じ高校生とは思えないほど大きく見えた。


 ふと窓の外を見ると、さっきまでの雨が嘘のように、晴れ晴れとした空が広がっていた。

 今日の天気は曇りのち晴れ。降った雨は花時雨のようだった。


ーーーーーーーー


 入学して初めての学級崩壊の危機だった日。その劇的な一時間は同日のトップトピックだったが、一週間もすれば誰も話題にあげなくなる。そして記憶から風化していくころ、レンヤからその後の顛末を聞いた。

 あれから、本当に雨岸先生はレンヤに相談をしたらしい。数回に渡って行われた、年齢と立場が逆だろう人生相談は、最後には先生とその彼氏、そしてレンヤの三者面談と相成ったとのこと。


「いやいや、そんな大したもんじゃないって。先生とパートナーの間に入っただけ。ほら、第三者がいると冷静な話し合いができるだろ」

「それにしてもレンヤは大物すぎるよ。で、その話合いはどうなったの?」

「結局、最後は別れたな。やっぱり価値観が合わなかったんだとさ。まあ、あのまま付き合っててもお互い疲れるだけだろうし、これでよかったと思うけどな」


 別れたのか。それは先生の情緒にどんな影響をもたらすのだろうか。ストレスから解放されて落ち着く?男女のすったもんだを経験したことがない僕が、うんうんと頭をひねらせていると、レンヤが「けどさ」と話を続けた。


「最近、ブラジル人と付き合い始めたらしい」

「え」

「別れた後も、恋愛相談?みたいなのはあってさ。先週報告を受けたよ。全部俺のおかげだって言って。特になんもしてねぇけどなぁ」

「それは、僕に話していいやつなの?」

「ん?本人も自慢しまくってるし、すぐに広まると思うぞ。それもあってか、最近はすこぶる機嫌が良さそうなんだ」


 雨岸先生は見た目によらず、恋多き乙女のようだった。いいように言うと。そして、レンヤは大物どころか傑物だ。常人であれば年一回あるかないかの出来事を、散歩に行ってきたくらいの普通のテンションで語るレンヤはある意味異常なのだろう。

 時代が時代であれば、世界に英雄として名をとどろかせていたかもしれない。いや今後の授業のことを考えると、このクラスにおいてレンヤは正真正銘『英雄』だった。


「それと、先生は一条さんにも感謝してたぞ。あの日、言い合ってたのは先生の行き過ぎた指導を、彼女が勇気をもって諫めてくれたんだろ。その一条さんの言葉で目が覚めた、これからは生徒としっかり向き合うって言ってたぞ」

「…………」

 

 絶対嘘だ。喉元まで出かかった言葉を、ぐっと飲みこんだ。

 明らかに一触即発の空気だったけど、先生は美談としてレンヤに伝えたらしい。

 けど、それでいいのか。こういう風にレンヤに言ったという事は、あの日のようなモラハラはしないと思っていいだろう。すればレンヤの信用を失うというのは目に見えてるから。

 それを語るレンヤは笑顔だった。話を聞いている間、ずっと緊張していた口元がふっと緩み、僕もつられて笑ってしまった。


 かくして、この「雨岸先生による学級崩壊未遂事件」は『魔女』と『英雄』の活躍により人知れず解決したのだった。


 自分のために、人の核の部分を暴き出して、破壊する『魔女』。

 他人のために、人の核の部分に近づき、寄り添う『英雄』。


 両極端の二人だが、どちらも僕にないものを持っている。奇しくも、僕の座右の銘で言うところの"悪"と"正義"の対比のような両者へ、僕はベクトルの違う憧憬の念をそれぞれに抱いていた。


 だが、この時の僕は自分の強い憧れで彼らを覆い、本当の彼らを見ようとしていなかった。一条さんの言う通り、人を見ているようで根底にあるのは自分本位なのかもしれなかった。結局他人を型に当てはめて、それを妄信して、けどそれはその人の本当じゃなくて。そんな理解とはほど遠い感情の先にあるのは、不和なのである。


 僕がその罪を自覚するのは、もう少し後のことだった。

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