プリンセスメーカー

2026年 09月26日 土曜日 11時40分

品川区 某所 アンティークショップ プリンセスメーカー


 昨夜は哲也との会話が弾み、基地に戻りシャワーを浴びてベットに潜ったのが朝の4時を回っていた。それから3時間ほど仮眠を取り、朝の7時に起床。出かける準備をしオフィスワークを手早く片付け、たくさんの手土産をデパ地下で買い今に至る。


 そう。朝霧さんへの正式な謝罪だ。そして審判から命の危機を救ってくれたお礼も兼ねて。


 日にちがかなり空いてしまったのは、朝霧さんの都合がなかなか付かなかったからだ。


 というのも、あの審判との戦いの後、朝霧さんもかなり力を消耗してしまったのか、休息を余儀なくされたらしい。教会の仕事もあるようで、なかなか時間を作れなかったようだ。


「こんにちは」


 わたしはお店のドアを開ける。幸い今回は、何も起こらない。


 あの時、初めてこのドアを開けたとき、何か強烈な、心を見透かすような冷たい視線を何処からか受けたことを、今でも鮮明に覚えている。


 あの時の全身を襲う恐怖と悪寒…… あれは一体何だったのだろうか…… 


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。どうぞ奥へ」


 お店のエプロン姿の朝霧さんが、笑顔で出迎えてくれた。奥のソファへ案内される。


「申し訳ありません。本当はもう少し早く謝罪とお礼に伺いたかったのですが……」


「いえ、時間の都合が付かなかったのは私です。非があるのはこちらの方です……」


 朝霧さんは何処かしら疲れているのか、表情に少し曇りが見られる。


「これ、つまらないものですけど……」


 今思えば明らかに買いすぎたような気がする。大きなショップ袋が3袋。茶菓子やロールケーキ。おまけにワインまで。ここは日本だ。本国のホームパーティーとは違う。思わず苦笑いをしてしまう私。


「――姫宮さんって、面白い方なんですね」


 そんな様子を見て、朝霧さんが口元に手を当ててクスクスと笑う。とても可愛らしい。絵になる構図だ。


「お茶を用意してきますね」


 朝霧さんはそういうと店の奥に入っていく。相変わらず線の細い体にピッタリとしたデニムが似合っている。後ろ姿だけでも相当な美人だ。髪も良く手入れされているようで、艶もすごい。私もそこそこ髪には自信があったが、それが打ち砕かれそうだ。


 座っているソファから、外を眺める。9月の下旬とはいえ、まだ日差しはきつい。年々異常気象が当たり前になり、都会の日差しはアスファルトの照り返しがきつい。


「お待たせしました」


 朝霧さんはゆっくりとした所作で、冷たいレモネードをグラスに注いでくれた。


「ありがとうございます」


「前にいらっしゃったとき、美味しいと言ってくださったので……」


 薄らと笑う朝霧さん。正直なところこの人は、同性も引き寄せる魅力があるように思える。ただ美人というわけではない。自然な女性としての魅力、心の純粋さが溢れているように見える。アルサードの救世主メシアとして崇められるのも納得だ。


「えっと…… 前回のこと、本当に反省しています。誠に申し訳ありませんでした。それと、私達を助けて頂いた事、本当にありがとうございます」


 どういう訳か、言葉がたどたどしくなる。私は何を緊張しているのだろう……


「礼には及びません。といいますか、叔母様が手を挙げたこと、とても申し訳なく思ってます。あの後、叔母様には怒りました。手を挙げるにしても、少しやり過ぎだった気がするので……」


 朝霧さんは申し訳なさそうに話す。


「ああ、いいんです。実は数日後に、室長から同じように平手打ちされ裏拳まで叩き込まれてますから。ちゃんとガードしろって怒られましたけど」


 それを聞いて、朝霧さんが我慢できないように微笑する。


「姫宮さんって、たくましいんですね」


 そう言って笑う朝霧さんは、とても素敵だ。その仕草からは、あの審判すら寄せ付けないほどの力の持ち主だとは到底思えない。


『もうやめなさい。貴女の力では私に勝てない。貴女の言葉を借りるならば、貴女を蹂躙することなど、私にとっては容易い。今すぐここから出て行きなさい』


 あの言葉。目の前の朝霧さんが発した言葉とは思えないほど、冷たく神の威厳のような響きだった。もし彼女が攻撃に転じていたのなら、審判に裁きを下すことは出来たのだろうが、彼女はあえてそれをしなかった……


