セーフハウス

2026年 09月25日 金曜日 21時40分

東京都港区麻布 某所


 クリスと共に基地へ戻った後、哲也と六本木で待ち合わせをし、二人で夕食を取った。その後、麻布にある哲也のセーフハウスへと向かった。


 定期的な情報交換。もっとも安全な場所は哲也のセーフハウス以外に無い。彼の話では日本各地に点在しているらしいが、まあ嘘では無いだろう。


「色々と洋酒を取り揃えているが、何か飲むか?」


 哲也はカウンターで洋酒を選んでいるが、あいにくお酒を飲む気分では無い。


「わたしはアイスコーヒーでいいよ。甘いおつまみあると嬉しいけど」


「分かった。ちょっと待っててくれ」


 部屋は前と同じようにオレンジ色の淡い間接照明に照らされ、室内には小さな音量でクラシックが流れている。哲也はオーディオにも拘っているようで、小音量でもその響きは何処かしら官能的だ。こんなところで口説かれたら大半の女性は落ちるだろう。


 といっても、大学時代からずっと今日まで、哲也に恋人はいないようだった。


「お待たせ。今日はアルコールは無しにするか。デパ地下のアイスコーヒーだが味はどうかな? 不味かったらすまん」


 哲也は笑いながら言った。


「そんなこと言っても結構お高いやつなんでしょ? 哲也が安物買ってるところ見たことないよ私」


 大学時代から哲也は食べる物やファッションにも拘っていた。食べ物は極力添加物が加えられていない自然食品。料理をするときは素材に拘り、比較的高めの価格でも普通に買っていたように思う。洋服はシックながら質が良い物を彼は好んでいた。色は割とベージュや白が多く、黒系を好む神蔵とは対照的だった。


「どうだ? 麻美の口に合うか?」


「うん。ちょっと酸味が強い気がするけど、上品な味で美味しいと思うよ」


「そうか。今度は別の物を探しておこう」


 哲也はいつもそうだった。私が少しでも気になる部分があると、別の物や別の店を探してくれる。かといって気を遣って何でも絶賛する気にもなれない。少し申し訳ない気もするが……


「じゃあそろそろ話そうか。私が視た光景のことを……」


 哲也が真剣な表情になる。


「わたしは何処かしらの山林地帯で、真っ暗な夜空を飛んでいる2機の軍用ヘリを視たわ。特殊作戦部隊AASTナイトストライカー。ヘリの機長は機内放送でこう言っていた。彼らの目的は、おそらく魔女の殲滅。廃村の教会地下に集まっていた女性や少女達を容赦なく発砲し皆殺しにしてた……」


 あの光景を思い出すと、今でも末恐ろしくなる。


「聞いたことの無い部隊名だな。自衛隊も米軍との共同訓練は数多く行っているが……」


「おそらく、AASTというのは、Anti Asphaltic wizard Special Team。つまり対AW特別チームという意味で間違いないと思う。神蔵が指揮を執っていた事から、米軍の何処かに所属する特殊部隊ね。ひょっとしたらUCIAと同じく国防総省直下の組織なのかもしれない」


「なるほど。神蔵あいつが変わってしまったのは、その組織に属していたことが原因か……」


「ドノバンという男の相方がいたみたい。神蔵は第一班アルファチームリーダー。その男は第二班ベータチームリーダーだったけど、指揮をしていたのは神蔵よ。神蔵が突如上空に現れた謎の光を追って、作戦エリア外に一人で飛び出していった。で――」


 私は一呼吸置いて言った。


「信じられない話かもだけど、射殺したと思われた女性達が、ゾンビのように起き上がり襲ってきた。外で待機していた第一班も廃屋から無数に現れた生ける屍達に囲まれて現場は大混乱に陥ったわ。そして、謎の大規模爆発が起こった……」


