第10話 狩り②
日が落ち、あたりが暗闇に包まれた頃。
セイは、表から聞こえてくるわずかな物音に気づいた。
「ミーナ、灯りを消せ。すぐに」
「え――」
ミーナは驚きつつも、すぐにランタンの火を消した。
廃屋の中が、暗闇に包まれた。
セイは壁際に移動すると、その隙間から外の様子をうかがった。
離れたところに、いくつもの灯りが見えた。
おそらく、旧市街の入り口あたりだ。
背筋が凍った。
とうとう民たちが、この旧市街までやってきたのだ。
灯りの数は、一つや二つではない。おそらく数十名規模。
(まさか、つけられていた?)
セイは昼間のことを思い出した。
それはないと、断言できる。
セイはこの場所だけは悟られないよう細心の注意を払っていた。
となると――考えられることは一つ。
ここ以外の、すべての捜索を終えたということだ。
民たちは、入り口付近の家から順々にドアをこじ開け中を調べていた。
「あの、セイ様……」
「しっ――」
セイは口元に人差し指を当てた。しゃべるな、ということだ。
民たちは、二人が潜む廃屋まではわかっていないようだ。
だが、ここにたどり着くのも時間の問題だった。
民たちは次々とドアを蹴り破り、中へと踏み込んでいく。一つの家を調べるのに数分もかからない。そうしている間にも、また別の家のドアがこじ開けられている。
状況は、限りなく切迫していた。
民たちが近づいてくるにつれ、その会話も聞こえてきた。
「――ザッパスさん、本当にこんなところにいるのかい」
若い男と話しているのはザッパスだった。
「間違いない。街の中はすべて探した。ここ以外ありえない」
「でも逃げているのはヨソ者と貴族の娘だろ。こんなところに来るのかね。このあたりなんて俺たちだってろくに知らないんだぜ」
「いや……ところがそうでもないんだ。聞いた話では、ヴィルヘルミナの母親は若いころにここに住んでいたらしい。娘がその時のことを聞かされていても不思議はない」
ザッパスが話している間も、捜索は続いている。
もう、だいぶ近いところまで来ている。
セイは息を殺し、彼らの動向を見ている。
気がつくと、ミーナがすぐ隣りにいた。
ミーナは青ざめた顔をして、セイと同じように表を見ていた。
再び、彼らの声が聞こえてきた。
「くそ、全然見つからねえ。本当にこんなところにいるのか」
「おい、家の中だけじゃなくてその周りもきちんと調べろ。どこに潜んでいるかわからんぞ」
手当たり次第とは、こういうことをいうのだろう。
民たちの持つ灯りの数は、どんどん増え続けている。
もはやその数を数えることもできない。
彼らは、草の根をわけてでもセイたちを探し出すつもりでいた。
そして――とうとう彼らはセイたちが潜む一角にたどり着いた。
もう、いくばくの猶予もない。
物音の一つでも立てればたちまちに気づかれ、彼らは一気になだれ込んでくるだろう。
鼓動の音が、やけに大きく感じた。
ミーナの怯えたような息遣いだけが聞こえていた。
(――逃げ切れるか。この人数を相手に、ミーナを連れて)
セイ一人であれば、この状況でも何とか逃げられる自信があった。
昼間と違い今は夜だ。闇夜に紛れることができれば、追っ手をかわすことも可能と思われた。
だがミーナを守りながらとなると、セイはその自信を持つことができなかった。
それでも――セイの中にミーナを見捨てるという選択肢はなかった。
ミーナは、セイを助けたが故にこの状況に追い込まれたのだ。セイは命に代えても守り抜くつもりでいた。
一つの廃屋が調べ終わり、彼らは次に移った。
もう、すぐ隣りだ。
激しい物音が断続的に聞こえる。彼らはかなり乱暴に家の中を調べているようだ。
そこが終われば、次はここ。
セイは頭の中で脱出する手順を考えた。
彼らがドアをこじ開けた瞬間、一人を斬り捨てる。彼らの中で刹那の動揺が広がる。その間に更に数人を斬り捨て、パニックにおとしいれる。あとは、その混乱に乗じてミーナを連れて脱出する。
