逆鱗に触れた愚者

 初冒険の達成感をひとしきり味わったリサは、自分が星見草ミラビリスを採取しに来たことをようやく思い出した。


(見とれてる場合じゃないよ。早く採集しないと)


 足を踏み入れることも躊躇われる美しい花畑。

 リサは一番端に咲いていた一輪へ手を伸ばした。


「わぁ……」


 摘まれてもなお白銀の花弁は輝きを失わない。

 その奥からはキラキラとまばゆく輝く花粉が蓄えられており、その奥には蜜が溜まっているのが見える。


「んっ……!」


 思わず花に吸い付き蜜を吸ってみる。

 舌に触れた瞬間、そこから痺れるような甘さを感じた。

 ゆっくりと飲み込めば、喉を熱く燃え上がらせ、腹の奥底でその存在を主張する。

 疲れ切ってへとへとだったはずなのに、それが一気に吹き飛び世界そのものが輝いて見える錯覚に陥る。

 暖かいベッドで熟睡した後のような、最高のコンディション。

 少し舐めただけでこうなるのだから、万病に効く、というのも強ち間違いではないのかもしれない。


「――これが栽培できれば、もっと多くの人が救われるかもしれないのにね」


 リサを暖かく見守っていたジークも星見草ミラビリスへ手を伸ばす。

 最高の秘薬となり得るのにマクシム山のこの環境でなければ育たないのがこの花の欠点だ。

 もし無事に持ち帰ることができれば、一輪売るだけで一年は遊んで暮らせる金が出に入る。


「そうですね……あっ」


 蜜を吸ったのとは別の花を摘んだ時、リサは気づく。


「……何輪摘めばいいんでしょう?」

「あっ」

「そうじゃん」


 ジークとディアンも遅れて気づく。

 依頼主の母親を救うために一体どれだけの星見草ミラビリスが必要なのだろうか?

 万病に効く、と言っても処方する量が少なければ病は癒えない。


「う~ん……ジークさん、その辺は」

「残念ながら」

「ディアンさんは……?」

「おれもそんなに詳しくない」


 詰めが甘いとは正にこのことだ。

 こればかりは当事者に聞かねばわからないことなのだ。


「リサ。どうして聞かなかったんだい?」

「だ、だって……聞けなかったというか、その……」


 少女の願いを受け、詳細な話を聞こうとした矢先――嫌味っぽい冒険者に横やりを入れられてしまった。

 そして散々魔法使いであることを馬鹿にされ腹に据えかねたリサは魔法で威嚇。

 騒ぎを起こしてしまったため逃げるように退散。


「あのジジイ……!」

「災難だったねぇ……それなら仕方ない。採り過ぎない程度に摘んでおくしかないね」

 

