第19話 行政官

「お姉様、居ますか?」

「トリシア?どうぞー」

 姉の部屋に入ると、ディアンナはベッドに寝っ転がって本を読んでいた。

「新しい魔術書ですか?」

 聞くと、姉はタイトルをこちらに見せてきた。『記録と記憶に関する魔素技術』。

「読んだことないですね。面白いですか?」

「そうね。参考にはなるかな。要件は?」

 はたと思い直した。

「そうでした。お姉様、また道を作ってくれませんか」

「疲れるから嫌」

「そうですか」

 諦めて後ろを向く。食い下がっても無駄だ。姉は嫌なことは絶対にしない。

 部屋を出る前に、思い出して言ってみる。

「そういえばこの前、エスミオに行った時、ナズナがお兄様から貰った指輪をですね」

「うん?」

「失礼しました」

 言って扉を閉めた。姉がどたどたと走ってくる。

「ちょっと!そんな面白そうな話途中でやめないでよ!なんで途中でやめるの!?」

 扉を引き開けて姉が飛び出してくる。

「いや、疲れるので言えなくなりました」

「話をするだけでしょう?なんで疲れるの!?」

「私はこれから道を作りに行くのです。そりゃあ疲れる事でしょうね」

 既にいつもの格好に着替えている。すぐに出るつもりだったのだ。

「トリシア、あなた最近段々意地悪になってきてない?」

「貴族ですので」

 澄まして答える。

 姉が論文でも書いていたなら諦めようとは思っていたが、暇そうにしていたのだ。

「はあ、わかったわよ。その代わり、ちゃんと隅から隅まで話してよ?」

「ええ、向こうに着いたら作業しながらお話ししますね」

 聞き逃げは許さないのだ。


 ナズナも含めて三人で例の村にやってきた。

 移動に頓着しなくて良いというのは実に楽な事だ。

 しかし、見えても良いものを履いているのに何故かナズナはいつもこちらを見て同じ反応をしている。

「ナズナはどうして移動中にずっと私の方を見ているのですか?」

 不思議で仕方がない。姉が上下に跳ねているのだから見失うことなど無いだろうに。

「お嬢様のお美しいおみ足と下着を見ています」

「いや、これ下着じゃないですからね?下履きですからね?堂々と変態的な事を答えないで下さい」

 ぺろりとスカートをめくる。今日は白だ。

 股のラインに沿って通気性と吸水性の比較的良い素材が覆っている。

 これは見せても良いもののはずだ。彼女が凝視する価値など無いはずだ。

「それはそれでいやらしいです。しっかりと見張っておかねばなりません」

「いや、いやらしくないですから……」

 村に入ってもまだそんな話をしている。

 村の様子は大分違ってきている。

 前回来た時から半年ほど経っているが、新たな畑には根菜ではなく別の野菜が植えられているようだ。

 先程上から見た様子だと、壁の外に一部、堀との間に小麦の試作畑が見えた。

 農業指導はきちんとされているようである。

「へぇ、ちょっと変わってきてるじゃない。何かしたの?」

 姉が少しだけ感心している。

「エスミオのやり方しか知らなかったようですので、こちらのやり方を彼らに教えて貰いました。あと、農業指導もしてもらっています」

「誰に?」

「役所の人に。行政長官にお願いしました」

 半分はお願いで半分はこれからやることを餌に釣った。

「あの堅物に?嘘でしょ」

「現に来ておられるじゃないですか。行政官の方が」

 指さした方向に職員の服を来た人がいる。村長と、その他数人と話をしているようだ。

「ほんとだ。マニュアル通りにしかしない人を、良く動かせたわね」

「マニュアル通りと言えばマニュアル通りですよ?少し拡大解釈しただけで」

 行政の管轄地で仕事をしないわけにもいかないだろう。税金を払っているちゃんとした村なのである。

