追放者『ジーク』

『――いらっしゃい』


 リサが初めてグレイス魔導書店を訪れたのは、文字を覚えて間もない頃だった。

 ちょっと大人ぶって小難しい本を読みたい――そう思いいかにも難しそうな本のありそうな店に入ったのだ。


『あの、このみせでいちばんむずかしい本ください!』

『一番難しい本?』


 店主のグレイスは「面白い子が来た」とばかりに苦笑しつつも、本棚を漁る。

 純粋に魔導書を求めてくる客は久方ぶりで、少しだけテンションが上がっていたのだ。


『そうだねぇ……これかしら』


 そう言ってグレイスが取り出したのは――『はじめての魔法』というタイトルの本。

 魔法を勉強したい子供向けの、店の中でも簡単な部類に入る本だ。


『おぉ……!』


 だが簡単というのは大人目線での話だ。子供からしてみたら店の本は全部難しい。

 リサは始めての分厚い本にときめいていた。


『読んでみるかい?』


 グレイスは店の奥にあるテーブル――かつて魔法使いたちが魔法談議に明け暮れていた場所だ――を手で示す。

 リサは首が千切れそうになるくらい激しく縦に振った。


 表紙をめくった瞬間、彼女の前に壮大な魔法の世界が広がった。

 小難しい話を一切抜きにした、子供の興味を引くための面白おかしい魔法の歴史。

 思わず真似してみたくなる魔力操作の練習方法。

 リサは目の前に広がるにすっかり魅了されていた。


 グレイスの目論見通り、リサは魔法の虜となり、いつしか魔導書店の常連客となっていた。

 次から次へ、まるでスポンジに水をしみこませるようにリサは知識を吸収していき、やがて大人顔負けの魔法知識を身に着けることになる。


 やがて幼いリサが魔法使いの現実を知ることになるのだが――それはもう少し後の話。





 ――肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。


「んっ……」


 意識を取り戻したリサはゆっくりと瞳を開ける。


「つぅ……」


 と、同時に筋肉痛のような鈍い痛みが全身に走っているのを感じる。

 結局あの痺れは何だったのだろうか?

 あの川の水に何か良くない物でも混ざっていたのだろうか?


「――おはよう。よく眠れたかい?」


 穏やかなテノールボイスが響く。

 ぼやけていた視界が像を結び、声の主の姿が浮かび上がる。

 人懐っこそうな優し気な顔立ちの青年だ。グレーの髪はオールバックにしており、少年のような純粋さと大人の色気が混ざった不思議な雰囲気を醸し出している。簡素な革製の防具で筋肉質な体を包んでおり、所々に見える傷から彼が冒険者として経験を積んでいることをうかがわせる。


「あ、えっと……」


 確か名前を聞いたはずだったが、当時は意識が朦朧としていたせいで記憶が定かではない。


「俺はジーク。しがない冒険者さ」


 リサが思い出そうと頭を働かせていると、彼はもう一度自分の名を伝える。


「それで、君の名前は?」

「リサ、です」


 ぼんやりとしていた頭が覚醒し、リサは身の回りの状況を把握する。

 今いるのは木々に囲まれた、少しだけ開けた空き地。焚火を囲むようにして彼女は寝転がっており、その反対側にジークが座りながら何かを焼いている。彼の左後方には巨大なハンマーが柄を木に立てかけるようにして鎮座しており、その上で小柄な少女が静かに寝息を立てている。


(ヒゲ……? あの子、ドワーフなのかな?)


