第20話 冬の閑話

 冬のサンコスタは少しだけ静かだ。

 春のような忙しさは無く。

 夏のような喧騒も無く。

 秋のような収穫の歓喜も無い。

 住み込みの侍従にとって、寒い外に出るのは億劫になる季節だ。

「フェデリカさん、またそれを読んでいるのですか」

 ナズナが休憩室に入ってきた。

「そうよ、ナズナちゃん。面白いものは何度読んでもいいんだから」

「けれど、流石に飽きませんか?しかも、フェデリカさんが読んでるのってその部分ばっかりじゃないですか。君が紫の姫をこれでもかと愛するところばかりで」

 物語で言えばクライマックスにあたる。当然、その過激さもクライマックス全開だ。

「え、何?私が読んでる部分チェックしてるの?」

「いや、いつみてもそこばっかり開いてるじゃないですか。そりゃ覚えますよ」

 フェデリカが開いているのは挿絵の部分だ。

 紫の姫が、育ての親である君にあられもない姿で組み敷かれている所。所謂濡れ場である。

「ここが一番面白いんだから仕方がないじゃない」

「そこが一番いやらしい場面でもありますね」

 フェデリカは、ナズナが見かけた時にはいつもそのページを開いているのだ。

 どう考えてもそういう事にしか見えない。

「フェデリカさん……そっち系なんですか?いつまで経っても結婚されませんし」

 言ってはいけないことを口にするナズナ。

「違う!違うよ!全然違うよ!現実がどうしようもないから自分を姫に見立ててるの!分かって?」

「……いえ、それもかなり痛いです。なんでそんな事カミングアウトしてるんですか。怖いです」

 若干引いているナズナ。

「何よ。ナズナちゃんだってトリシアンナお嬢様大好きじゃない。それはそっち系じゃないの?」

「全然違います!お嬢様は女神であり、崇拝対象なのです!そんな、そのような性欲の対象として見るなど」

「こんにちは、フェデリカ、ナズナ。……何の話です?」

 唐突に現れたトリシアンナに、ナズナは狼狽える。

「いえ、今フェデリカさんが姫になって犯されたいと言うものですから、それは痛いと言っていたところで」

「ナズナちゃんがお嬢様を崇拝対象にしてるって話じゃなかった?」

「あの、どちらも凄く危ない話をしていたように思えるのですが……」

 少し怯えたトリシアンナだったが、フェデリカの持っている本を見て納得した。

「ああ、『源氏の君の物語』ですね。私も一度読みましたよ。結構面白かったです」

 笑顔を見せるトリシアンナに、ナズナは少し戸惑う。

「お嬢様、この物語は、かなり際どい表現もありましたが。大丈夫でしたか?」

「いえ、別に。少しドキドキした所はありましたが、そもそも芸術の世界にはそういった表現はありふれたものですから」

「流石です、お嬢様」

「だからそれをやめてくださいと」

 フェデリカが横から割り込む。

「あっ、お嬢様はどのシーンが好きでした?教えてください」

 その言葉に少し考えたトリシアンナは答えた。

「そうですね、血の繋がった相手に恋心を抱いた君が苦悩しているところでしょうか。心理描写が巧みで、思わず同調して引き込まれてしまうシーンですね」

「えっ?」

「えっ」

「え?何かおかしかったですか?」

 フェデリカはナズナを引き寄せて耳打ちする。

『ナズナちゃん、ひょっとしてお嬢様ってブラコンでは?』

『シスコンかもしれません。ディアンナお嬢様といつも一緒におられますし』

「どうしました?何かおかしいですか?」

「なんでもありません。お嬢様はいつも通りお美しいです」

 お前も大概だろう、とフェデリカは呆れるのだった。



「寒いです」

 トリシアンナは腕を引き寄せ、太ももを擦り寄せて白い息を吐いた。

 いつものように昼食を摂った後、腹ごなしにと裏山へ狩りに出てきたのだ。

 姉は出掛けていたので、今日はナズナと二人きりである。

「それは。その格好ではお寒いと思いますよ」

 いつもの短いスカート姿である。