「アイン兄さんと同じような事してるわね。後を継ぐの?」

「さぁ……その時になってみないとわかりませんね」

 取り敢えずは今出来ることをやっているだけだ。

 先のことも考えないといけないのはその通りだが、お婿さん候補が二人共ダメだったので今のところそれは先送り中である。

「ナズナ、ちょっと村長さんのところに行って、大きな音がするけど工事の音ですので心配ありませんって言っておいて下さい」

「承知しました」

 ただの連絡なので、会話の邪魔にはならないだろう。

 姉と連れ立って西側の通用口まで向かう。

「どういうルートで作るの?あんまり長い距離は無理よ」

「いいんです、適当な所までで。一応約束の事はしていますというポーズも兼ねていますので」

 空手形と早々に見切りを付けられても困る。進展は見せて置かなければならない。

「とりあえず、お姉様がスタンレンネの時に吹き飛ばした広場まで作りましょう。そこから方角を調べて、北西に少しずつという感じです」

 とはいえ、途中に採集可能な植物の密集しているところがあってはいけない。まずは下見だ。

 ぱっと見た感じ、切り開いて困るような所は無さそうだった。

 方角を確認し、カサンドラを抜く。

「私が伐採しますので、お姉様は整地をお願いします」

 その姿に、姉が色めき立った。

「そ、その剣使うの!?そう言えば初めて見るわ!ねえ、どうやって道を?」

「雷撃術でなぎ倒します。直線的に撃てるので、お姉様の爆裂術よりは効率的でしょう」

 あれをするとクレーターが出来てしまうのだ。

 いくら姉の魔力が無尽蔵だからといっても効率が悪すぎる。

「剣を使うんじゃないの?魔術なの?」

「お姉様のタクトと同じです」

 言って構成を編み込み、握った剣から魔力を解き放つ。

 魔導率の高い剣身が青白く輝く。

「紫電。撃滅せよ!」

 刃を振るった軌跡から雷撃系第五階位『ブリッツシュフィアーツ』が発動する。

 肉体から発動した時と違い、真っ白な稲光が軌跡の先から直線上に伸びる。

 大気を引き裂く紫電の轟音が辺りに響き渡り、薄暗い森が一瞬、夏の昼間のような明るさに照らされる。

 次々と伸びたプラズマの帯が、直線上の木々を全て消し炭へと変えて進む。

 スパークした余波が周囲を震わせ、大気がびりびりと振動する。

「できました。後は根っこを取って整地するだけです」

 目の前には大きな馬車二台分程の広さがある、直線に開けた空間が出来ていた。

 残ったのは焼け焦げた木々の根だけ。

「おお、これ、トリシアの処女魔術だね。へぇ、こんな制御の仕方もあるんだ。あ、今の構成だけど大分効率化されてた?」

「ええ。あの、手も動かして下さいね。何度でも見せますから」

「やるやる!さあ、張り切ってやっちゃうわよ」

 珍しい雷撃系を見せたおかげで姉のやる気が上がってきた。

 最初からこっちで釣ってもよかったかもしれない。


「そこで、ナズナがこう言ったのです。『これはラディアス様から頂きました』」

 芝居がかった口調で声真似をした。

「ひゃー、そりゃあもうあのハインリヒも面白い反応したでしょうね」

 姉は口を動かしながらも器用にボコボコと焼け焦げた切り株を取り除き、地面を固めている。大変器用である。

「『何!?あ、あの怪物ラディアスの女なのか!』彼はそう言うと真っ青になってナズナに命乞いを始めます。紫電!」

 轟音が再び道を切り開く。

「ラディアスの女!いい、その響きいいよトリシア!」

 ぼこぼこと切り株が取り除かれて地面が固まっていく。

「『私の心はあの方にのみ溶かされます。貴方の出る幕などありません!』」

「そんな事は言っておりませんが」

 うおっ!