 ジークはリサが冒険者登録できなかった詳細を聞いて肩をすくめる。

 リサはリサで嫌なことを思い出してしまったためため息をつきながら星見草に手を伸ばし――


「ん?」


 一番最初に気づいたのはディアンだった。

 ただならぬ気配に洞窟の方へ視線をやる。


「――グルゥゥゥ!」


 唸り声が暗闇から響き渡る。


「まさか……ラヴァドラコが?」

「かもしれないね」


 のし……のし……と響く音が響いてくる。


「安心して。ラヴァドラコは温厚なモンスターだから、こちらが敵意を見せなければ襲ってくることはない……ハズさ」


 やがて足音の主――ラヴァドラコが姿を現す。

 竜種特有の発達した両翼、強靭な後足、体表は岩石のようにごつごつとしており、鱗の隙間はまるでマグマのように赤く輝いている。

 その瞳は爬虫類を思わせる無機質さだったが、心なしか怒りを抱いているようにも見えた。


「……あの、温厚なんですよね……?」


 どう見ても敵意満載なラヴァドラコを前に緊張感を覚えてしまうリサ。


「……繁殖期と、後は卵を盗まれたとき以外は、ね」

「……これはおれのカンだけど」


 ジークは誰かがラヴァドラコの逆鱗に触れたことを悟り、ディアンはその原因を直感的に理解した。


「どっかの馬鹿が卵盗んだんじゃねぇか?」

「その考えに一票――!」


 すぅ、とラヴァドラコが息を吸い込む。

 胸は膨らみ一層熱が発せられ、頭部を大きく逸らせている。

 それはブレスを放つ前の予備動作。

 リサたちを卵を盗んだ犯人と思い、攻撃を仕掛けに来ているのだ。


氷凍壁グラシエ・スクトム!」


 氷の壁が生まれたのとブレスが放たれたのは同時だった。

 分厚い氷はブレスを受けた瞬間から融解し始めあっという間に削れていく。

 大抵の炎系攻撃を完封できるはずの 氷凍壁グラシエ・スクトムだったが、ラヴァドラコのブレスはそれ以上だった。


「逃げるぞッ!」


 ディアンは自分のご都合ポーチアイテムボックスからグライダーのような乗り物を取り出しハンマーと合体させる。

 リサは咄嗟に星見草を数本摘んでご都合リュックアイテムボックスへ押し込む。


「しっかり捕まってろ――!」


 ディアンが加速装置のレバーを入れた瞬間、 氷凍壁グラシエ・スクトムが砕け爆発した。

 爆風に押されるようにしながら浮かび上がると滑空を始めた。


「油断したらダメだ。ラヴァドラコは卵を盗んだ犯人をどこまでも追いかけてくるからね」


 ジークは離陸するタイミングで煙玉を放ち目くらましをする。

 竜種のブレスは溜めが必要で連続で放つことはできない。それだけが不幸中の幸いだった。


「あっ……」


 去り際にリサは星見草ミラビリスの花畑がブレスと魔法がぶつかったせいで無残な姿になっているのを目の当たりにする。

 ほとぼりが冷めてから戻ったところでもう咲いている花は残っていないだろう。


 夜空をグライダーで滑空する一行。

 ラヴァドラコが追いかけてくる気配はなかったが、油断はできない。

 竜種の飛行性能はモンスターの中でもトップクラス。気づいたときには追い付かれ攻撃されているかもしれないのだ。


「……さて、悪い知らせと悪い知らせがある」

「いい知らせはないんですか……?」


 ディアンは心底申し訳なさそうな表情で舌を出す。


「悪い知らせその①――ブレスの余波で諸々イカれた。とりあえずブレーキが効かないのは確かだ」

「もう一つは?」


 ジークは悲鳴を上げているグライダーの羽を見てもう一つの悪い知らせを察したが、違うことを祈って問いかけた。


「悪い知らせその②――このグライダーは一人乗りでさ。三人乗って重量オーバーしてる」


 その瞬間、グライダーの羽が外れ空の彼方へ吸い込まれていった。


「あっ」

「あっ」

「だよな~……」


 つまり、三人が安全に地上へ降りる手段が壊れてしまったという事である。


「ここまでか……ま、悪くない人生だったかな」

「縁起でもないこと言わないでくださいよッ!」


 早くも人生を諦めようとしているジークを嗜めるリサ。


「落ちたら痛いんだろうな……」

「痛いじゃ済みませんよ!?」


 如何にドワーフが頑丈な種族であっても空から落ちればひとたまりもない……はずだ。

 リサはどうにか助かる方法が無いか頭を巡らせる。

 魔法だ。こういう時にこそ魔法が役に立つはずだ。


「えーっと。あれは無理だし……これもダメ?」


 どうにか全員が五体満足で助かる魔法が無いか頭をフル回転させる。

 今まで読み漁った魔導書を思い返し――


「――緊急浮上エマージ!」


 急激に落下速度が緩和し、リサの体が空中に浮かび上がる。

 同時にジークとディアンの体も急減速しふわり、と漂う。


「……流石だね。信じていたよ」

「走馬灯眺めていた人が何言ってるんです?」


 いかにも仲間を信じていました風を出しているジークを冷ややかな目で見つめるリサ。


「ところで、魔法の効果時間は?」

「あ、もう切れますね」


 リサのかけた緊急浮上エマージは体を浮遊させモンスターの攻撃を回避するための魔法だ。

 攻撃を回避できる一瞬の隙を作れればいいので魔法の効果時間は長くない。


「それを早――わっ!?」


 抗議しようとしたジークだったが、すぐに森へ突入し枝をへし折りながら落下した。

 リサは緊急浮上エマージを駆使しならがら、ディアンは上手く受け身を取りながら着地した。


「……リサ、何か言うことは?」

「魔法の勉強した方がいいですよ」

「そうじゃないだろう……」


 ジークは痛みに呻きながら木から滑り下りた。