「……神蔵は、その後どうなった?」


「私が視えたのは、その後に瓦礫と化した現場だけ。ヘリが2機とも残骸になっていたから部隊は全滅したんだと思う。ただ、神蔵は作戦エリア外にいたためか、なんとか命が助かったんだと思う」


 正直、とてつもない爆発だったため、生存者は誰一人いないと思っていたが…… あの爆発で神蔵が生き残ったことは神に感謝したい。


「麻美が視た光景に、なにかランドマーク的なものは無かったか?」


「辺りは山林地帯だったしね…… 只あれだけの爆発があった箇所だと、衛星からしらみつぶしに探せば場所が分かるかもしれない。もし現場に行けるのだとしたら、行って捜査をしたいのが本音かな」


 爆発で瓦礫の山と化していたが、現地に行って分かることも多い。殺害された数多くの女性が教会の地下で何を行おうとしていたのか。おそらくはAWを呼び起こす儀式だろうが、最も知りたいことは、神蔵が何故現場を離れたのか? その理由が知りたいのだ。


「ちなみにこの事は、他の誰かには話したか?」


「いや、話したの哲也だけだよ。神蔵が所属していたナイトストライカー隊の事は本国の超極秘事項。室長達も知っている可能性は高いけど、UCIAで口には出来ないわ」


 あいにく私が何を願ったのか? それは誰からも聞かれていない。ただUCIAの人間は誰もがその答えに気づいているはずだ。そしてみんながそれを察してあえて何も聞いていない。そう思っている。


「そうか。ナイトストライカー隊は俺の方でも調べよう。俺は各方面に色々とコネがある。何か分かるかもしれない」


「ありがとう。心強いわ。さすが有名政治家と霧峰重工役員の息子ね」


 と、ここで自分の失言に気づく――。


「ああ、気にするな。それは事実だし、実際それが大きなコネクションを生んでいるのは事実だ。立派な両親だと思うよ。ただ俺も弟も、政治の世界に嫌気を感じている。この国のご老人共は悲しいことに老害が多い。国を大切に思う若い政治家も奮闘してはいるが、様々なしがらみの中で必死に戦っているのが現状だ」


 哲也は国内状況を危惧している。日本もそうだが、本国や欧州もそうだ。様々な問題が起こり、効果的な対策が打てずにいる。中国やロシア等の共産圏も、危険な独裁者によってコントロールされている。今後何かが起これば、取り返しの付かない事態に発展する恐れがある。台湾有事の可能性が数年前から示唆されているが、今年こそは本当に危ないのかもしれない。


「――哲也、弟がいたんだね。初耳だわ」


「ああ、俺と違って温厚なやつでな。子供の頃から何処かしら浮き世離れしたところがあって、仏の道に進んだんだ。今は伊勢神宮で神職をやっているよ。そういえば姫宮の実家も静岡の神社なんだろう? これも何かの縁なのかもしれないな」


 哲也は少し笑いながらそう言った。


「そう言えば聞きたいことがあったの」


「……上條理津子の事か?」


 哲也はアイスコーヒーを飲みながら、私の問いを当てた。


「上條は霧峰重工の社長秘書。でもあるが、同時に日本アルサード教会の聖司祭の一人でもある。これは世間には公表していない。アルサード教会を束ねているのは聖女神司祭だ。上條の聖司祭は位で言えば第二位だが、入手した情報だと実際に日本アルサード教会を取り仕切っているのは上條らしい。聖女神司祭は表舞台には一切姿を現さないそうだ。広報役になっているのはもう一人の聖司祭、とうしず。日本アルサード教会はこの二名を筆頭に、配下の数名の司祭で運営されている」


「なるほど。ひょっとしてアルサード教会と霧峰重工は深い繋がり――なんらかの利益誘導があるのかしら? 上條は霧峰重工本社の社長秘書。教会の関連企業を操作できる権限があると考えると……」