 気配を探る間もなく横にナズナが並んできた。

「な、ナズナ。結構時間かかりましたね?」

「言っておりませんが。あと、余り似ていません」

「えー、結構似てたよ?言い方とかそっくりで」

「似ていません」

 少し調子に乗りすぎたようだ。

「ふふ、ごめんなさいナズナ。許して下さいね」

「……程々にお願いします」

 大体許してくれる優しい侍従は大好きだ。

 会話に花を咲かせながら魔術を連発していると、広場までの道は割と簡単に完成した。

「雷撃術はうるさいのが難点だけど、威力と指向性があって便利ねえ」

「そうですね、線や面だけでなく点で狙うことも出来るので。うるさいですけれど」

「隠密行動には向きませんね。忍びには必要なさそうです」

「強化術は忍び向きですよ。神経強化なので」

「成る程、拷問に耐えるには便利そうです」

「いや、どうしてそっち方面に使おうとするのよ……」

 広場は以前姉が吹き飛ばした状態そのままだったので、手分けして切り株の除去や整地を行った。

 かなりの広さがあるので、ここはここで何かに使えるかもしれない。

 粗方整地を終わらせると、背後が何やら騒がしくなってきた。

「す、すごいぞ。本当に出来てる」

「こんなに短時間で出来るものなのか……流石はメディソン」

 見ると、作った道を役所の職員が揃って歩いてくるところだった。

 なんと長官までもがいる。忙しいだろうに何故ここに。

「ボールドウィン行政長官。いらしてたのですね」

 髪をかっちりと油で固めた生真面目そうな男、エインズワース・ボールドウィンが中央にいる。

「トリシアンナお嬢様!いや、今日はたまたま視察に来たのですが、轟音がしたので何かと思って。村長に聞くと工事だと仰るものですから、もしやと思い来てみました」

 興奮した様子で喋る行政長官。

「ほ、本当にこの短時間でこれだけの道を作れるのですね。はぁ、お嬢様方がいらっしゃると大半の開墾業者が倒産してしまいそうです」

「業者さんも魔術を使うでしょう?規模が違うだけで大差ありませんよ」

「いやいや!流石にこの早さでは無理です!しかし、これならこの周辺への入植も可能かもしれませんね。サンコスタの領地も増えそうです」

 あまり期待させてもどうかとは思ったので、少し宥めてみる。

「うーん、ただ、周辺は未開の森です。先程の村の成立時にも沢山の魔物問題がありましたし、そう容易くは行えないでしょう。道があるからといって、魔物が出ないわけではないのです」

