第2話 視える色

「領主様!ご誕生なさいました!」

 華美ではないが相応に豪奢な寝室からの侍従長の呼びかけに、口ひげを蓄えた紳士が飛び込んでくる。

「おお!どっちだ!いや、どちらでも良い!まさかこの歳で新たな子を授かれるとはな!」

 どちらかといえば厳格な顔に満面の笑みを浮かべて、妻のいるベッドへと近寄る。

「可愛らしい女の子でございますよ、ヴィエリオ様。」

「おお、そうか!ありがとうハンネ、ありがとうスローン先生、ありがとうマリアンヌ!」

 ハンネと呼ばれた痩身の侍従長と、やや疲労した感のある眼鏡の医者を交互に握手し、妻と、彼女の抱く産まれたばかりの我が子を見遣る。

「お前に似て美人になるぞ!そうだ、名前、男ならば決めていたのだが、女の子か……」

 悩む仕草を見せる当主、ヴィエリオに、妻マリアンヌが穏やかに声をかける。

「女の子なら、私がもう決めていましたのよ、あなた。トリシアンナというのはどうかしら?」

「トリシアンナ!トリシアンナ!可愛らしい良い名前だ!よし、お前は今日からトリシアンナ・デル・メディソンだぞ!」

 周囲の喧騒に、泣き止んで眠っていたはずの赤子がわずかに目を開けたのに、気付くものはいなかった。


(トリシアンナ?外国か、ここは?)

 『彼女』は、強烈な眠気によって朦朧とした中で、辛うじて意識を保っていた。

(駆逐艦に突っ込んで、死んだ、はずだ。輪廻転生など、非現実的な。しかも記憶が……それにしても、眩しい。)

 『彼女』は周囲に満ちるキラキラとした黄色い光源に包まれていた。眩しいはずではあるのだが、目を瞑っているのにそれが感じられる。

(何なんだ、一体……しかし、不快ではない……)

 いずれにせよ身じろぎするにも事欠くような赤子の身であると理解した『彼女』は、ゆっくりと浅く抗いがたい眠りに落ちていった。


 首も座っていない赤ん坊の状態でも、本能を除けば、彼女――トリシアンナは、概ね明確に思考する事ができた。

 一番初めに気づいたのは、周囲の感情が『色として感じられる』という事だった。

 分かりやすいものだと、歓喜の黄色、憤怒の赤、落胆や悲哀の青、あとはよくわからないが、自分の周囲には桃色の感情が多い事を感じていた。

(この色を感じ取れる時は、みんな笑顔で私に接している。私が泣くと慌てて橙色が交じる。けれども、基本的に桃色は消えていない。)

 大雑把に言えば、慈愛の色なのだろうとトリシアンナは推測する。

 この世界での父も母も、4人の兄姉も、侍従や使用人に至るまで、彼女の顔を見るとじんわりと桃色がにじみ出てくるのだ。

 かつてあの島国にいた子供の頃、近所に赤ん坊が産まれて見に行ったことがあった。

 触れば壊れてしまいそうなか弱い存在に、何か心が癒されるような、そんな気分を持ったことを思い出していた。

(それに、この感情は心地良い)

 温度も何もない、ただ感じられるだけの色だが、包まれているとなんとも言えない安心感がある。何か本能的に、自分が守られているという感覚がある。

(出来るだけ、この”色”を感じていたい……)

 赤子特有の断続的な眠気を感じ、再び彼女は意識を途絶えさせた。


 トリシアンナの産まれた家は、この世界に東西2つあるとされる大陸の一つ、東大陸のやや中央南東にある。

 東大陸の覇権は国王を戴くケミセントラ王国が握っており、彼女の家はその王国の南部、地方領であるサンコスタ地方に位置している。

 東大陸の南海、東海には多くの島嶼部が存在し、各島嶼地域で概ね平和的な共和国制を敷いており、国力の差はあれど海という隔たりも相俟って、王国とは比較的有効的な関係を保っている。

 サンコスタ地方にあるサンコスタ港湾は、地形が入り組んだ三日月状になった天然の良港として、島嶼国と王国との重要な交易点となっている

 その港湾都市を含む地方領主として、メディソン家は町外れの小高い丘、というよりも山林を一部切り開いた所に邸を構えている。

 邸事態の大きさは他の領主と比べてやや慎ましやかではあるが、一目で街と港湾部を一望できる立地になっており、文字通り、都市の顔として木々の合間からその白亜の姿を覗かせている。

 現領主のヴィエリオ・デル・メディソンは、前当主からその権限を引き継いだ後、細かな関税の調整や港湾の整備、港湾街市場の一部規制緩和、従来あった自警団から選抜した都市警備兵による治安の改善など、目に見えて人口増加に伴う税収を増加させたため、王家からの覚えもめでたく、港という交通・漁業の恵みもあって、二男三女に惜しみなく愛情と金を注いでも、比較的余裕のある統治を行っている。