イメージするのは簡単だ。
だが実行に移すとなると、予測不能なことが起こるのが世の常だ。
(――それでもやる。やるしかない)
セイの手が、刀に触れた。
静かに、音もなく刃が抜かれていく。
ミーナも、セイの意図に気づいたようだ。
ミーナが、小さく首を振った。
――殺さないで。
ミーナはそういっていた。
その願いは、聞けなかった。
セイは、生き残るためなら何でもする。
ミーナのような慈愛の心など、セイはとっくに捨て去っていた。
やがて、捜索を終えた者たちが隣の廃屋から出てきた。
「ダメだ、ザッパスさん。暗くてよく見えねえよ。これじゃいたとしてもまた逃げられちまうよ」
「そんなこといったって、今日中に見つけなければまた誰かが殺されるんだぞ。探すしかねえだろうがよ」
ザッパスの隣にいた若い男が嚙みついている。
「だからいたとしても逃げられるっていってんだ。そもそも、ここにいると決まっているわけでもねえ」
彼らは、いさかいをはじめてしまった。
彼らも、疲れているのだ。丸一日に渡る捜索に加え、焦りからくる精神的な疲労もあるだろう。
そこに何人かが加わり、騒ぎは更に大きくなった。
見ていられなくなったのか、ザッパスが止めに入った。
「おい、やめろ。俺たちがケンカをしてどうするんだ。仕方がない。今日はいったんここで引き上げるぞ。続きは明日だ」
「でも、ザッパスさん。そうしたらまた誰かが……」
「それなら心配ない。今日のところは生贄を用意した。明日中に見つけられれば問題ない」
ザッパスは自信ありげにいった。
生贄――その言葉に不穏なものを感じたが、それが何かまではセイにはわからなかった。
彼らはしばらくそこで話していたが、やがて撤収が決まったようだ。
あふれかえっていた灯りが、徐々に遠ざかっていく。
セイは彼らが完全にいなくなったことを確認して、ようやく息をついた。
「――とりあえず、しのげたようだ。だがこのままだと明日にも見つかるな……」
さすがのセイも、追い詰められていた。
数の暴力の前では半端な力など無きに等しい。
仮にこの場を逃げられたとしても、彼らはどこまでも追いかけてくるだろう。その背後にモーゼズがいる限り、ずっと。
セイは、どうすればいいか必死に考えていた。
だが打開策を見つけられないでいた。
この時セイは、余裕を失っていた。
だから、だろう。
ミーナのことを、気づいてやれなかった。
「セイ様……あの……」
この時ミーナは、何かを言おうとしていた。
それはとても小さな声で、セイには聞こえていなかった。
思案に暮れるセイを見て、結局ミーナは口を閉ざしてしまった。
聞いてあげるべきだった。
何が何でも、ミーナの話を。
ミーナはこの時、一つの決断をしようとしていた。
もしそれをセイが聞いていたなら、無理やりにでも止めていただろう。
だがセイには――それができなかった。
ミーナの苦しみも、その辛さも、わかってやれるのはセイだけだったというのに。
それが大きな後悔となるのは、もう少し後のことだ。
ベルク城の執務室では、ザッパスがモーゼズに頭を下げていた。
「……なるほど。つまりあなたがたは今日もイストリム人を見つけられなかったと、そういうわけですね」
モーゼズは例によって領主の椅子に座っている。クルスはその隣に立たされていた。
「……はい。ですが先ほども申したように、一度は発見しあと一歩のところまで追い詰めました。だが思いのほか逃げ足の速い男でして」
ザッパスは説明に苦慮している。
丁寧な物腰のモーゼズだが、その名状しがたい威圧感は相対した者でないと分からない。
「ザッパスさん、それはね、言い訳というんですよ。私は言い訳は好きではありません。捕らえることができなければそれは見つけていないのと一緒です。むしろ状況は悪くなったといっていい。そのイストリム人は、あなたがたを警戒してしまった」