「そうですね。その辺りは冒険者の仕事でしょうか。……ところで、作業の様子を見学させて頂いても?」

 それはちょっと困る。あまり雷撃術が使えるという事を知られたくは無い。

「お嬢様……」

「ええ、少し待って下さい」

 彼らに見せて情報が漏れるのは大変困る。

 しかし、様子を見学したいというのを断るのも不自然だ。

 他の術ではこれだけの速度で道を拓く事は出来ない。誤魔化しは利かない。

「エインズワースさん、お二人の職員の方も。一つお約束が出来るでしょうか」

「ちょっと、トリシア!」

 姉が血相を変える。

「お姉様、ここは一度聞いてみましょう。皆さん、私達の作業方法を絶対に他言しないというのであればお見せします」

「お嬢様、それは……」

 ナズナを手で制して、三人の職員に向き直る。

「そ、その約束を違えた場合はどうなりますか?」

 良い質問だ。

「そうですね、多分、私がとても辛い目に遭います。そして、それを憂いたここにいる姉や侍従、それからお兄様やお姉様、お父様やお母様があなた方を許さないでしょう」

 隣で姉が言葉を継ぐ。

「ディアンナ・デル・メディソンの名前を知らないわけじゃないでしょう?スパダ商会にいるユニティアの名前も、この街の第一警備隊長の事も」

 紅蓮の魔女はにたりと笑った。

「死ぬだけならまだ良い方かもねえ」

 ひっと震え上がった職員の中で、唯一行政長官だけが頷いた。

「結構です。私は拝見しましょう。お前たちは怖いなら戻っていて良いぞ」

「す、すみません。私は遠慮します」「私も……」

 二人は道を走って逃げて行った。

「お姉様、脅しすぎですよ」

「それぐらいの事なのよ」

 姉は肩を竦めた。一番大暴れしそうなのがこの姉なのだから、説得力はある。

「それでは、約束は守ってくださいね」

「む、無論です」

 広場の整地は終わったので、次は方角を確かめる。

「お姉様、方角を確認してきます。ナズナは周辺に採集の密集地がないか見てきて下さい」

「はいよー」「承知しました」

 風圧系第二階位『サス』を連続で発現させ、虚空に跳ね上がる。

 右に左に、足場を作っては吹き飛ぶようにして跳ねる。

 可能な限り上空まで上がり、磁力系第一階位『デマグマテリアル』と同じく第二階位『スティルネス』を同時展開。

 反磁性体と化した自身を、周辺に発生した磁場が繋ぎ止める。

 辺りに唸るような音が響く中、高所からの景色を見渡す。

 秋の上空はそれなりに寒く、長く居ると凍えてしまいそうになる。

 手早く周囲を見渡して周辺の位置関係を掴むと、磁力術を移動させてゆっくりと降下する。

 風圧系で降りても良いのだが、どうしても着地が激しくなってしまうので、人がいる時は避けたいのだ。

 下を見下ろすと、二人がこちらを見上げている。

 姉は興味深そうに自分の磁力系を観察しているようだが、行政長官はあっけにとられたようにぽかんと大口を開けている。

 ゆるゆると着地して、確認した方角を指差す。

「あっちですね、王都の方角。あとは採取地が無いかどうかナズナが帰ってくれば進めましょう」

 上空が少し寒かったので冷えてしまった。『ウォーム』で軽く暖を取る。

「お、お嬢様。今、空に浮いていませんでしたか?」

「さっきの魔術、初めて見るわ。何?何?」

 まぁ、目には見えないので分かりにくいだろう。

「磁力系の第一階位と第二階位を併せて使いました。磁力系は複数同時展開が必須になる事が多いので、あまり見せないですね」

「じ、磁力?同時!?」

「ああ、以前磁力と雷は近いって言ってたっけ」

 電流が流れると磁場が発生するので、近いと言えば近い。

「説明が難しいんですけど、自分を磁石に反発する物質に変えて、周りに磁石を置いた、という感じでしょうか」

「うん、わからない」

「そうでしょうね」

 説明しにくいのだ。法則そのものがこの世界は微妙に違うので、正確でもない。

 曖昧さを構成と魔素が補っているという感じである。

「その、磁力系という系統は初めて聞いたのですが、お嬢様の独自の魔術でしょうか」

「うーん、今のところ使えるのは私だけみたいですね。意味を理解すれば簡単なので誰でも使えるようになるでしょうが、説明が難しいのです」

 こういう事象がある、というのを知っているかどうかという、ほんの触りの部分だけなのだ。

 もし、元の世界のこの分野の専門家だったりすれば、かなり高位の魔術まで使いこなせただろうが。

「お嬢様、探索終わりました」

 ナズナが戻ってきた。

