近くにいるのかはたまた遠くにいるのか、冷たく暗い洞窟の奥にいるような錯覚を引き起こす乱反射した声。

 それは貴族の男のすぐ後ろに控え、左手をヒタリと自身の柄の先に置くと、鋭い眼光で睨みつける。男は背筋を凍らせ、声の主も確認せずに飛び跳ねると後ずさる。


「ダグ、大丈夫か?」

「……」


 ギルドの中はざわざわと騒ぎ出し、全員の視線の先には――トウカが居た。

 「あれって…」「白銀の冠木(クイーンオブリンテル)の…」「八寒の北壁(ハッカンノホクヘキ)…」

 トウカは手を差し出すが、俺は手を取らず、不自然に目をそらす。


「……トウカ、さま」

「これは一体どういうことだろうか、君達、冒険者だろう…所属は」


 トウカは至って冷静に、冷徹に<違反者>を追いつめる。

 「グッ…コノッ! ……笑えない冗談ですね」それとは対照的に、吹き出す汗と怒りを苦笑いに込めた表情の男。


「いいから聞かれたことだけ答えろ、所属は」


 細身の男はその態度に虚勢を含ませ。小さな声で、「…テメーと同じとこだ」と悪態をつく。


「……白銀の冠木(クイーンオブリンテル)、…O-8(バロン)、…メルディア所属…」

「名を名乗れ」

「以前の懇親会(レセプション)でご一緒したはずですがまさ――」

「聞こえたはずだ」


 止めとけ、コイツは話の通じるタイプじゃない。

 トウカが再び柄に手をかけると、悔しそうに自身の名を名乗り始めた。


「ユリユス・ヘンリー・メダリウス。由緒正しきメダリウス姓を受け継ぐ、長男。当主ユリユス伯は、無知なあなたでも当然ご存じでしょう? 今後はお忘れなきよう、その小さ(キュート)な頭に詰め込むことですね」

「ふん、ユリウスJr.か、やはり知らんな。それに…これから脱退する者の名など覚えていても仕方があるまい」

「な、なんですと…!?」

「無所属の、守るべき<市民>を袋叩きにした、貴様は我ら高潔なクイーンオブリンテルにふさわしくない」


 俺は自分の血で濡れた拳をひそかに握る。


「い、いくら北壁の異名を持つ貴方でも、この私を、この由緒正しきメダリウスの姓を持つこの私を! そんな勝手なことは許されない!!」

「今日中に荷物をまとめろ、以上だ」

「グ、ググッ…コノッ、阿婆擦れがッ!」


 悔しそうに人ごみを分けてその場を去るユリユス。

 残念だったな、だから、コイツには軽口も言い訳も、そういった類のものは一切意味をなさない、少し、ほんの少し同情するよ。


 「我らのメンバーがお騒がせした、皆、席に戻ってくれ、ギルド長も、お騒がせした」トウカがギルドの中で叫ぶと、周りにいた野次馬が散る。

 「いえ、それよりも、うちの従業員が…ダグ、貴方大丈夫なのですか? お医者を呼びましょう、応急薬とお医者を呼んで!」続いてギルド長のババアが叫ぶ。

 はあ、もう放っておいてくれ。


「ダグ、また喧嘩か」


 トウカは再び手を差し伸ベてくるが、今度は手を払い足を庇いながら立ち上がる。


「うるせーよ、ったく、しゃしゃり出てくるのがお前の悪い癖だぜ――グッ…!」

「おい動くな! ひどい怪我だ…骨も痛めてるかもしれない」

「心配すん…な、こんもん、おい」


 俺はトウカに手を出す。物を要求する時の形だ。


「な、なんだ?」

「回復薬だよ! 持ってんだろ」


 トウカは顔を引き、腕を前に突き出すといかにも驚いた表情を取る。


「なっ…! 駄目に決まっているだろう!? あれは冒険者専用アイテムだ、渡したりしたら犯罪になってしまう!」


 またこれだ。

 俺は痛む体を慎重に動かすと、今度は別の物を要求する。


「相変わらず頭かてーな、怪我してんだぞ! …分かった、麻痺薬くれ、ホルモピランパーゼ」

「ん? い、いやダメ…なんじゃない…か?」

「良いんだよ、市販薬でも使われてんのを魔物用に売り出してるだけだ、薬屋でギルドカード見せねーだろ?」

「道具は全て支給品だ」

「――そうかい、エリート!」


 俺ははトウカがガサゴソと自身のウエストポーチを漁っている横から、そこに手を突っ込むと、目当ての皮袋を取り出すと、紐を解き、中から親指ほどの、銀色をした小型の注射器のような見た目の麻痺薬を取り出す。

 トウカは心配そうにこちらに目線を向け「気をつけろよ、ちょっと、ホントにちょっとにしておけよ」といった。

 や、止めろよ、こっちまで心配になってくるじゃねーか。


「大丈夫だよっ、――ウッ…」


 刺す瞬間、目をつむり顔をそむけるトウカ。

 一息に薬剤を注入すると、患部を圧迫する。

 …よし、後は寝ておけば治んだろう。


「お前、魔物用の麻痺薬を自分に打つとか正気じゃないぞ」

「ふううう…、す、すこし麻痺するだけだ、痛みが消える…程…度…………あ?」


 俺の記憶は、トウカが叫び、焦りながら誰かを呼ぶ、そんな映像を最後に途切れた。




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