最大の危機

 グラコディウスは自慢の尾を振り上げ標的に――リサに向けて振り下ろす。

 彼らの尾は刀のように鋭く、個体としての優劣は尾によって決まると言われている。

 オスの尾は頑丈で大きく、メスの尾はしなやかでありながら切れ味鋭い。

 初心者ルーキーはその見た目にそぐわない攻撃力を侮り、手痛い洗礼を受けることもしばしば。

 ラフな格好のまま冒険をしているリサなど、攻撃を喰らえばひとたまりもない。


「……ん?」

「――ギャオオオオオ!」


 グラコディウスは己の“狩り”の成功を確信した。

 この間抜けな人間のメスを尾で両断できる――こんな柔らかい肉の塊など簡単に引き裂くことができる。

 だが唐突に、彼は己の視界が上下ひっくり返るのを感じた。

 体中の感覚が消え失せ地面を仰ぎ見るようにしている。

 自分自身の体が見えた瞬間、彼は首を切断されたことを理解した。


 ――真っ赤な血しぶきが吹きあがる。


 グラコディウスは首と胴体を切り離され、傷口から勢いよく鮮血を噴き出した。


「ふぅ……危ない危ない」


 リサは腕で冷や汗を拭う。咄嗟に魔法で反撃していなければ首ちょんぱされていたのは彼女の方だっただろう。

 降りかかる返り血を風魔法で上手く躱しつつ、初めて仕留めたモンスターを観察する。

 表皮はワニの鱗のようで、ごつごつとした深緑。しかし体躯は決して大きくなく、人間の子供と同じくらいか。その尾はエイのように細長いが、刀のように鈍く輝いている。


「よし……! 解体しよう!」


 彼女はリュックを下ろすと中に手を突っ込む。それはただのリュックではない。見た目以上の大容量なご都合鞄アイテムボックス、中身を収納時の状態のまま保存できる魔法がかけられており、冒険者御用達なアイテムだ。

 取り出したのは解体用のナイフ。


「えっと……まずは皮に切れ込みを入れて……」


 解体術を思い出しながらグラコディウスの表皮にナイフを入れる。

 大きくない獲物とはいえ、初めて解体するにはいささか手に余るサイズ。四苦八苦しながら皮を剥ぎ、肉を切り分ける。

 次第に日が暮れ始め辺りが暗くなってくる。反射的に魔法で光源を作り、解体作業を続行。


「ふぅ……出来た……!」


 完全に日が暮れたころ合いで解体も終了、グラコディウスは綺麗に……とは言えないが、骨と皮と肉と臓物に解体された。

 空を仰ぎ見れば木々の隙間から星空が覗いている。

 時の経過に気づくと同時に、リサは自分が空腹だったのを思い出した。


「……グラコディウスのお肉……おいしいのかな……?」


 狩った獲物をその場で解体して食べる。これこそ冒険者の醍醐味だ。

 リサはグラコディウスの皮と骨をリュックにしまうと代わりに調理器具を取り出す。

 魔法で火を起こすと近くに落ちていた枯れ枝をくべて簡単な焚火を作る。

 彼女は鉄の棒のようなものを広げ調理台へ変形させ、鉄板のようなものを手のひらで押してフライパンへ変形させる。

 これらのご都合鞄アイテムボックスを始めとした便利アイテムマジックアイテムはドワーフと呼ばれる種族が疑似魔法レプリマギカを用いて制作している。もし人間とドワーフが敵対していたら、冒険は今ほど便利ではなかったかもしれない。


「まずは……味見がてら……塩を振って、と」


 フライパンを火にかけ、十分に熱されたころを見計らいグラコディウスの肉を投下。

 ジュワァ……と肉の焼ける音と芳醇な肉の香りが広がる。脂身サシは少なかったようで、あまり油がにじみ出てこない。

 ある程度焼きあがってきたところで塩を一つまみ。テラテラと輝く表面に塩の結晶が良く映える。


「では……いただきます」


 フォークを握り締め、焼きあがった肉へ突き刺す。わずかな肉汁がこぼれだしフライパンの上で爆発。

 リサはフーフーしながらグラコディウスの肉へかぶりつく。


「ん!」


 食感は鶏むね肉のように繊維質で、しかしプリプリとしていて柔らかい。

 全体的に淡白な味でありながらどこかコクがあり、塩しか振っていないがうま味が口いっぱいに弾ける。


「んま~い……」


 そして「自分で狩った」という最高のスパイスが隠し味として大きな仕事をしている。

 たとえ高級料理店で最高のフルコースを食べたとて、この満足感は得られない。

 冒険者の醍醐味、ここにありだ。


 その後、ひとしきりグラコディウスの肉を味わいつくしたリサはすっかり満腹となり、当初食べようと思っていた果実のことはすっかり忘れていた。

 すっかり満腹となったところで、激しい眠気に襲われる。

 適度に魔法を使い、長い距離を歩き、そして腹を満たす――爆睡するのに必要十分な要素が出そろっていた。


(明日は麓まで進めるといいな……)