「お疲れ様です、こちらの方角なのですが、どうでしたか?」

「半径3キロメトロですと、真西の方角と北東の方角に少しありました」

「なら大丈夫ですね。その距離だけ進めてしまいましょう」

 道に近い所に採集出来る所があれば楽だろうが、流石にそんな微調整は出来ない。

「さ、3キロ?今の時間で見てきたのですか?」

「はい。わたくしは元忍びですので」

 普通は忍びでも無理だと思うのだけれども。

 行政長官は思考が追いつかないのか、視線がうろうろと彷徨っている。

「エインズワースさん、うるさいので少し耳を塞いだほうが良いかもしれませんよ」

 言ってカサンドラを抜き放つ。

 彼が耳を塞いだのを確認して、再び雷撃術を発現させた。

「紫電。撃滅せよ!」

 豪雷が次々と放たれて木々を消し炭に変えていく。すごくうるさい。

 近くに魔物が居た場合、弱い魔物ならば逃げるだろうが、強いものが居れば呼び寄せてしまうかもしれない。

 特にここから先の森の深部ともなれば、人の手がまるで入っていないので危険性は増す。

「終わりましたよ、もう手を離しても結構です。……エインズワースさん?」

 彼は呆然と魔術を放った方向を、目を見開いて凝視している。

「エインズワースさん?」

 少し大きな声で呼びかけると、彼は我に返った。

「と、トリシアンナお嬢様。い、今のは雷撃、ですか?」

「はい、雷撃ですね。内緒にしておいて欲しいと言った理由がわかりましたか?」

 彼は黙って首を縦に振っている。あんまり振ると脳に良くないのだが。

「それじゃあ整地していくねー」

 姉が何時ものように『ランドトランス』で切り株を取り除いては固めていく。

「お姉様、思ったのですけど、これ『マッドロック』で代用できませんか?」

「それだと術が切れるとべちゃべちゃになっちゃうよ」

「あぁ、そうですか。うまくいきませんねえ。王太子殿下もお姉様みたいな移動をしてみたいと仰っていて」

「ちょっと特訓しないと無理かなぁ。殿下、『クラック』だっけ。素質はあるかもね」

 歩いている間は暇なのでどうしてもお喋りになってしまう。

「そうだ、エインズワースさんはどの系統がお得意なんです?」

 ずっと付いてこさせるだけなのも可哀想なので話を振ってみる。

「は、はぁ……私は風圧系ですが」

「あっ、なんかそれっぽい感じがしますね!少しアインお兄様と雰囲気が似ていますから」

「アイン兄さんは処女魔術『テンペスタ』だったっけ。あれも結構エグいよねえ」

 殺傷力抜群の竜巻を広範囲に発生させる第四階位の術だ。

「ナズナはいきなり『フルバディ』だっけ?処女魔術でも肉体強化ってちょっと笑えるんだけど」

「はあ、確かに里の忍びで水遁を扱うもので、いきなり強化というのはいませんでした」

「肉体強化って結構難しいのよ。自分の身体の事かなり把握してないといけないし」

 失敗するととんでもない事になるのだ。いきなり血管が破裂したり、筋肉が断裂したり、神経が焼き切れたり。

「多分、最初に術を使うまでに散々身体を痛めつけたせいでしょうか。どこがどう痛いのかが良くわかりますので」

「殺伐としてるわー」

「紫電!」

「そうですか?」

 ふと見ると、少し行政長官が遅れている。疲れたのだろうか。

「大丈夫ですか?少し休みますか?それとももう戻られますか?」

 あまり顔色が良くない。普段からデスクワークばかりの人に、無理をさせすぎてしまったかもしれない。

「い、いえ。大丈夫です」

 ちっとも大丈夫そうに見えない。

「無理はしないで下さい。貴方はこの地方の行政の長でしょう?倒れられては皆が困ってしまいます」

 そっと背伸びして額に手を当てると、少し熱があるように思う。

「やはり少しお疲れのようですね。今日の所はもう戻りましょうか。ナズナ、運んであげて下さい」

「かしこまりました」

 ナズナは彼を抱え上げた。

「じゃ、戻ろっか。いやー、今日は沢山珍しい魔術が見れて良かったわ」

「あまり揺らさないように気を付けて下さいね、ナズナ。では、行きましょう」

 風圧系で飛び跳ねる。

 下には男性が一人いるが、見えても問題ないので気にしない。

 姉も裾は極端に短いが、何故か一度も見えたことがない。

 ナズナは行政長官を抱えて、いつものようにこちらを見上げながら走っている。

 とりあえず、道が作れるという事は見せたのであるし、暫くは大丈夫だろう。

 彼の体調は気になるが、少し熱があるだけみたいなので休めば問題ないだろう。