「その線は俺も考えた。だが霧峰とアルサード教会関連企業は法に触れることは一切やっていない。非常にクリーンなやり方で収益を上げている。アルサード教会関連企業はメディア事業会社が多い。アニメや映画、ゲームに書籍等、当たれば原資以上に莫大な富をもたらす。その他AIでは代替できない事業も多いな。一方の霧峰はその先端技術で軍事関連にここ数年で大きく手を伸ばし、業績を拡大させている。そして霧峰はそのダーティーなイメージを払拭させるため、積極的にアルサード教会関連会社のスポンサーとなり、教会の慈善事業などに協賛することでクリーンなイメージ展開をしている、というわけだ」


「教会が弱者を積極的に救済しているのも、その中から何かしらの才能がある人物を見つけ出し、関連会社に積極的に斡旋している事もあるのかもね。色々と噂はある教会だけど、特に黒い部分が何も見つからないのが余計に引っかかるというか……」


 弱者救済。その意味では世界各国のアルサード教会は各国政府以上に貢献している。週末には無料の炊き出しや簡易食の配布。生活困窮者への各種対策や仕事の斡旋。心の悩みや不安の相談。弁護士の紹介など多岐にわたる。最近では出家者への居住施設の提供も始まったらしい。


「――まあ、姫宮は捜査官と言う立場上、疑ってかかるのは仕方が無いのかもしれないな。俺も一応警察の人間だが、アルサード教会に対しては好意的な立場だ。上條とは最近よく話すが、教会の人間は皆礼儀正しく、人当たりの良い人間ばかりだ。実際に多くの弱者を救っている。教会が存在しなければこの国の状態は更に酷いものになっていただろう。それは容易に想像が付く」


 たしかに、哲也の言っていることはもっともだ。今では政府の支援を頼らず教会に助けを求める人間が増加しているという。出家者の数も世界的に増えているのはFBI時代のNSB(国家安全保安部)で把握済みだ。その勢力は少しずつ、そして確実に大きくなっている。


 私が危惧しているのは、その日増しに膨らんでいる力…… そこに何か裏があるのでは無いか? ということだ。神蔵や葉山の言うとおり、私もどこかしらきな臭く感じている部分がある。それは事実だった。


「そういえば、AMGEアンジェの北條とは仲が良いのか? 親身に付き添っていてくれたようだが?」


 Alsard Messiah Guardian Exorcist。 通称AMGEアンジェ。救世主直属の高位退魔士ハイエクソシスト達。


 世間の裏で頻繁に起こりつつある霊的事件を解決する退魔士だ。

 

『言ってみれば救世主直属の高位エクソシストの事です。北條さんは現在のAMGEの中では最年少。残りの4人は皆、女学院の子達です』


 朝霧さんの言葉を思い出す。


「北條さんはとても優しくって、なにか心理的相性がいいのかな。そういえば朝霧さんは残りの4人は皆女学院の子って言ってたけど。教会に出入りしてたのは6人だったよね? それって――」


「ああ。高等学部のきりみねは正式にはAMGEではないそうだ。霊的能力に致命的な問題があるということから選別されなかったそうだが、その身体能力、教会剣技に関してはずば抜けた才能を持っているらしく、身体能力が低い北條の護衛として、通常の退魔の際は同行しているそうだ。北條の加護によって具現化した霊的存在と強固に渡り合えると聞く」


「確か以前写真を見せてもらったけど、ほんとに仲の良さそうな二人だったね」


「これか」


 哲也がタブレットに映った画像を見せる。通学路を歩いている写真が複数枚。手を繋いで歩いている写真もあるが、リードしているのは霧峰のようだ。なんとも微笑ましい光景だ。さりげなく霧峰が北條さんに腕を組んでいる写真もある。


「――いいわね。二人の笑顔が眩しいわ」


 学生時代。正直なところ中学高校はあまり良い思い出が無いような気がした…… 進路のことで頭を悩ませていたし、勉学も忙しかった。ハーバードに行けたのは正直運が良かったとも思う。もっとも入ってからの方が勉学では大変だったが……