 ピンクのツインテールに口元も同色のひげで覆われている。ドワーフは男女問わずに立派な髭を生やす種族であり、彼女もそうであるのだろう。


「そう、リサというんだね……リサ、君はどうしてあんなところで死のうとしてたんだい?」


 問いかけられリサは我に返る。


「いや死にたくてああしてたわけじゃないんですよ」

「世の中辛いことはごまんとある。でも死んだらそれまで、しかもあんな……ぷふっ……間抜けな死に方することないじゃないか」

「だから自殺じゃないんですって!」

「腹は減ってるかい? 君にはとっておきの肉を振る舞ってあげようじゃないか」


 ジークはわざとなのか、リサの話に耳を傾けず手に持った串を掲げてみせる。

 香ばしい匂いの正体はこれだった。こげ茶色の肉は湯気を立て肉汁を滴らせながら彼女の食欲を掻き立てた。


「じゃ~ん! メガロレックスのもも肉さ。お口に合えばいいのだけど」


――――

【メガロレックス ――MEGALO-REX――】

分類:竜種

生息地:グランデ草原他

討伐難易度:B

 主に草原地帯に生息している肉食竜種。額から伸びる巨大な一本が特徴的。獲物に向かってその角を叩きつけるようにして狩りをする。

 凄まじい脚力を有しており、オスは高く跳躍し角を地面に叩きつけてメスに求愛する。

――――


 グゥ……と、リサの腹が鳴り響く。

 文句を言いたい気持ちは圧倒的な食欲を前にしてねじ伏せられた。


「……いただきま――あちち」


 鉄串から垂れる肉汁に苦戦しつつも、リサはそれを受けとる。

 焼き立てほやほや、立ち上る湯気には肉の香ばしい匂いが混じっている。


「あ、あの……ナイフとか」

「くっくっくっ……リサ、君は冒険の楽しみ方をわかってないねぇ」


 ジークは自分の分を焼きながら肉にかぶりつくジェスチャーをしてみせる。


「ここはお上品な街中じゃないんだぜ? 心の赴くまま、思い切りかぶりついちゃえ!」

「えっ……うっ……」


 そんなはしたないこと――リサの理性は豪快な食べ方をすることを拒みつつも、内心ではときめきが抑えられなかった。

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ憧れがあった。

 骨付き肉にむしゃぶりつく、少年のような食べ方。


「あ~んっ!」


 理性、敗北。

 リサは大きく口を開き、焼き立てほやほやのお肉にかぶりつく。


「んっ……んッ……!」

 

 顎、敗北。

 決して柔らかいわけではないメガロレックスの肉が彼女の顎に襲い掛かる。

 圧倒的な脚力を生み出す赤み肉は、確かな弾力を持って顎をはじき返す。

 お上品な彼女の顎では噛み切ることができず、斬新な猿轡のようになってしまっていた。


「……か、かふぁい」

「あらら……だったら――こういうのはどうだい?」


 ジークは自分のご都合鞄アイテムボックスから真っ白でふわふわなパンとナイフを取り出す。

 リサは肉を噛み切ることを諦め、大人しく差し出す。彼はそれを受け取ると持ち手を地面に突き刺しナイフで肉をそぎ落とす。

 そぎ落とされた肉は半分に開いたパンで受け止める。ふわふわの生地はあふれ出る肉汁を受けとめて汚れていく。否、うま味に染まっていく。


「本当はソースがあるともっと美味いんだが……素材本来の味を楽しんでおくれ」

「い、いただきます!」


 もう一目でおいしいとわかる。

 肉を挟んだパンを受け取ったリサは、ためらうことなくそれにかぶりつく。


「んっ!」


 肉だ。

 当たり前だが、肉だ。それを何の変化もつけずストレートに叩きつけられる。

 香ばしく、カリっと焼けた表面。ジューシーで肉の味を最大限に閉じ込めたレアな赤身、そこから弾け出す芳醇な香り漂う肉汁。

 そしてそれらをふわふわでほんのりと甘いパンが包んで受け止める。

 咀嚼し、喉を通り抜ける瞬間、得も言われぬ多幸感に包まれる。


「んま~い……はっ!」


 リサは空っぽになっている両手を見つめ驚愕で目を見開く。

 ない、さっき受け取ったパンがない!

