星見の花
「…………あの、本当に食べるんですか?」
グラゴディウスとの戦闘を終えた一行は食事タイムに移行していた。
リサは目の前で調理中の食材を見て顔を引きつらせている。
「もちろん! ここが一番うまいんだぜ?」
満面の笑みでジークは食材をつつく。
ワニを思わせるグラコディウスの頭部。
それが焚火の火によって丸焼きにされているのだ。
「ええ~……嘘だぁ……」
「リサだって魚の頭位食うだろ? それと同じだ」
「食べませんよ」
「え、そなの?」
ディアンはカルチャーショックを受けたようで固まっていた。
彼女は頭はおろか全身の骨も食べてしまうのだが、人間の顎はそこまで丈夫でないのは言うまでもない。
「……よし、そろそろ頃合いかな」
ジークはこんがりと焼き目のついたグラコディウスの頭部を押さえつつその頭蓋骨を砕いて開く。
骨を除けばホカホカと湯気を立てている脳味噌が露出した。
「…………ジークさん」
「うん?」
「………………まさか、まさか脳味噌食べるんですか?」
「もちろんさ」
リサは聞こえなかったふりをしようとしたが、目の前で湯気を立てる脳味噌がそれを拒んだ。
「あ、私はお肉の方を――」
「何言ってんだ? お前が仕留めた獲物なんだから一番いい部分を食わなきゃなぁ」
そそくさと逃げようとするリサをディアンは背後から羽交い絞め。
そしてジークは脳みそをスプーンですくうと笑みを崩さず迫る。
「待って……いやぁ……」
「ほら、あーん」
小柄な割にディアンの力はすさまじく、リサは微動だにできなかった。これが種族差の暴力か。
リサは諦めて少し、ほんの少し口を開いた。
「あ、あ~ん……」
触感はとろとろとした白子のよう。
舌で押しつぶすようにするとたちまちとろけて口いっぱいに広がっていく。
味は……ほんのりと塩気がして不味くはなかった。
だが……なんといってもビジュアルがよろしくない。
首を切ってそれを火にくべ、頭蓋骨を叩き割って中身を食す……野蛮極まりない。
「……残りはジークさんとディアンさんでどうぞ」
「……そっか」
「……ダメかぁ」
不味くはないが、生理的に受け付けなかった。
リサは普通にお肉を焼く方が好きだ。
首の丸焼きを囲みながらおいしそうに脳みそをむざぼっている
その後も暑さに文句を垂れ流しつつもファンガス密林を踏破、マクシム山のふもとにたどり着く。
目的の
「うわぁ……これを登るんですか?」
「その通り。後はひたすらに山登りさ」
殆ど整備されていない山道は初心者にとって非常に過酷だった。
無味乾燥な小石や小岩の並ぶ道。傾斜のきつい坂。ツタをよじ登らねばならないような断崖絶壁。
だがここまで来て引き下がるわけにはいかない。リサは小さく拳を握り締め登頂する覚悟を決めた。
密林とは打って変わってひんやりと涼し気なマクシム山。
だがえっちらおっちらと登っていくにつれて体は火照り、じわじわと汗が噴き出してくる。
「リサ。キツかったらいつでもいつでも言ってくれ」
「……大、丈夫です」
少しずつ歩くペースが落ちてきているリサを気遣ってジークが声をかけるも、彼女は強がって歩き続ける。
先駆者たちによってある程度、登山道は切り開かれているが不毛な岩肌を登り続けるのは骨が折れるものだ。
特に、ついこの間まで冒険とは無縁だった初心者がいきなり踏破するのは困難を極める。
(ちょっと……ナメてた、かも……)
今自分がどのあたりを登っているのか見当もつかない。
右を見ても左を見ても岩。下を見ればごつごつとした岩。見上げれば霞で先の見えない岩。
進んでいるという実感のなさがリサの精神を少しずつ蝕んでいた。
「――お」
ディアンが何かに気付いたように駆けだす。彼女の向かった先は少し開けた採掘用の拠点だった。
素材を求めてやってきた冒険者が仮の拠点をこしらえ、腰を据えて素材を採取していたことが窺える。
「おおぉ……コシネウム鉱石がゴロゴロしてんなぁ……意外と穴場だったりして」
――――
【コシネウム鉱石 ――COCCINEUM ORE――】
分布地:マクシム山他
入手難易度:B
マクシム山で採取可能な鉱物。通称『ヒヒイロカネ』。
有機物と無機物を結合させる唯一無二の成分が含まれており、防具や武具の生産に欠かせない鉱石。
――――
ディアンは転がっていた鉱石を拾い上げ鑑定。それが上質な素材であると見抜くと即座に採掘ポイントへ駆けていく。
武器職人として必須素材の採取チャンスは見逃せないのだろう。
「ああなったら長いよ。俺たちは休憩するとしようか」
「…………はい」
正直ありがたかった。
リサは椅子のように配置された小石に腰を下ろすと小さくため息をつく。
その瞬間、我慢し続けてきた足の疲労や痛みがじわじわと広がり強烈な疲労感に襲われた。
ジークは
カップにハチミツと果物の果汁、そこに沸騰した湯を入れて混ぜ合わせた。
「――はい。これでも飲んで」
「あ、ありがとう、ございます……」
ホカホカと湯気の出ているカップを受け取ると、リサはゆっくりとそれに口を近づける。
薬草のような独特な香りとハチミツのほんのりと甘い香り。
すぅ、と口に広がるさわやかな風味。
