第9話 狩り①
夜が明けて。
ベルク城前の広場には、再び人だかりができていた。
城壁に、また死体が吊るされていたのだ。
死体は、街の大通りで商店を営む初老の男だった。
男の死体は四肢を切断され、更に口には豚の汚物を詰めこまれるという、あまりにも惨たらしいものだった。
「どういうことだ……」
「この街で……一体何が起こっているんだ」
民たちは、パニックに陥っていた。
二日連続で死体が吊るされ、そして今回も城からの説明は何もなかった。
エリアスの時と違い、兵士たちは死体を回収しようとせず、男の死体は野ざらしのまま放置されていた。
城門の前には二人の兵士がいたが、彼らはそれを見てみぬ振りをした。
民たちは問い詰めたが、兵士は何も語らない。知らぬ存ぜぬを繰り返すだけだった。
――城で、何か異変が起きている。
民たちも、ようやくそのことに気づきはじめた。
「クルス様! これはどういうことですか!」
執務室に入ってくるなりクルスに詰め寄ったのは、ザッパスという中年の男だった。
ザッパスは二年に一度行われる街の選挙で代表となった者で、このベルクにおいては、唯一領主であるクルスと対等に話せる立場にあった。
「……何の話だ」
クルスはザッパスを見ると、露骨に目をそらした。
「とぼけないでいただきたい。昨日はエリアス様が、そして今日は街の商人が吊るされておりました。どういうことか、説明をしてください」
ザッパスは昨日も城に来ていたがクルスに会わせてもらえず、そして今日も追い返されそうになったため、半ば強引にこの執務室まで乗り込んできていた。
「……俺は、知らん。他の誰かがやっていることだ」
クルスは、言葉をにごした。ザッパスの目を見ようともしない。
このあまりの無責任な発言に、ザッパスは怒りをにじませた。
「ふざけないでください。あなたでないというのなら、他の誰があんなことをできるというのですか」
ザッパスの怒りはもっともだった。
城がこの件について何も説明をしないため、民たちはザッパスのもとへと殺到していた。
ザッパスの役目は、民たちとクルスの間に入り、取りなすことにある。
ザッパスは、この問題について知る権利があった。
「……おやおや、ずいぶんと威勢のいい方が来ましたね」
モーゼズだった。
モーゼズはクルスの椅子に悠然と座り、二人のやりとりを見ていた。
「誰だ、そなたは。そこはクルス様の席であろうが」
ザッパスは不審な男――モーゼズを見て、更に怒りをにじませた。
「お譲りいただいたのですよ、クルス卿からね。私は本国からの使者で、名をモーゼズと申します。以後、お見知りおきを」
モーゼズは例によって慇懃な態度を見せる。
ザッパスはますます不信感を募らせた。
――この男が何か絡んでいるのか。
それはザッパスでも予想がついた。
「先ほどの質問ですが、私からお答えさせていただきます。死体を吊るしたのは私です。理由は、彼らが我が帝国への反逆者を隠匿したからです。彼らは何もしゃべらなかったため、ああいうお姿になりました。大変残念なことですね」
モーゼズは笑顔のままさらりと言った。
「反逆者? 隠匿? いったい何をいっているのだ」
ザッパスは意味がわからず、眉をひそめた。
「おや、あなたは知らないのですか。我が帝国の貴族を殺害したイストリム人が、このベルクに身を潜ませているのです。私はその調査を担当しておりまして、共謀の疑いのある方を
「バカなことを抜かすな。今朝殺されていた者と昨日私は会っていた。イストリム人のことなど何も話していなかったぞ。デタラメであろうが」
ザッパスは怒っていた。
殺された商人とは旧知の仲で、よく知る人物でもあったのだ。それゆえに、イストリム人を匿うなどありえないと分かっていた。
「そんなことを言われましても、私はただ疑いのある方を
モーゼズはわざとらしく欠伸をしてみせた。
――この男は、何をいっているのだ。
ザッパスは空恐ろしいものを感じた。
「……つまり、そなたは確たる証拠もなしに彼を捕まえ、そして殺したというのか」
「身も蓋もない言い方をすれば、そうなりますね」