 今後は暇になった時に少しずつ進めて行けば良い。

 良い素材を持った魔物もいるかもしれないし。


 エインズワース・ボールドウィンは、その日あった事を生涯忘れることが出来ないであろう。

 王都の下級貴族の三男として産まれた彼には、自らの才覚でのし上がるしか生きる道は残されていなかった。

 魔術にも、剣術にも大した才能は見出されなかったが、幸いにも頭だけは良く回った。

 王都にある貴族の子弟が通う学校を首席で卒業し、卒業と同時に行政官としての試験を突破。

 行政官としては最年少に近い状態でそのキャリアをスタートする。

 何事にも如才なく立ち回り、ここぞという時に自分の能力をアピールする。

 そのような事を繰り返していたら幸いにも上の目に止まり、どうにかこうにかエリートコースに乗っかる事が出来たのだ。

 あとは大きな問題さえ起こさなければ順風満帆、身分から王都の長官は無理にしても、補佐程度までなら十分に勤め上げる事が出来るだろう。

 給与も十分、王都の二等地に家でも買って、出来るだけ可愛い嫁でも貰って幸せに暮すのだ。

 地方のサンコスタに赴任が決まった時はどうなる事かと思ったが、平和で穏やかな街であり、面倒事も少ない。

 人口増加が加速気味なのでそこは忙しいが、適度なストレスは退屈を紛らわせてくれる。

 何事もなくあと数年をここで勤め上げれば、王都に戻って晴れて王都の行政長官補佐だ。

 そうなればもうあとは流れに沿って行くだけ。将来は安泰、退職金も十分。

 そう、ここで何もなければ。


「エリートコースはさぞかし心労の大きいものでしょうね。少しでも早く駆け抜けてみては?」


 もしかしたら、身分を飛び越えて王都で長官の職に就けるかもしれない。

 そうなれば、家族や他の上級貴族も見返してやれる。そう思ってしまった。

「長官、例の村ですが、もうそろそろ収穫の時期が近づいています。農業指導も上手くいっておりますし、彼らもサンコスタのやり方に随分と慣れたようです」

 補佐官が例の村……ディアトリズナ村についての報告を行っている。

「そうか。問題はなさそうだな。ところで、道を作るという話はどうなっている?」

「メディソンのお嬢様の話でしょうか。確か、近況報告の為に王都に出ていらっしゃったかと。最近帰って来られたばかりなので、何も進んでいないのではと思われます」

 それならば仕方がないだろう。

 王都の用事は全てにおいて優先する。これは領主家であろうとも同じだ。

 ただ、村の発展具合によっては道を作ってもあまり意味がない可能性がある。

 お嬢様はどの村も最初は小さかったと仰ったが、それでもある程度の規模にはしておかなければならない。

 物資の蓄積も出来ないようであれば、拠点たり得ないのだ。

「ふむ。道は兎も角として、一度村を視察しておくべきかな。明日、出られるように馬車を手配しておいてくれ。君も来るように」

「かしこまりました」

 農業指導は順調だ。当然である。民間ではあるが経験豊富な人材を送り込んだのだ。順調でなければ困る。

 明日はその途中経過を確認しておけば良いだろう。

 たまには外に出ないと身体が鈍る。いくら長官は動く必要がないとはいえ、健康を害しては元も子もない。

 明日は新鮮な森の空気でも吸ってくるとしよう。


 馬車は街道から脇にあった看板の所で西に折れる。

 この道だ。いつの間にかできていたという道は。

 見渡すと、幅は一定ではないが随分と広い。

 街道クラスの横幅で、大きな馬車でもゆうにすれ違うことができるだろう。

 土もしっかりと固められており、この様子だと少々の雨が降ってもぬかるむことすら無いだろう。

 こんな立派な道が、一晩どころか朝から昼までの数時間で作られたというのだ。

 正直、眉唾ものである。

 小一時間も揺られて、村に到着した。

 馬車が通れるように跳ね橋の設置された、大きな堀がある。これならばある程度の魔物の侵入も防げるだろう。

 目の前には丸太で出来た頑丈な壁。これも村としてなら及第点だ。

 サンコスタや王都のような立派な壁ではないにしても、村という規模を考えれば上等だ。

 壁の外には試作したのか、小さな麦畑が出来ている。農業指導の賜物だろう。

 梃子を使った丸太の門を超え、村の中に入ったところで馬車は止まった。

 厩らしきものは無いため、野ざらしで置いておくしか無い。ここは追々といったところか。

 一見すると根菜や芋の畑が多いように見えるが、新たに開墾されたらしき畑には売れ筋の野菜が実っている。随分と手早く作ったものだ。