 きれいさっぱり消え失せていた。


「わ、私のパンは!?」

「気に入ってもらえて何よりだ。おかわりはたくさんあるから、たんとお食べ」


 彼女の理性は崩壊した。

 肉類はそこまで好きではない彼女でも夢中になるほどにメガロレックスは上質なうま味を兼ね備えていた。

 いや、きっとそれだけでないだろう。

 命の危機に瀕し、生のありがたみを知ったからこそ、食事をここまでおいしく感じるのだ。


「……生きるってのは、こうやってうまい物を喰らうってことさ」

「ですね~」


 リサは肉を挟んだパンケバブを頬張りながら激しく同意した。


「……ここいらはトキシイグアノの生息域でね。水場が奴らの毒素で汚染されてることもざらにある」


 ジークは真剣なまなざしで肉を切り落としながらつぶやく。


「だから不用意に水を飲んで命を落とす奴は少なくない――もう一度聞こうか、?」


 冷や水を浴びせられた気分だった。

 そうだ、ここは人が安全に暮らせる場所ではない。数多の生物モンスターが生き残りをかけてしのぎを削る『自然界』なのだ。

 冒険者として旅をする以上、それを忘れてはいけなかったのだ。


「……油断、してました。水もきれいだし、大丈夫そうだなって」

「見たところ、君は初心者ってところだね。ここいらは初心者クラスEが一人で冒険するには危険すぎる場所さ」


 耳なじみのない言葉にリサは首を傾げた。


「……クラス?」

「ギルドで冒険者登録した時に聞いてないのかい?」


 彼は左の肘を突き出しつつ、右手の指をそこに当て手首に向かってスライドさせる。


「ほら、こんな感じで。君のを見せてごらん」


 と、腕まくりしつつ見せてくれる。

 そこには彼の名前と『CLASS:B』の文字が刻まれているのが見える。


「あ、えっと……」


 成程、冒険者登録をすると実力に合わせてクラスが刻まれるようだ。

 謎めいた所作はその文字を表示させるために必要なアクションらしい。もし冒険中に命を落としても、刻まれた文字で身元が特定できるという事か。

 身元と冒険者の実力が一目でわかる良いシステムだ。


「その……私、冒険者登録できていないんですよね」

「…………は?」


 リサの告白にジークは戸惑いを隠せない様子で固まった。


「い、いやぁ……色々とあって、冒険者登録忘れちゃってて……」

「無謀だね……それは『武器が手に入らなかったから丸腰でモンスターと戦おう!』 と、言っているようなものだよ」


 それは確かに無謀だな、とリサは感じた。


「たまたま俺が通りかからなければ君はあそこで死んでいた。少なくとも一人前クラスCくらいの実力者とパーティを組むことをお勧めするよ」

「あはは……だったら、ジークさんのパーティに入れてもらえたり……しないですかね?」


 彼女は慌てて口を押えた。

 完全に場の雰囲気に流されていた。命の危機を救ってもらって、おいしいご飯を振る舞ってもらって、その上仲間に入れて欲しい? 厚かましいにもほどがある。


「……本気かい?」

「へ?」


 ジークの返答は思いの外好意的で、リサは思わず問い返してしまう。


「驚いたな……まさかパーティに入れて欲しいだなんて。初めての経験だよ」


 彼は驚きつつもどこか嬉しそうな表情だ。


「ウチのパーティのは有名だからね。初心者だって間違っても入りたいだなんて言ってこないさ」

「えっと……そんなにやらかしてるんですか?」


 リサは勢いで物を言わなければよかったと激しく後悔した。

 もしかするととんでもないパーティに入れてもらおうとしているのかもしれない。


「……改めて自己紹介しよう。俺の名前はジーク、役割ジョブは剣士、ランクは『クラスB』――パーティ『はみ出し者アウトサイダーズ』のリーダーだ」

「アウトサイダー……もしかして」

「そのまさかだよ」


 ジークは自嘲気味に微笑む。


「俺は前のパーティを解雇クビにされた、所謂『追放者』さ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る