モーゼズはまるで他人事のようにいった。まるで悪びれた様子もない。
「……めちゃくちゃだ。そなたのいっていることは、明らかにおかしい。クルス様、この者は異常者です。即刻処刑すべきです」
ザッパスはクルスに訴えた。
だがクルスは目を伏せ、口をもごもごと動かすだけだった。
「クルス様!」
煮え切らないクルスに対し、ザッパスは怒りを爆発させた。
「クルス卿の許可は得ておりますよ。クルス卿も、やむを得ないといっております。一応いっておきますがね、私だってこんな面倒なことはしたくないんですよ。でも、仕方ないじゃないですか。
そしてモーゼズは、そのギョロリとした目で、ザッパスを見た。
「私のいっている意味が、理解できますか」
ザッパスは、考えた。
そして、ようやく理解できた。
「――探せといっているのか。殺されたくなければ、我々の手で、そのイストリム人を」
モーゼズは、にんまりと笑った。
「お分かりいただけたようで、うれしいです」
部屋から追い出されたザッパスは、しばらくの間、扉の前で茫然としていた。
(これは、大変なことになったぞ)
頭のおかしい異常者に、このベルクは乗っ取られているのだ。
クルスは、もう駄目だ。あの男に逆らうことができない。
どうする。どうしようもない。
あの男の言う通り、そのイストリム人を見つけ出すしかない。
そうしないと、この街から人が消えてしまう――。
城を出たザッパスは、すぐに大規模な捜索隊を組織した。
事情を説明した際、民たちからは怒りの声もあがったが、結局のところどうすることもできなかった。
領主であるクルスが、それを認めてしまっているからだ。
この時点では、民たちも半信半疑だった。
モーゼズを直に見ていないため、その異常性がわからなかったのだ。
結果として、この日の捜索は空振りに終わった。
セイたちが旧市街に隠れていることを、誰も気づけなかったのだ。
そうして、夜が明けた。
翌朝になって、民たちはモーゼズが本気であることを知った。
モーゼズは、容赦という言葉を知らなかった。あるいは寛容という言葉も、モーゼズの中には存在しなかった。
翌朝、城壁の前で民たちが目にしたのは、吊るされた若い夫婦の惨殺体だった。
その死体は、これまで以上に悲惨なものだった。
夫は全身の生皮を剥され、その陰部は鋭利な刃物で切り取られていた。妊娠中だった妻はその腹を縦に切り裂かれ、足元には潰れた芋虫のような胎児がゴミのように捨てられていた。
それを見た民たちは、言葉を失った。
「なんてことだ。ザッパスさんの言った通りじゃないか……」
民たちは、ようやく自分たちの置かれた状況に気が付いた。
イストリム人を見つけなければ、自分たちが殺される。
モーゼズは、本当にためらいもなく人を殺すのだ。
民たちの恐怖はまたたく間に街中に伝播し、それはやがて焦りへと変わっていった。
そしてもう一つ、民たちの間ではある噂が流れはじめていた。
「イストリム人を連れて逃げているのはヴィルヘルミナ様らしい」
「様なんてつけんなよ。あの女がエリアス様を裏切り殺したそうじゃないか」
「すべての元凶はあの女にあるって話だ」
「薄汚い女め。しょせんはイストリム人か」
ミーナの悪評は、すでに街中に広がっていた。
無論それはモーゼズによって流されたものだ。
ミーナをスケープゴートにすることで、民たちの怒りを自身からそらしたのだ。
その卑劣な策略に、民たちはまんまと嵌ってしまっていた。
死体に群がる群衆から少し離れたところに、フードで顔を隠した一人の男がいた。
セイだった。
セイは状況を確認するため、密かに街に入り込んでいた。
(まずいことになったな……)
セイは舌打ちしたい気持ちを懸命にこらえた。
相手は、想像以上に狡猾なようだ。
まさか民を追跡の道具にするとは思わなかった。
(ここは危険だ。早く立ち去った方がいい……)
セイは群衆から背を向けた。
戻ったら、このことをミーナに伝えなければならない。
ミーナは、まだエリアスの死から立ち直れていない。それを思うと、気が重かった。
歩き出したセイは、人々の間を縫うように進んでいく。