 彼女はリュックから毛布を取り出すとくるまり、瞳をゆっくりと閉じる。

 ソロ冒険者(無登録だが)にとって睡眠は最も危険な行為の一つだ。

 モンスターが闊歩する地帯で無防備に意識を手放す。襲ってくれと言わんばかりの行為だ。

 まず明日を迎えられぬ危険行為だったが、幸運なことに彼女が眠るのはグラコディウスの縄張り――まず他のモンスターが寄り付かない領域だった。

 更に幸運なことに、グラコディウスの死体を解体した際にそのにおいが彼女の体に染みついており、余計外敵が寄り付きにくくなっていた。

 完全なるビギナーズラックだった。


「――ん……んぁ……」


 木漏れ日が差し込みリサは目を覚ます。

 木を背に眠ったせいで体はバキバキだった。

 ストレッチをしながら大きく深呼吸。土の香りが口いっぱいに広がり――


「うっ――ぺっ」


 羽虫を吸い込んでしまい大慌てで吐き出す。

 ここが大自然であることを否応なく思い出させられた。


 軽く身支度を整えて出発。

 再びマクシム山を目指して歩き出す……が。


(……歩きにくい)


 昨日のグランデ草原と異なり密林は起伏が激しく歩きにくい。

 その上湿度も高いため蒸し暑く、瞬く間に汗だくとなってしまう。

 汗で髪の毛が額に張り付き、服は汗でびしょぬれ。不快指数はどんどん上がっていく。

 魔法でそよ風を作ったところで生ぬるい風しか起こせない。氷を作ってもあっという間に溶けてしまう。


「あ~……あっつい……」


 早くどこかで涼みたい衝動に駆られる中、彼女の耳が水音を捉える。

 川のせせらぎのような音――水源が近くにあるのかもしれない。


「おお~!」


 音の方向へ向かっていくと、そこには流れの穏やかな川があった。しかも上流はマクシム山につながっており、このまま川伝いに進めば目的地へたどり着けそうだ。

 リサは河原に腰を下ろすとゆっくりと水面に手を突っ込む。

 ひんやりとした感覚が非常に心地よい。

 そのまま川の水を掬い上げ、顔を洗う。さっきまでの不快感が嘘のような爽快感。

 

「はふぅ~……気持ちいぃ……」


 何度か顔を洗うと、そのまま川の水を飲む。

 暑く火照った体にキンキンに冷えた水が染み渡る。細胞の隅々にまで気持ちよさが広がっていく感覚だ。


「……よし、だれも、いない」


 このまま川で水浴びしたらさぞ気持ちいいだろう。

 そう思ったリサは周囲に人がいないことを十分に確認し――服の裾に手をかけた瞬間だった。


「――え?」


 突如、体中が痺れ始める。

 全身が強張り、動かそうとしても思うように動かない。

 息を吸おうと口を開くも、今吸い込んだのか吐き出したのかわからない。

 視界もぐるぐる回り、立っているのかどうかすら定かでない。

 心臓は早鐘を打ち、耳が拍動で他の音を拾ってくれない。

 全身から汗が吹き出し悪寒に襲われ――


「ん……んぶっ!?」


 ふらふらと、そのまま彼女は前のめりに倒れ込んだ。

 顔が丁度、川の水面に到達しており頭から突っ込んでしまう。


「もがっ! んぐ……っ!」


 必死に顔を起こそうともがくも、体に力が入らず身動きが取れない。


(し、死ぬの……!? こんな、間抜けな死に方で……!?)


 苦しい、息ができない。

 でも体が動かない。

 魔法を使おうとしても魔力が練れず発動できない。

 このままでは最高に間抜けな死に方をした冒険者として名を残すこと間違いなしだ。


「んっ……んんッ!」


 動け、動け、動け……!

 必死に念じても、体はピクリとも動かない。


(……ごめん、おばあちゃん)


 急に苦しみが薄れだす。

 死を目前として脳が錯覚を起こしていた。


(私、凄い魔法使いになれなかったよ……)


 ぼんやりと、水の奥に懐かしい顔が浮かぶ。

 魔導書店の店主、グレイスの姿だ。昔と変わらぬ姿に、リサは懐かしさで泣きそうになった。


 天才的な才能を持った魔法使い、リサ。

 その生涯は川に顔だけ突っ込んでの溺死という、なんとも間抜けな形で幕を下ろすのだった。





 ――――完――――








































「――えらく斬新な自殺だね」 


 リサの命が完全に尽きる刹那、間一髪のところで救いの手が差し伸べられた。


「ごほっ……おぇっ」


 やや乱暴に、後頭部を鷲掴みにされながら彼女は救命される。

 気道に水が入ったせいで少し喉が痛かったが、それでも少女は空気を吸える喜びに涙する。

 助かった。今、ちゃんと生きている。

 飲み込んでしまった水を吐き出しながら、生の喜びを実感した。


「げほっ……ごほっ……あの、ありがとう、ございます……あの、お名前は……?」


 まだ満足に体を動かせなかったが、リサはお礼を言おうと問いかける。


「俺はジーク。しがない冒険者だ――」


 彼女はその言葉を聞いた瞬間、意識を手放した。


 

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