 村の家屋は殆どが板壁か石造り。普通は開拓地だと土壁か漆喰ばかりなので、ここはある程度時間が経ったのだろうと思われる。

「派遣した行政官はどこにいる?」

 補佐に聞くと、今は村長と収穫の時期の人手について相談しているらしい。

 案内してもらい、そちらへと向かう。

「長官、わざわざ視察にいらしたのですか」

 派遣した行政官が手を振った。こちらも振り返す。

「今、村長と話をしていたのですが、メディソン家の侍従の方がみえて……」

 工事をするので音がするという。と、いう事は、タイミング良く道を作る現場に居合わせたというわけだ。これは非常についている。

 せっかくなので作業現場を見せてもらおう。

 補佐官と派遣行政官を伴って、お嬢様方が向かわれたという西の通用口へと向かう。

 そこで、落雷のような轟音が鳴り響いた。

「な、なんです!?」

「落ち着け、これが工事の音だろう。何かの魔術かもしれん」

 短期間であんなに立派な道が出来るのだ。少々の事では驚くに値しない。

 二人を落ち着かせて通用口をくぐって、驚いた。

「も、もう出来てる!?さっきまで普通の森だったのに!」

 派遣行政官が驚きの声を上げる。

「冗談だろう?もう、かなり向こうまで道が続いてるぞ」

 道は街道からのそれと違い、幅は一定している。

 綺麗に舗装されているところは同じだ。

「行ってみよう。この先にお嬢様方がいらっしゃるのだろう」

 歩いていると定期的に先程の落雷音が鳴り響く。

 道の脇を見ると、木々の間に焼け焦げた切り株らしきものが転がっている。

 一体何をどうすれば切り株がこんな姿になるのだろうか。

 しばらくすると音はしなくなった。一旦休止したのだろうか。

 そのまま歩いていくと、目の前に随分と開けた場所が見える。一旦終点だろうか。

「信じられん……一体どうやったんだ」

「す、すごいぞ。本当に出来てる」

 口々に驚嘆の声を上げる行政官達。

「こんなに短時間で出来るものなのか……流石はメディソン」

 流石にこれは驚かざるを得ない。こんな速度でこの品質、普通に工事するのが馬鹿らしく思えてしまう。

「ボールドウィン行政長官。いらしてたのですね」

 絵から飛び出てきたのかと見まごうような金髪の美しい少女がこちらを見ていた。

 白い胸元のレースと、襞の入った短いスカート。そこから覗く太ももが眩しい。

 近くにいるのは、金髪を首の辺りで短く刈り揃えたグラマラスな女性。

 身体に張り付くようなぴっちりとした扇情的で真っ赤な装い。

 トリシアンナお嬢様のすぐ後ろに控えているのは、黒髪長身のこれまた美しい侍従だ。

 落ち着いた表情と憂いを湛えた瞳が背筋をぞくりとさせる。

「トリシアンナお嬢様!いや、今日はたまたま視察に来たのですが、轟音がしたので何かと思って。村長に聞くと工事だと仰るものですから、もしやと思い来てみました」

 本当にこの人達がやったのだ。

 見た目はどうみても貴族の令嬢とその侍従であり、とてもこの奇跡的な仕事を熟したとは思えない。

 普通の人間であれば魔術を使おうがなんだろうが、こんなに綺麗に、圧倒的に早く出来るわけがないのだ。メディソンとはやはりメディソンなのか。

 少し興奮してしまったが、次の好奇心が湧いてくる。見てみたい。

 どのように道を切り拓いているのか、見てみたい。

「……ところで、作業の様子を見学させて頂いても?」

 是非見てみたいのだ。どのようにしているのか。

 美しい女性たちは、少し困惑したように相談していたが、こちらに向けてトリシアンナお嬢様が決意したように仰った。

「エインズワースさん、お二人の職員の方も。一つお約束が出来るでしょうか」

「ちょっと、トリシア!」

 ディアンナお嬢様が焦ったように叫ぶ。何か問題があるのだろうか。

「お姉様、ここは一度聞いてみましょう。皆さん、私達の作業方法を絶対に他言しないというのであればお見せします」

 何を迷う必要があるだろうか。

 エリートというのは口が固いものだ。話すなと言われれば絶対に口を割らない。

 それが出世の絶対条件なのだ。

「結構です。私は拝見しましょう。お前たちは怖いなら戻っていて良いぞ」

 二人は帰っていった。それで良い。通常の職員は危険を犯す必要などない。

 多少の脅しなど王都の貴族や役人相手に慣れている。

「お姉様、方角を確認してきます。ナズナは周辺に採集の密集地がないか見てきて下さい」

 方角を確認?一体どのようにして?