「そういえば朝霧さん。教会の救世主って呼ばれてるけど、何か由来が?」


「――色々と謎な部分が多いが、やはりそのとてつもない霊的能力、それが理由なのかしれない。小さな頃から彼女の能力は神の申し子の如く突出している部分があったそうだ。上條は朝霧のことをとてもとても大事にしている。麻美が平手打ちを喰らったのもそれだけ朝霧のことが可愛いからなのだろう。もっとも麻美には災難だったが」


「室長に言われたわ。『素直に叩かれるのが姫宮のお人好しなところだ。可愛い顔はもっと大事にしなさい』ってね」


「それはもっともだな」


 お互いに笑い合う。室長は厳しいときは厳しいけれど、とても温かみのある人だ。上司だが、UCIAは正式には軍事組織にあたる。上官と言った方が正しいのだろう。


「ちなみにアルサード教会の聖典、創世の書の一節は知っているか?」


 哲也はアイスコーヒーで喉を潤すと、語り始めた。


「――この世は光の女神アルサードと、自然を司る配下の四女神により作られた。火の女神ブレアシルス、水の女神アストネイア、地の女神ガルドマグナ、風の女神ウルスハイネ。光の女神は四女神と共にこの星を駆け巡り、そこに豊かな自然と生命が宿った」


 私は哲也の語りにそのまま耳を傾ける。


「――地上の人間達はやがて数を増やし栄えた。だが驕り高ぶった人間達は神への信仰を忘れ、それを悲しんだ女神達は加護を与えるのを止めた。その結果、光は熱線となり、大地は激しく揺れ動き、水は全てを飲み込み、風は怒れる竜巻と化した。そして地上から人間達は消え去ったかに見えた」


 哲也は一呼吸置いて更に語る。


「――その時、ひとりの少女が地上に舞い降りる。世界の罪をお許しくださいと、少女は天を仰ぎ降りしきる火の雨の中で祈った。その少女から放たれる大いなる力と光は、降りしきる火の雨や竜巻を全て打ち消した。そして天に願いが届いたとき、舞い降りた女神は少女にこう告げた。『我々は変化しなければならない。許さなければならない。救わなければならないのだ』と。それが成されたとき、新たな加護と共に、新しい王国が築かれたという」


 哲也はアイスコーヒーを飲み干した。


「その少女が、教会の中では救世主と言われている。すまない。少し長かったか」


 哲也は少し申し訳なさそうに言うものの、その語り口からみてアルサード教会の聖典の内容を頭に叩き込んでいるように思える。私は正直、まだアルサード教会に関してよく分かっていない。北條さんも朝霧さんも、とても優しい人だとは思う。アルサードの教えが本物だとしたら、信仰しても何もおかしくは無い。


「アルサード教会に関しては、わたしも色々と接して学ばないと行けないかもね。FBI時代では常に何かあるのでは無いか? と嫌疑を向けていた部分がある。最も今も立場的にはそんなに変わらないのだけど」


「それは仕方が無いさ。俺も当初は麻美と同じような見解だったが、上條を初めとする様々な教会関係者と会話し接することで、色々と考えを改める部分もあった」


「――この情報化社会ではどうしても雑多な情報だけで全てを分かったような思考に陥りやすい。偏見や差別、人の好き嫌いなんかも。でも実際に会話し接することで、初めて分かる事も多いし、実際に五感で感じて経験することの意味は大きいと思うわ」


「じゃあ今度は二人で教会のミサにでも行ってみるか。北條も喜ぶだろう。あの子は今は助司祭の立場だが、女学院に上がれば正式な司祭の位が与えられると聞いている。日曜朝のミサは、彼女が進行していることも多いそうだ」


 その後もしばらく哲也と会話を続け、いつの間にかに時計の針は午前1時を過ぎていた。哲也の車でグランドベースへ辿り着いた頃には、夜中の二時を回っていたのだった。



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