「その後、おかわりはないですか? 霊的な守護は念のためかけてはいますが……」


「その事なんですが――」


 私は朝霧さんに、鏡で見た事についての説明を行った。あれが何かしらの精神攻撃なのか、それとも私の心が招いた幻覚だったのか。ずっとそれが気になっていた。


「お話しを聞く限り、恐らくそれは審判の精神攻撃マインドアタックではないと思います。私達が姫宮さんに施している守護は、ある程度高いレベルの精神攻撃も完全に防ぐ特殊なものです。それに守護という意味では、姫宮さん自体にも何かしら特別な守護の力を感じます」


「わたし――自体にも?」


「はい。姫宮さん自体が、何か特別な力で守護されているような気がするのです。ちなみに姫宮さんは、何か今まで霊障などの経験をされたことはありますか?」


 霊障…… 悪霊などによる人体への影響や、金縛り等。悪霊に遭遇することも一種の霊障なのかもしれないが……


「いえ、子供の頃におかしな事が起こったり、霊のようなものを視たり等はありましたが…… その後は特にないですね」


 一瞬、朝霧さんが考え込む。


「子供の頃というのは、魂が生まれ落ちて、まだ現世に定着していない状態とされています。なので霊的次元アストラルディメンジョンの干渉を受けやすく、その結果として不思議な体験をしたり、霊が見えたり、はたまた霊界へ引きずり込まれたりするんです。この日本では古来、神隠しが多かったと聞きますが、それはつまり、対象が霊的次元へ引きずり込まれた事を意味します」


 朝霧さんは話を続ける。


「――姫宮さん。きっと貴女は、とても大事にされているんだと思います。それが霊的次元からの加護なのか、誰かが強力な守護をかけたか迄は断定できませんが、貴女を霊的な存在から守っているのです。ただどんなに強力な守護や加護をかけたとしても、対象の精神次第で効果は弱くもなりますし、強くもなります」


 そして朝霧さんは、静かに私の手を取った。


 不思議に心拍数が上がる。


「大切なことは、己を信じる事。強き心はあらゆる攻撃を無効化し、優しき心は全てを癒やす。強き心が無ければ霊的存在、そしてあらゆる事象に呑み込まれます。それを――忘れないでください」


 パールピンクの眼鏡の奥にある朝霧さんの瞳。その秘めたる意思を感じさせる水晶のような美しさに、わたしは数秒間、言葉を失ってしまう……


 朝霧さんの包み込むように重ねられた両手。私は急に恥ずかしくなった。


「あ、あの…… わたし…… わ……」


 ダメだ。呂律が回らない。なんだこの心拍数の高鳴りは!


「――あ、すみません!」


 朝霧さんも急に恥ずかしくなったのか、重ねていた手を急いで離す。朝霧さんは顔を真っ赤にしている。


「申し訳ありません。姫宮さん、手がすごく綺麗だったもので…… ただ、内側は所々固いんですね。それもまた、たくましいというか……」


「一応これでも捜査官なので…… 射撃練習の頻度も多いですしね……」


 なんだか微妙な空気感だ。やたらと心拍数も高い。同性相手にこんな気持ちになったのは初めてかもしれない。北條さんも朝霧さんに近い雰囲気を持っているが、ここまで強烈ではない。


「あ、レモネード、頂きますね! 前もすごく美味しかったんです!」


 私はグラスに注がれたレモネードを思わず一気に飲み干す。自分でも何をやっているのか分からない。相応に混乱しているのが分かる。そして焦るように飲み干したレモネードが気管に入った。


 急激に咳き込む私。


「姫宮さん! 大丈夫ですか! しっかりしてください!」


 咳き込み俯く私に、朝霧さんが間近によって背中をさする。朝霧さんの綺麗な髪と体から漂う脳がとろけるような甘美な香り。ダメだ。この人がやっていることは逆効果だ。


 なおも咳き込む私。そして背中をさすっていた手が私の肩を抱き抱えるように変わる。


 ダメだ。すぐ真横に顔が触れる距離に朝霧さんの顔。耳に息がかかる。お願い。もうやめて! もう苦しいのか何なのかよく分からない!

