第4話 容易い心変わり

「次の雨の日、彼女から隠れてしまった。その後、このままでいけないと力と自信を付けるまでに数十年。探してみたものの、彼女の力を欠片も感じ取ることが出来ないのです」


「——吉郎様」


 ヤガクク様がそこまで語った所で、いつの間にか俺の肩まで登ってきていたもちきちに声を掛けられハッと我に返った。


「あ、あぁ」


「また、ていましたぞ」


 ああ、道理でと思った。気がつくと俺の頬を涙が伝っていた。

 俺が袖で涙を拭い終わると、もちにちは元の場所へ戻る。


 俺はしっかりと視たのだ。山神様の美しい姿もヤガクク様の恋心も立場の違いを思い知らされた彼の絶望も。


「君は優しいのですね」


 ヤガクク様の柔和な笑みを見て、彼が本当に神様なのだと改めて認識する。


「さて、話を聞いてもらい少し心が晴れました。もう一度自分で探してみます」


 最後に麦茶を飲み干し、「さて」と膝に手を着いたヤガクク様を思わず引き止める。


「待ってください」


「どうされました?」


「えっと……」


 不思議そうに首を傾げるヤガクク様と目が合い言葉に詰まった。

 先程彼に告げたことを撤回し、手伝わせて欲しいと言いたい。だが、何故そんな心変わりをしたのか自分では分からず、言語化出来ない。

 こんな所で人付き合いを避けてきたことの弊害が出てしまうとは。


「私共の方でも何か分かればヤガクク殿を訪ねさせて頂きます」


「おお、それは助かる。それではまた」


 何も言えなくなった俺に代わり、もちきちが何やら申し出て、ヤガクク様はそれを快く受け入れた。

 そして、ヤガクク様は背後のベランダへ続く窓を開け、そこから外へと姿を消した。


「これで良かったですかな?」


「ああ、ありがとう」


「あまり人ならざる者に心を許すべきではありませんぞ。ヤガクク殿のように善なる者とは限らない」


「それを妖のお前が言うのか?」


「私は善なる者ですので」


 もちきちは、普段にも増して胸を張り、残りの麦茶を飲み干す。

 それに続くように俺も殆ど残っていた麦茶を一気飲みし、タンッと空のコップを机に置いた。


「もちきち、俺ヤガクク様を手伝うよ」


「私は忠告したばかりですが?」


「分かってる。でも……」


「でも?」


 きっと、俺は罰当たりにもヤガクク様に同情しているのだ。

 だが、それだけではない。


「俺は神様には神様らしくいて欲しいんだ」


 思ったことをそのまま口に出したが、理解出来なかったのか、もちきちの頭上には疑問符がいくつも浮かんでいる。


 もちきちやヤガクク様からすればただの人の子である俺からすれば、彼らは畏怖すべき対象だ。

 更に言えば、俺のように視えない人達にとっては本来居るわけのない空想上の存在で……。


「考えれば考えるだけ分からなくなってきた」


「はあ……」


「ええと、つまり」


 俺が言いたいことは——、


「頼るべき存在に後ろめたいことがあるのは、人の子としては困るんだよ。神様には完璧であってもらわないと」


「ヤガクク殿は、創造神でも主神でもありませんぞ」


「神様なのは変わらんだろ。それに、たまには人も神様の為に働かないと」


 ここまで言い訳を並べた所で、もちきちも諦めたのか肩を落とした。彼の姿に俺は、思わずニヤリと口角を上げていた。



***


 今日は少し肌寒い為、厚めのパーカーとジャージ。持っている服の色はほとんど白黒灰でとても地味。その上、今日は忘れずサングラスを掛けているので、姿見に写った自身を見て、思わず苦笑いを浮かべる。


「それで今日はどちらへ?今日は土曜日ですぞ?」


 スリッパをつっかけ玄関扉の取っ手に手を掛けた時、右肩からもちきちの声が聞こえた。


「ん?ヤガクク様のとこに行く」


「場所は分かるので?」


「とりあえず最寄りの神社に行ってみる。そこが違ったら……その時だな」


 もちきちのため息が聞こえた気がしたが、気にせずパーカーのポケットからスマホを取り出し、地図アプリを開く。


 まず、神社とだけ端的に入力し検索をしてみたが、最寄りの所で三キロメートル位。徒歩でおよそ四十分。


「遠いなぁ……」


 口から漏れ出た声は、思いの外か細かった。

 この程度なら歩くべきなのだろうが、ここが違った場合を考えると——、


「……よし」


 俺は、一旦スリッパを脱いで居間へ戻り、ちゃぶ台の中央に置いてある車のキーを手に取った。


「程々に運動してください」


「……あ、あぁ」


 もちきちの圧に自然と顔が左へ動いていた。


 気を取り直し、スリッパをつっかけ外へ出ると、サングラス越しに飛び込んできた光が痛かった。

 一瞬、本気で今日はやめとこうかな、なんて考えが頭を過ぎる。


「行くか」


 階段を降りて駐車場の片隅に停めてあるオンボロの灰色の軽自動車へ乗り込み、キー差し込み思い切り回す。

 俺がシートベルトを締めている間、もちきちは俺の右肩から定位置の肘置きへ移動していた。

 そのままノロノロと駐車場から道路へと出た。


「この車という物はとても便利ですね」


「この辺りで住むなら必要だろうって四辻よつじさんが」


 「本当にこんなのでいいの?」と心配そうに眉をひそめる四辻さんの顔が浮かび、ふふっと声が漏れ出る。


明乃あけの様に感謝ですね」


 四辻明乃よつじあけのさんは、血の繋がりもないのに俺を引き取ってくれた年齢不詳の見た目初老の女性だ。

 俺の祖父母の古くからの知人であること、家族が居ないこと、かなりの財産を保有していること、俺と同じく人ならざる者が視えていること以外、俺は彼女のことを何も知らない。

 俺からすれば、ただ親切なおばさんだ。


「そろそろ目的地です」


 俺のスマホをふむふむと見るもちきちの指示に従い、ハンドルを切った。


 何度か失敗を繰り返し、駐車するだけで疲弊する。

 少し重い足取りで駐車場から出て鳥居を潜ると、数え切れない程のカエルの置物が俺の視界に飛び込んできた。


 その中の一番近くにある物へ近づく。

 その置物は、誰もが想像するカエルの座り方をしており、服も着ている。まるでヤガクク様の家来みたいだなんて思い、少しおかしく思えた。

 すると次の瞬間、石を思わせる灰色と固くザラザラとした質感が、瞬く間に瑞々しい鮮やかな緑色に変化する。そして、そのカエルの置物は、すっと立ち上がった。


「お待ちしておりました、吉郎様、もちきち様。ヤガクク様からお話は伺っております」


 身の丈およそ七十センチメートルの服を着たアマガエルは、俺達へぺこりと頭を下げ、「どうぞこちらへ」とスタスタと奥へと歩き出す。


 俺は、一度右肩に乗るもちきちと顔を見合わせてからそのアマガエルに着いて行く。

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怪に解は求められない 薊野きい @Gokochi_Shigure

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