 一応街の高級服飾店で買ってきた、膝の上まである長い靴下こそ履いているものの、そこから上は素肌なのだ。

 ルナティックヘアの防寒着を羽織っても、冷たい風は下から入り込んでくる。

「でも、長いのを履くと動きにくいですし、ズボンでは可愛くありません」

「お嬢様は何をお召しになってもお可愛らしいですが」

 そういう問題ではない。

 厚着をするとなんだか負けた気がするのだ。冬の寒さに。

 防寒着はふわふわと気持ちが良いので気に入っているが、下に着るものは別だ。

「ナズナはどちらの格好の方が好きですか?」

「……それは勿論、今の方がお似合いですが」

 そうだろう。そうに違いない。

「靴下のもっと長いものがあれば良いのですが」

「それ以上長いとなると、もうズボンをお召しになったほうがよろしいのでは?」

「そうですねえ。こう、薄手の腰まであるような靴下というかパンツ?みたいなのがあれば」

 寒いのは嫌だが野暮ったいのも嫌だ。贅沢な話だとは思うが、贅沢に慣れた今の自分は我儘なのである。多少のお金で解決できるのであれば、迷いなく金銭で解決する。

「狩りが終わったら街の服飾店で聞いてみましょうか」

 サンコスタは比較的温暖な地方ではあるものの、冬はやっぱり寒いのだ。

 この地方でこんなに寒いのだから、北の地方はもっと寒いだろう。

 以前冬に王都へ行った時は、移動中は旅装で滞在中は大体暖かな部屋だったのであまり気にならなかった。

 夏のように他の地方へ移動するような事が無いとも限らない。

 もし真冬にセストナード地方へ行くことにでもなってしまえば、流石に何か防寒対策をした方が良いだろう。

「取り敢えず身体を動かせば暖かくなるでしょう。行きましょうか」

「はい、承知しました」

 意識を集中して気配を探った。


「やっぱり邸の周辺より街の方が少し暖かいですね」

 冬でも街は賑やかだ。

 往来の人々も、年の瀬が近いためかどこか浮足立っているように見える。

「そういえば、もうすぐ恒例の合同宴会ですね。ナズナ達はいつも通りの面子で出るのですか?」

 使用人達のみの宴会なので、トリシアンナは参加したことがない。

 話だけは侍従達から聞いているので、随分楽しそうだなぁとは思っているのだ。

「そうですね、今年もいつもと同じです。年々フェデリカさんが焦ってきている事以外はあまり変わりません」

「ふふ、フェデリカはあの癖さえなければすぐにお相手も見つかると思うのですけれどね」

「そうですね、あの癖さえなければ」

 目抜き通りから二つ西の通りに入る。

 静かで落ち着いた街並みの中に、ガラス張りのショーケースが並んでいる。

 以前今履いている靴下を買った、手袋や帽子、靴下を専門に扱っている店に入った。

「いらっしゃいませ、トリシアンナお嬢様。本日は何をお探しでしょう?」

 顔見知りの店員が近寄ってきた。

「こんにちは。以前買ったこの靴下なのですけれど、これより長い、というか、腰まであるようなのは無いでしょうか」

 自分の太ももを指さして聞いてみる。

「靴下ですか。靴下という分類ですとそれが今の所一番長いですね」

「他の分類では?」

 店員が少々お待ち下さい、と、カウンターの奥にある棚から何かを持ち出してきた。

「うちですとこちらになりますね。分類は……販売店では下着とされている事が多いですね」

「下着ですか?これが?」

 見た感じ、自分の要求ぴったりのものだ。

 靴下のように袋状になった黒い薄手の生地が、ズボンのように腰まで履けるようになっている。

「忍びが使う隠密用の全身衣装に似ていますね。動きやすく防水性があるので長時間水中に潜めます」

 大分違うと思う。

 店員は笑いながら言った。

「全身のものもあるにはありますが、防寒着として使われる事が多いですね。こちらは、タイツと言いまして、下着の上から履く女性用の下着でございます。勿論防水性はありません」