 

「姫宮さん! しっかりしてください! 姫宮さん!」

 

 

――それから10分後。放心状態を乗り越え、ようやく冷静に息が出来るようになった。

 

「……すみません。大変お騒がせしました。一気飲みは良くないですね……」


「よかった。てっきりまた何かあったのかと思ってしまって…… レモネードが気管に入っただけだったんですね」


 きっかけはそれだが、どちらかというと朝霧さん本人のせいだったのは、あえて言わないでおこう……


「――あの、姫宮さん。もう少しだけ、お話を聞いて頂いても大丈夫でしょうか……?」


 なんだろう。朝霧さんの表情が少しだけ曇る…… あいにく時間はまだ十分にある。15時のミーティングまでに基地に戻れば問題ない。

 

「大丈夫ですよ。私で良ければ」


 私はにっこりと微笑む。そして朝霧さんは静かに話し始めた。


「実は私、記憶が……無いんです。幼いときに交通事故で両親を亡くして…… その影響だろうと医者からは言われているのですが…… 何か大事な記憶を全て忘れてしまっているような気がして……」


「――記憶喪失?」


「その、何と言えば良いのでしょうか…… 交通事故にあってから、ずっと頭と心に大きな穴が空いたような気がしてて…… 何か大事なこと、それが全て抜け落ちてしまっているような気がするんです」


 部分的な記憶障害、だろうか……? 精神医学は正直なところ専門外だが、恐らく朝霧さんの求めているものはそこでは無い。


「姫宮さん。無責任なお願いで勝手なことを言っていることは、十分承知しています。ですがどうか、私の記憶を取り戻すお手伝いをしては頂けないでしょうか? 何かして欲しいというお願いではありません。貴女と接することで、私は失ったを取り戻せる。そんな気がするんです……」


 俯き加減でそう言った後、僅かに滲む瞳で私を見つめる朝霧さん。

 

 こんな顔で頼み事をするとは卑怯だ。最もそれは私も同じだ。いや、私の方が卑怯の度合いは強いだろう……


「朝霧さん。ひとつだけ確認したいことがあります。――宜しいでしょうか?」


「……はい」


「それは――貴女のですか?」


 私の問いに、彼女は静かに『はい』と答えた。そして彼女のその声を心に深く落とし込む。


 そして私は、結論に達した。


「わかりました。朝霧さんの申し出、快くお引き受けいたします。私も今、思いました。朝霧さんの記憶、取り戻せるかもしれないって。でそう感じたんです。最も何の根拠もありませんけど、ただ――」


「ただ?」


 私は心を落ち着かせて言った。


「私の直感は、今まで一度も外れたことはないんです。だから朝霧さんの直感も、私は信じます」

 

 しばしの沈黙が流れる…………


 何処となく気まずい雰囲気…… 自信満々で言った自分を戒めたい。


 その時、朝霧さんが堪えきれないように笑った。


「――姫宮さんって、ほんとに面白い人ですね」


 微妙に潤んだ瞳で、笑顔でそう言った朝霧さん。


「宜しくお願いします。そうだ、依頼料代わりと言ってはなんですが、これを受け取ってください」


 そう言うと彼女は、アクセサリーが並んだショーケースから、一つの指輪ケースを手に取る。それを私の前で開いて見せた。


「永き月の光で洗練されたと言われる、ムーンライトアメジストのリングです。宝石に私の霊力も注ぎ込んでいるので、身につけるだけで強力な守護の効果がある筈です」


 そして彼女が、私の右手を静かに取る。


「――お嵌めさせて頂いて、宜しいでしょうか?」


 微妙な間が私の心拍数を再び上げる。

 

「――はい。お願いします」

 

 朝霧さんは、優しく私の右手の中指に、指輪をそっと嵌めた。


 まるで姫に仕える従者のように、その様子に目を奪われる……


「今度は、首にスタンガン押し当てないでくださいね。お姫様」


 にっこりと笑う朝霧さん。そして私達はしばらくの間、笑い合った。朝霧さんのその振る舞いに、私はすっかりお姫様の気分を味わってしまう。

 

 プリンセスメーカー。とても素晴らしいお店だと、わたしは心から感じたのだった。

 

 

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