第1話 高校生活

両親はインドネシア人だけれども、インドネシア領域で生まれたばかりの頃は何故か日本人の「ナオト」という名前で名付けられた。宗教もラムイス教だ、インドネシアの国で生まれたラムイス教の人の愛児は大抵「アマド」みたいなラムイス教らしい名前を付ける。

ただ、俺の件は違った。

母親に問いた事があった

「後で分かる」

という返事しかなかったのだ


幼稚園からランコーの読み方とラムイス教のことを微少で習得し、やがて日本で小学生を通うことなった。幼く俺は他人の話した言葉を一言も分からずに過ごしていた、俺は他の子どもの前で自己紹介する時、両親から教わった挨拶言葉と自己紹介の言葉しか使わなかった。

授業も理解できなかった。自宅で俺の母親「ララ アジス」は日本語や家へ持ち帰った教科書で色々と教えて貰った

放課後の後の日程は、日本語を学び、それからは学校で習った物を日本語とインドネシア語で再教育してくれた。

寝る前の時間は宗教学習の時間だ。


何年も過ぎゆく、高校1年生で親の都合でインドネシアへ帰国した

10年くらいインドネシア人の留学生として日本に滞在したが、流石にインドネシア語の能力が少し怠けてる。

インドネシアへ帰国し、ビンタン島にある高等学校で入学してた


インドネシアの学校へ入学し、シャムという教室で置かれた。最初にこの教室に入ったころは、エアコンで室内の気温を冷やす事に即驚いた。俺の今まで通っていた学校ではエアコンなしから、ずっと暑いと感じてる。

数十分後、クラスが始まり、初日で自己紹介するよう、言われた


「それでは、自己紹介をお願いします」oke, silahkan perkenalkan diri kamu

(しまった、インドネシア語、ちょっとしか話せないけど)

「ええっと… can i speak with English?」ええっと… 英語で話して良いですか?

「あ、確か日本から来たですよね?でも、インドネシア語で話せたら、やってみて下さい」

「…分かりました」

正直、インドネシア語の能力が怠けてるとはいえ、日常で使われるだけなら、まだ話せるかもしれない。

親以外使った事がないけど、今は頑張るしかない。


(メモ: 日本語に通訳したので、楽に読めます)


「…は、初めまして…ナオト…です、よろしく」

ここは日本ではない、相手を変な気持ちをさせないよう、注意しながらあまり体を下げないようにしてた

「趣味とか、将来の夢とか何ですか?」

「将来の…夢は、映画を作る事です、趣味は…まだありません。ですが、空手はできます」

「なるほど、サブック は何色ですか?」

「えっと…すみません、サブックって?」


インドネシア語の『サブック』って意味、なんだろう?何色て言えば、空手では帯の色で階級を示す事が出来る。一番上の階級は黒、無級は白。

(何色か…もしかして、それを尋ねてるのではないかと…)

「サブックはね、帯の事だ」

「そっか、帯か…って」

回答を出そうとしてるとたん、一番左側の席で座っているクラスメイトが…

ペラペラと日本語で話した

「…あんた、今、日本語で喋ってないか?」

「うん、話たよ」

まさか、ここで日本語を話せるものがいたとは。

気づいたら眉間に皺ができ、鼓動が耳元まで聞き取れるほど、あのくそみたいな場所をバグった映像のように脳内で映っていた。


「…マジか」

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