「ジークさんなら、あの高さから落ちても大丈夫だと」

「大丈夫だけどもう少し安全に落ちたかったの!」


 彼は拗ねたように口をとがらせそっぽを向いた。

 子供っぽい仕草にリサは苦笑しつつも、無事にマクシム山から生還したできて胸をなでおろす。

 ギルドに帰るまで油断はできないが、ラヴァドラコに命を狙われている状況からは解放されたとみていいだろう。


「ラヴァドラコ、もう追ってこれないですよね」

「どうだろうね。俺たちを卵を盗んだ犯人だと思っているなら、地の果てまで追ってくるはずさ」

「ひぇ……」


 リサは思わず空を見上げた。

 木々に覆い隠されたその向こうで、もしかしたらラヴァドラコがブレスを構えて待っているのかもしれない。


「大丈夫さ。奴らは頭いいし、おれたちが盗人じゃないってのは分かってるだろ……多分」

「ホントかなぁ……」


 ディアンの無責任な発言にリサは怪訝な目をしていた。

 だが彼らに迫っていたのは、ラヴァドラコの脅威ではなかった。


「――――うわぁぁっ!」


 悲鳴が響き渡る。

 誰かがモンスターに襲われているのだ。


「――だ、誰かっ!」


 三人は互いに顔を見合わせる。

 助けを求められて無視できるほど彼らは非情ではなかった。




――――――――


 ――時は少しだけ遡る。


「あ、あの……本当に大丈夫なんですか?」


 冒険者チームの魔法使い――リサがギルドで目撃した、時代遅れと笑われていた少年だ――のアレイは仲間のしでかしたことの重大さに肝を冷やしていた。


「うるせぇなぁ……留守を狙ったんだから大丈夫に決まってんだろ」


 パーティ入りを断られること数十回。遂に入れてもらえたパーティはとんでもない悪党だったのかもしれない。

 彼らはアレイが星見草ミラビリスを採取している裏でラヴァドラコの卵を盗み出したのである。

 正直、星見草ミラビリスが欲しかっただけのアレイはこの冒険が終わったらパーティを抜けようと決意していた。


「それに――魔弾はまだまだたんまりあるんだぜ? ラヴァドラコなんて余裕っしょ」

「俺たちがラヴァドラコの初討伐を飾っちゃったりして……ぎゃははは!」


 下品な笑い声にアレイは深いため息をついた。彼らは魔弾の力を過信し、すっかり油断してしまっている。


「――――?」


 そんな癇に障る笑い声がモンスターにも届いていたのか、トキシイグアノとよく似たモンスターが彼らの前に姿を現す。

 爬虫類特有の無機質な瞳に見つめられ、仲間たちの笑いが消える。


「うおおぉっ!」


 反射的に魔弾が放たれる。

 だがモンスターにそれは通用せず、表皮から液体がにじみ出て弾頭を不発に終わらせる。


「僕が援護を――えっ?」


 アレイは即座に仲間を支援しようとしたが、彼らの答えは裏切りだった。


「よし、逃げるぞッ!」

「お前は囮だッ!」


 背中を蹴飛ばされモンスターの眼前に突き出されてしまうアレイ。


「まっ……! どうして」

「どうしてもこうしてもねぇだろ! 時代遅れの魔法使いなんかモンスターへの囮役で精一杯だろっ!」

「ぎゃはは! せいぜい魔法で戦ってみな!」


 仲間――否、元仲間たちは心を痛めてすらいないのか、悠々と森の奥へ消えていった。


「…………」


 モンスターにはもちろん感情は無い。だがその瞳はどこか哀れんでいるようにも見えた。


「あっ……あっ……!」


 魔法だ、魔法で戦うしかない。

 だがアレイの頭はパニックに陥り、それを選択できない。

 魔力を生み出そうにも歯の根は合わず、ただ怯えたように後ずさることしかでききない。


「――クァ」

「うわぁぁぁっ!」


 攻撃を避けれたのは完全に運だった。モンスターの長い舌がアレイの尻を掠めるように命中し、彼はつんのめる様にして転がった。


「た、助け……!」


 こんなところで死ぬわけにはいかない。

 妹の所へ、母の所へ、星見草ミラビリスを持って帰らないといけないのだ。

 視界が涙でぐちゃぐちゃになりながらも、必死で這いつくばってモンスターから逃げる。


「だ、誰か……!」


 再びモンスターの下が振りかぶられる。


「――氷凍グラシエ!」


 モンスターの舌が凍り付く。


「――どりゃぁ!」


 続けて小柄なドワーフの少女が身の丈ほどの巨大なハンマーでモンスターを殴り飛ばす。

 トキシイグアノと同じ見た目のモンスターは踏ん張ることもできずそのまま体勢を崩して転がった。


「大丈夫ですか?」


 アレイは夢でも見ているのかと思った。

 自分と同じくらいの魔法使いの少女が助けてくれる――そんな状況、この時代ではまずありえないことのはずだ。

 そうだ、夢に違いない。

 基礎魔法『氷凍グラシエ』は水に薄い氷の幕を張る程度しかできないはずで、そんな魔法でモンスターの攻撃を止めることなどできるはずがない。


「……あ、ありがとうございます」


 でもなぜだろうか。

 モンスターの攻撃が掠めた尻は鈍く痛んでおり、これが決して夢でないと物語っている。


「あの……お名前は」


 アレイは思わず問い返していた。

 夢だったらここで覚めるはずだ。


「私はリサ。時代遅れの、魔法使いです」


――――

【リサ――RISA――】

種族:人間

性別:女

役割ジョブ:魔法使い

ランク:―

――――


 だが魔法使いの少女――リサは優しく微笑みながら答えてくれた。

 アレイの心は大きく昂った。

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