セイを捕まえられなかったからといって、彼らに罪はない。
セイを求めているのはモーゼズであって、本来民たちは無関係なのだ。
だがモーゼズはその責任を民に押し付けていた。
「まったく……情けない話ですよ。あれだけの人間を動員しておきながら、イストリム人ひとり見つけられないのですから。私はね、呆れてものが言えません。あなたがたがそんなでは、今日も民を
モーゼズはそういってザッパスをなじる。
ザッパスは内心腹が立った。
この男、なんだかんだといって人を殺したがっているようにしか見えない。
(異常者め。好き放題いってくれる……)
だがモーゼズがそういう人間だと、ザッパスはすでにわかっていた。
だからザッパスは、その対策も考えていた。
「……そのことですが、モーゼズ様にご提案があります」
ザッパスは小さく合図をした。
するとすぐに執務室の扉が開き、二人の男が引きずられてきた。
「これは……何でしょうか」
モーゼズは首をかしげた。
引きずられてきたのはリックとディーンだった。
二人は、すでにボロボロになっていた。両手はきつく縛られ、体中のいたるところから血を流していた。
これこそが、ザッパスのいう生贄だった。
「イストリム人を取り逃がしたのは、この二人のせいでございます。この者たちはイストリム人を見つけておきながらそれを逃がし、あろうことか私たちに嘘の情報を流しました。それさえなければ、イストリム人は今頃あなたにお渡しできていたことでしょう。この愚か者たちを、モーゼズ様の手で裁いてはいただけないでしょうか」
リックとディーンのしたことは、民たちにすぐにばれていた。
彼らは手酷く痛めつけられ、モーゼズのオモチャとなるべく、ここに連れてこられたのだ。
「ほう……つまりイストリム人の仲間を捕らえることができたと、そういうわけですか」
「その通りでございます。私たちとて、何もしていなかったわけではありません」
言葉遣いからわかるように、ザッパスはモーゼズに服従を示していた。
ザッパスはこれでなかなかの切れ者である。モーゼズに逆らうことの危険性をすぐに感じとっていた。
モーゼズは、少し考える素ぶりを見せた。
「しかし、よろしいですか。見たところこの者たちはベルクの民でしょう。それを私に渡してしまっても」
「無論、私とて心苦しい限りでございます。ただ私たちはベルクの民であると同時に、偉大なるアルカディア帝国の民でもございます。帝国のためを思うならば、いかなる犠牲もいとわない覚悟がございます」
ザッパスは思ってもいないことをいった。
この者たちがヨソ者であることは、すでに調査済だ。ヨソ者がどうなろうとザッパスの知ったことではない。
ザッパスは、モーゼズを利用してやろうと考えていた。
この男は明らかに異常者だが、考えようによっては使い道もあるのだ。
――邪魔者を、都合よく消し去ってくれる。
場合によっては、役立たずのクルスを排除するのも悪くない。そうすればこのベルクは、モーゼズが去ったあとザッパスの天下となる。爵位の授与すらありえると、ザッパスは見込んでいた。
(バカとハサミは使いようだな)
「素晴らしいですよ、ザッパスさん」
モーゼズは大きな拍手をした。
「私はね、あなたのことを勘違いしておりました。非協力的な人間だと、勝手に思い込んでおりました。私はね、自分が恥ずかしいですよ。あなたは、まさしく帝国民の模範です。ねえ、クルス卿。あなたもそう思いませんか」
モーゼズがクルスにいった。
何を言っているのだ、クルスは顔をしかめた。
民が民を殺そうとしているのだ。これが異常でなくて何なのだ。
狂っている。モーゼズも、ザッパスも。
「では、この者たちはモーゼズ様にお渡しします。あとは好きなだけ
リックとディーンが、モーゼズの前に差し出された。