疲れ切った体に糖分が染み渡り腹の底から熱がこみ上げてくる。
「モンストルの果汁には疲労回復の効果がある。リサ、頑張るのもいいけど、無理だけはしちゃダメだよ」
――――
【モンストル ――MONSTRUM――】
分布地:ソリス盆地
入手難易度:E
ソリス盆地に分布する果樹。日照時間によって果実の味や風味が変わる特性がある。
疲労回復、精力増強に効果のある成分が含まれている。
以前、ギルドでこの果実を濫用し不眠不休で働かせられる事件が起きたため現在では販売が禁止されている。
――――
リサは『ギルド無限労働事件』を思い出し改めてカップの中を見つめる。
琥珀色の液体は思いの外おいしく、普通の飲料としても十分販売可能なようにも思えた。
だが現在では販売を目的とした採取は禁止されている。冒険者が自分で食すためにしか採取ができないのだ。
「すみません。あと少しだ、って思ったらいてもたってもいられなくて」
「気持ちはわかるけどね。疲労困憊の状況でモンスターに襲われたらひとたまりもないだろう?」
ジークに指摘されてリサは思い出す。
マクシム山は強力なモンスター、ラヴァドラコの住処であると。
万が一、遭遇し戦闘になってしまったとき、疲れ切っていてろくに戦えないでは話にならない。
「ほら、見てごらん」
「へ……わっ!」
促されて背後を見ると、そこは絶景が広がっていた。
抜けるような青空。視線を落とせばファンガス密林やグランデ草原、大小さまざまな湖が一望できた。
「あれ……あの一角だけ木が生えてないんですね」
「それは君が吹き飛ばした部分だね」
「うぐっ」
密林の一部はリサの詠唱魔法によって丸坊主となっていた。
こうして俯瞰で見てみると、遠くまでやってきたのだという自覚が芽生えてくる。
彼女の胸にわずかな達成感が生まれた。
「体感だけど、ここいらは3合目と4合目の間くらいかな。もう少しで星見草の分布地にたどり着くはずさ」
「はい……あと、少し……」
リサはジーク特製の回復ドリンクを飲み干すと、少し瞳を閉じた。
その瞬間、心地よい眠気に飲み込まれ――
「――い! 起きろー!」
「んがっ!?」
体を揺すられてリサは意識を取り戻す。
すっかり居眠りしてしまっていたようだった。
「あ、あれ……? もう採掘は終わったんですか?」
「ああ! 大漁大漁♪」
ディアンは満足げに自分の
「よし、リサも起きたことだし。ぼちぼち出発しようか」
ジークは大きく伸びをすると焚火の火を消す。
どうやらリサが寝ていた時間はそれなりだったようで、食事を済ませたような跡が見受けられた。
(気、使わせちゃったのかな……)
もしかしたら疲れたリサを気遣っての採集タイムだったのかもしれない。
ディアンは
それなのに知らないふりをしてリサが休憩する時間としてくれたのかもしれない。
(これが一緒に冒険する、ってことなのかな)
居眠りと回復ドリンクのおかげで疲労はいくらか取れていた。
あとは一息で登り切ることができるだろう。
「んっん~♪」
再出発してからディアンはご機嫌だった。
余程いい素材が採れたに違いない。巨大なハンマーを担ぎながら鼻歌交じりに山道を登っていく。
そうして登るうちに横穴を発見する。
「……ここから先はラヴァドラコの巣の近くを通ることになる。気を引き締めていこう」
ラヴァドラコは山中の洞窟に巣を作ると言われている。
アリの巣のように複雑な洞窟は天然の迷路だ。慣れていない者はあっという間に迷ってしまう。
幸いにも洞窟の中にはヒカリゴケが生息しており、リサが光源を作らなくてもぼんやりと視界が効いた。
一歩ずつ慎重に歩を進める。
時たま、奥から吹いてくる風は生ぬるく湿っぽい。
ジークの先導でゆっくりと薄暗い洞窟を進んでいく。
壁や天井から覗く鍾乳洞が綺麗で、ここが危険地帯でなければ思わず歓声を上げていただろう。
だがラヴァドラコに外敵と認められれば襲われる可能性がある。
余韻に浸るのは生きて帰ってからにしよう――リサはそう決意すると気持ちを鎮めた。
「――あれ」
どれだけ進んだだろうか。
吹いてくる風に甘い花の匂いが乗っていることに気づく。
「……こっちだね」
一行は甘い香りのする方向へ向かう。
出口が近いのか、だんだんと周囲が明るくなっていき――
「わぁ……!」
リサは思わず歓声を上げてしまった。
外はすっかり夜で月明かりがマクシム山を照らしている。
洞窟を出た先は開けた段となっていた。
そこに広がっていたのは――白銀の花畑。
花は満開で一様に北極星の方角を向いて咲いている。
風を受けてシャラシャラと音を立てながら揺れ、キラキラと輝く花粉を振りまく。
満月の光はそれをより一層際立たせ、神秘的な光景を生み出していた。
「うっし。さっさと摘んで」
「待った」
意気揚々と採取しようとするディアンをジークは手で制する。
「リサがこの感動を味わえるのは今、この瞬間だけだからさ。そっとしておいてあげようか」
初めての冒険が今まさに成功した瞬間である。
念願の
彼女はしばらくの間、感動で立ち尽くすのだった。
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