「タイツですか。随分薄手に見えますが、防寒着として使われるという事は暖かいのですか?」

 あまり薄いと履く意味がないように思える。

「はい、着けるだけで大分違いますよ。お試しになりますか?」

「ええ、是非。ナズナ、すみませんが剣をお願いします」

 剣帯ごと外して侍従に渡す。

 タイツを受け取って試着室に入った。

 非常に薄い、伸縮性のある生地だ。

 長い靴下を苦労して脱ぎ、足先から生地に通していく。

 生地同士が微妙に張り付いており、足を通すとピリピリと静電気が走った。

 太ももの一番上まで通した所で気がついた。付属の下履きが邪魔だ。

 下着の上に履くものが二重になってしまう。これは良くないだろう。

 改めてタイツを脱ぎ、下着の上に履いていた布地を脱ぐ。

 再度タイツを足先から通して、今度は腰まで上げた。

(おお……これは。微妙な締め付けはありますが暖かいですね)

 裏地が微妙に毛立っているのか、思った以上に暖かく感じる。

 黒い生地は履いてみると伸びたのか、色がかなり薄くなっている。

 スカートをめくって確認してみると、当然のごとく下着は透けてしまっているが、その部分は生地が少し厚くなっているのか、あまり目立たない。

 横にある大きな鏡に足を映して見ると、脚のラインがどこかスッキリとして見える。かっこいい。

「いいですね、これ。あと二枚、程同じものをいただけますか?こちらは履いて帰ります」

 カーテンを開けて店員に告げる。

 そのまま靴を履くと、靴下とはまた少し違う感覚が足先に感じられた。

「色はどうなさいますか?白いものもございますが」

「白もあるのですか。……そうですね、では残りの二枚は白で下さい」

 この格好なら白の方が映えるだろう。黒も悪くはないので、一枚は色違いが欲しい。

 足りなくなればまた買いに来れば良い。

「すみません、こちらのものは、洗濯時に何か注意点などございますか?」

 精算の前にナズナが店員に聞く。

 そうだ、確かにこれだけ薄手だと普通には洗えないかもしれない。

「お湯と洗剤を使い、手で揉み洗いして下さい。干す時は風通しの良い日陰の方が良いですね」

「なるほど、ありがとうございます」

 実際に洗うのはナズナ達侍従なのだが、大切な事を聞くのを忘れていた。

 どうにも自分でやらないとこういった事は忘れがちになる。気をつけなければならない。

 ナズナから剣帯を受け取って装着し、カウンターで支払いを済ませて外に出た。

「おお、これは良いですよナズナ。とっても暖かいです。脚のラインも綺麗に見えるし、探しに来て良かったです」

「良くお似合いですよ。……その下履きはお預かりしますね」

 畳んで握りしめていたものを取り上げられた。

 一応肌に付けていたものだから人に渡すのはちょっと申し訳ないのだが。

 ナズナは取り上げたそれを大切そうに懐に仕舞った。

「しかし、タイツですか。暖かいのに、履いている人はあまり、というか全然見かけませんね」

 そもそも脚を出して歩いている人は殆どいない。寒いので当然と言えば当然である。

 真冬にこんな短いスカートを履いているのはトリシアンナぐらいしかいない。

 いや、いた。

 姉のディアンナも腰から下は丈の短い格好をしている。

 これを教えたらきっと喜んでくれるに違いない。帰ってきたら教えてあげよう。

「お嬢様が試着されている間に店員の方に聞いたのですが、これは北方で開発されたもののようです。サンコスタは南国なので、あまり売れていないようですね」

「ああ、なるほど。北の寒い土地では厚着しても寒そうですものね。へぇー、別に見せるための下着ではないのですか」

 聞くと矛盾しているように聞こえる。見せる下着とは一体。

 先程ナズナが懐に仕舞った下履きも、見せる下着といえば見せる下着かもしれない。

「あの、お嬢様。ひょっとして、お嬢様は下着を他人に見せるのがご趣味なのでしょうか」

「そんなわけがないでしょう。見せているのではなく、見えてしまうのです」

「ではその格好を」

「それとこれとは話が別です」

 何故ナズナにはこの複雑な心境がわからないのか。それがわからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る