誰もが死体に気を取られ、こんなところにセイがいるとは夢にも思わなかった。
だが、物陰にいた一人の男が、セイを見ていた。
「……なあ、あんた。珍しい剣を持ってるな」
セイは、腰に布で隠した刀をさしていた。
さすがのセイでも、丸腰で敵地のど真ん中に来ることはできなかった。
男は、うろんそうな目をセイに向けていた。
「あんた、ちょっとだけ顔を見せてくれないか。確かめるだけでいいんだ」
その瞬間――セイは駆けだした。
男は慌てて叫んだ。
「いたぞ! イストリム人だ!」
(くそ――)
セイは人々でごった返す広場を全力で走っていく。
捕まったら終わりだ。
後ろは振り返らなくても分かった。
すさまじい怒号と共に、群衆がセイを追いかけてきていた。
「捕まえろ!」
「嬲り殺しにするんだ!」
広場を抜け出したセイは逃走ルートを探した。
大通りは危険だ。セイの脚力をもってしても、大勢の群衆に囲まれては逃げきれない。
となると――。
セイは路地裏に入りこんだ。
群衆を振りきるには少しでも人の少ないほうを目指すしかなかった。
鍛え上げられたセイの足は、少しずつ群衆を引き離していく。
とはいえ、群衆の数はみるみる増え続けている。逃げきるのは困難だった。
いくつもの路地をあみだのように抜けたところで、セイは少しだけ走りを緩めた。
後ろの状況を確認するためだ。
「――あれ、あんた……」
偶然その路地に居合わせた二人組が、セイを見つけた。
「あんた……アレだよな。馬車で一緒だった」
セイも、知った顔であるとすぐに気が付いた。
そこにいたのは、リックとディーンだった。
(まずいな……)
この二人はセイがイストリム人であると知っている。言い逃れもできない。
「――おい、どっちにいった!」
「絶対に逃がすな!」
一方で背後からは群衆も迫りつつあった。
(仕方がない)
セイの左手が刀に触れた。
考える時間などない。
生き残るためには、この二人を斬るしかなかった。
腕の状態はまだ万全ではない。だがこの二人を斬れる程度には握力も回復していた。
セイが、動こうとしたその時だった。
状況を察したリックが、早口にいった。
「――あんた、早く逃げろ」
「お、おい、待てよ。こいつだろ。昨日から街の連中が探してるのって」
止めようとするディーンを、リックが怒鳴りつけた。
「バカ野郎。俺たちは命を救ってもらってるんだぞ。あんな連中に渡せるかよ!」
セイにとっては気まぐれで救った命でしかなかった。
だがリックは恩を感じていた。
「早くいけよ。ここは俺たちが何とかするから」
世の中も捨てたものではない。この時ほどそれを感じたことはなかった。
「恩に着る――」
セイは再びかけだした。
「知らねえぞ。俺は……」
ディーンの困惑したような声だけが、背後から聞こえた。
リックとディーンは、上手くやってくれたようだ。
そこから群衆の追跡は途切れた。
セイはひと目につかぬよう注意しながら進み、時間はかかったものの、どうにか旧市街まで戻ってくることができた。
ミーナは、ずっとセイの帰りを待っていた。
ドアを開け入って来たセイを見ると、ミーナはほっとしたような表情を見せた。
「セイ様……」
「――ミーナ。かなりまずいことになっている」
セイは、街でのことを話した。
二人を追い詰めるため、民が殺されていること。
セイの正体がばれ、群衆に追いかけられたこと。
リックとディーンのおかげで何とか振り切れたこと。
「そんな……」
ミーナは、絶句した。
街の状況は、二人が想像していたよりもずっと酷いことになっていた。
「もう、街には行けそうもない。顔を隠したところですぐに見つかってしまうだろう」
すでにセイの背格好は民たちにばれている。もはや顔を隠してもどうにもならない。
二人は、途方に暮れた。
とにかく今は、ここで時が過ぎるのを待つしかない。
時間が、何かを変えてくれることを祈るしかなかったのだ。
だがその日の夜になり、事態は急転した。
もちろん、悪い方へと――。
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