「うれしいですねえ。どれ、拝見させてもらいますよ」
モーゼズは椅子から立ち上がると、二人の顔を覗きこんだ。モーゼズの醜悪な顔を間近で見て、二人は震えあがった。
「ゆ、許してください……お願いします……」
「お、俺は止めたんです。だけどこいつが勝手に……」
二人の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「いいですねえ。この恐怖に歪んだ顔、そそりますよ。若い男というのもポイントが高い。ザッパスさん、さてはあなた、私の好みを知っておりますね」
「もちろんでございます」
ザッパスは適当にうなずいてみせた。
(狂人め……)
心の中ではモーゼズを軽蔑しながら。
「では早速尋問を開始したいといったところですが――ザッパスさん、その前に一つだけよろしいでしょうか」
「はい、何でしょうか」
「この二人、何でこんなに傷ついているのですか。すでにボロボロじゃないですか」
「それは……まあ、私たちでも罰を与えておりまして……」
「おやおや……それはいけませんよ、ザッパスさん」
モーゼズは大げさな様子でいった。
「私はね、こう、何ていうのでしょうか。まっさらな雪を踏みしめるのが好きなんですよ。他人が踏みにじった後のものには興味が持てないんです。いやはや、残念です。あなたならそこまでわかってくれると思ったのですが。ああ、別に責めてはいませんよ。言ってなかった私が悪いんです。ですがまあ、そういうわけですので、この二人は結構です。あなたにお返ししますので、どうぞ連れて帰ってください」
「え……いや……ちょっと」
ザッパスは困惑した。今さら何をいっているのだ。返されても困る。
「それではモーゼズ様、今日の尋問は……」
「それはもちろんしますよ。当然じゃないですか。でもよかったですよ、ザッパスさんのような協力的な方がいて。あなたが先ほどいった言葉、私は感動しましたよ。『帝国のためならばいかなる犠牲もいとわない』。こんなこと、なかなかいえるものではありません。あなたは帝国民の模範――いや鑑ですよ」
そしてモーゼズは、ザッパスにいった。
「そういうわけですので、ザッパスさん。
モーゼズは、狂気の笑みを浮かべていた。
ザッパスの考えていることなど、モーゼズはすべてお見通しだった。
――この私をあなどるから、こういうことになるのです。
「そんな、モーゼズ様、ちょっと待ってください!」
ザッパスは慌てて止めようとした。だがモーゼズに通用するはずがなかった。
「ラギ、ガノ、グイ、この者の家へと行き、その家族を連れてきなさい。妻と娘がいるはずです」
モーゼズは、すでにザッパスのことを調べ上げていた。
ザッパスの失敗は、モーゼズをただの異常者と決めつけていたことにある。
そのような者が、今の地位にいられるわけがない。
モーゼズは相手の心理を読むことに抜きんでた才能を持っていたのだ。
「モーゼズ様、お願いします、どうか、どうか」
ザッパスはひざまずき懇願した。
だがモーゼズはそれを見下ろし、さも楽しそうにいった。
「ザッパスさん、今夜はあなたを特等席にご招待いたします。どうぞ、妻と娘の晴れ舞台を楽しんでいってください」
その夜、モーゼズはザッパスの見ている前で妻と娘を拷問した。
ザッパスは泣きながら許しを乞うたが、モーゼズは一切の容赦をしなかった。
自分をあなどった者への見せしめ。
その夜のモーゼズの拷問はとりわけ激しいものだった。
すべてが終わった後、ザッパスの心は壊れていた。
苦しみ。悲しみ。焦燥。そして絶望。
あらゆる感情がこのベルクで渦巻き、やがてピークをむかえようとしていた。
その中心にいるのは、セイとモーゼズ。
邂逅の時は、近づこうとしていた。
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