 瞬間的に、美しい少女が虚空へと飛び上がる。仰天した。

 咄嗟に上を見上げると。白い足。白い下着。み、見てはいけないような気がするが目が離せない。

 遥か上空まで飛び上がった少女は、その場で滞空しているように見える。一体どうやって?

 どのような魔術にも、空中で静止できるものがあるなど聞いたことがない。

 そもそも魔術なのかどうかも怪しい。

 そのまま上を眺めていると、徐々に脚と下着もといお嬢様が降りて来た。

 白が、眩しい。

「あっちですね、王都の方角」

 上空にいたのだ。それは分かるだろう。というか、どうやって。

「お、お嬢様。今、空に浮いていませんでしたか?」

 あと丸見えでしたよ?とは辛うじて口にしなかった。

「磁力系の第一階位と第二階位を併せて使いました。磁力系は複数同時展開が必須になる事が多いので、あまり見せないですね」

 意味が全く分からない。なんだ磁力系とは。併せて使ったとはどういう意味だ?複数同時展開って、それは宮廷魔術師でもろくに使えるものがいないはずでは?

 お嬢様は術の説明をしているが、何一つ理解ができない。

 どうやら彼女しか使えない魔術のようだ。どういう事だ。何故宮廷魔術師にならない……なるほど。

 あまりにも希少な能力なのだ。バレてしまえば貴族は絶対に宮廷魔術師に引っ張られる。そして出てこられない。

 秘密にしろと言ったのはこういう事か。

「お嬢様、探索終わりました」

 ナズナが戻ってきた。

「お疲れ様です、こちらの方角なのですが、どうでしたか?」

「半径3キロメトロですと、真西の方角と北東の方角に少しありました」

 は?3キロ?この、お嬢様が浮いて戻ってきてちょっと話していただけの時間で半径3キロ?どんな速度で回ってきたんだ、頭がおかしい。おかしいのは俺の頭か。

「エインズワースさん、うるさいので少し耳を塞いだほうが良いかもしれませんよ」

 今度はなんだ。見事な長剣を抜き放ったお嬢様が耳をふさげと。

 言われた通りに塞ぐ。もう何があっても驚かないぞ。

「紫電。撃滅せよ!」

 開いた口が塞がらない。

 雷撃系だ。

 使い手が極端に少なく、全く解析の進んでいない魔術系統。

 こ、これは雷光騎士ベルトロメイの再来か?そうだ、メディソン、メディソンだ。

 彼は、彼女はメディソンだったのだ。

「と、トリシアンナお嬢様。い、今のは雷撃、ですか?」

「はい、雷撃ですね。内緒にしておいて欲しいと言った理由がわかりましたか?」

 わかった、大変良くわかった。だからもう許してくれ。

 これ以上喋ってはいけないことが増えたら脳みそがパンクしてしまう。

「それじゃあ整地していくねー」

 やめてくれ。

 圧倒的に魔力消費量の大きい地変系魔術をこれでもかと使って平然と整地していく。

 固く整った道はこれか。こんなもの、人間に出来るわけがないじゃないか!

 お嬢様方は会話に花を咲かせているが、その内容がまた恐ろしい。

 王太子殿下との話だとか、処女魔術がこの人達は軒並み第四階位だとか。

 俺は第一階位『ブリーズ』だったんだぞ、文句あるか!

「紫電!」

 再び目の前に雷光が奔る。もう、無理だ。

 これ以上は少し耐えられそうもない。抱えた秘密で意識が沈んでいきそうだ。

「大丈夫ですか?少し休みますか?それとももう戻られますか?」

 甘い香り。優しげな瞳。額に暖かなものがあたる。

「やはり少しお疲れのようですね。今日の所はもう戻りましょうか。ナズナ、運んであげて下さい」

 いきなり身体が持ち上げられた。

 なんだ、どういう事だ。

 侍従に抱えられたまま物凄い速度で移動している。目が回りそうだ。

 侍従の視線に目をやると、また白い脚と下着。もう勘弁してくれ。


 エインズワース・ボールドウィンは、今日あった事を生涯忘れることがない。

 そして、その事を誰かに話す事も生涯無かった。

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