 そういった恵まれた環境に育まれて、彼女はすくすくと成長していた。

 這って動けるようになり、何かにつかまって立ち上がるようになり、覚束ないながらも自らの足で歩く事が出来るようになる。

 彼女は赤子の頃を過ぎると、ほとんど泣かなくなった。

 その代わりによく笑った。彼女が笑うと、周囲もつられて微笑み返した。

 歳の離れた兄姉達も、そんな彼女を良く構って慈しんだ。

 両親は甘やかしたが、彼女は我儘に育つこともなく、素直で愛嬌を振りまく優しい子だと周囲には認識されていた。

(幸福な家庭だ。”昔”と比べれば恵まれている。恵まれすぎている)

 彼女が生まれ変わる前の世界は、ここと比べると多少は文明が進んでいた。

 しかし、置かれた環境は最悪とも言って良かった。

(いや、もっと最悪な時代はいくらでもあったんだろう。私とて極端に飢えることは無かったし、奴隷だったというわけでもないのだから)

 それにしたって自爆を強いることはないじゃないか、と未だに過去の昏い気持ちを捨てられずにいる。表に出せば周囲が心配するため、勿論内心でため息をつくだけなのだが。

(しかし、幸せなのは幸福の揺り戻しだとしていいにしても、この世界はどうやら、以前いた場所とは違う法則で動いているみたいだ)

 一般平均よりも随分と早く言葉を口に出せるようになったトリシアンナは、周囲から大変驚かれた。神童とまで言われ、かなり早い段階で家庭教師をつけられることになった。

 彼女は別段、勉強が嫌いではない。寧ろ戦争で学問が続けられなかった事を残念に思っていたくらいなのだが、この世界の事を知るにつれ、かつての場所とは多くの部分で違う事がわかってきたのだ。

 言語学、算術、社会学、経済学(年端も行かぬ幼女に教えるべきことなのかはさて置き)はまだわかるが、驚いた事に魔術学、というものがあったのだ。

(昔、千里眼と持て囃された女性が非科学的だと批難されて、その能力を調べようとしていた学者もろとも悲惨な結末を辿った、という事もあったかな)

 多分、前居た世界ではそういった神秘の力というものは無かったのだろう。

 いや、あったとして、それは未だ法則の中に内包されたものであって、いずれカラクリのわかる科学である、という認識がなされていたのだ。それがこの世界では

「魔術、ですか。」

 大人の膝丈程度の幼女らしからぬ呟きが思わず漏れる。

 話を聞いてみれば、確かにそれはこの世界に存在するようなのだ。

 そもそもトリシアンナの感じている『他人の感情が視える』というのも神秘的なものではあるし、もしかしたらそういった『魔術的な』能力なのかもしれないのだ。

 

彼女は自分のこの能力をまだ誰にも言っていない。いや、既にこの事実は墓まで持っていこうと決心していたほどだ。

 考えてみればいい。自分の感情が相手に筒抜けだとわかれば迂闊な嘘もつけないし、ましてや邪な感情がバレているとわかったとしたら……。

 そんなわけで、彼女は相手の顔色を伺う素振りもせずに感情を察知し、大変素直で可愛らしい子を演じているのである。

(まぁ、演じるというよりも自然にそうなってしまうのですが)

 相手が自分を好意的に見ているとわかれば、こちらも相手に好意を返したくなるものだ。

 それは社会性動物として当然の如く備わった能力であり、本能でもある。

 それにしても、と、彼女は読み終わった本を閉じて嘆息を吐く。

「どんどん自分がこの家の空気に染められている気がします」

 望まれる存在に、愛される自分に、名家の子女として物心つくかつかないかの頃より教育を施され――勿論最初は年相応のものとしてだったが、理解が早すぎるためにどんどん先のステージへと進んでしまう――故に、今では他所の地方領主や王都の貴族が訪問してきた際に、挨拶まで要求されるようになってしまっている。

(どう考えても幼年学校最年少よりも遥か下の歳の子供がすることではないです)

 と、考えたところでまた不相応な苦笑がにじみ出てしまう。

「思考の中での言葉遣いまでとは」

 昔はもっと粗野だった気がするが、もう思い出すことも難しい。

 日々の経験や知識を吸収していく中で、自分が急速に変容しているのが自覚できてしまうのだ。謂わば、カンバスの絵画を上から油絵の具で塗り直すかのように。

 絵画であれば絵の具を削れば元の絵は出て来るかもしれない。しかし人の場合は表面を削ったところで、上と下の絵の具が斑になったものになるだけであろう。

 人格というのは単に型としてわけられるものではなく、混じり合った絵の具のように様々な要素を含んだものなのだから。

「それにしても魔術、魔術。これは大変興味深い学問です。」

 床の上、閉じた本の表紙を撫でながら理論を反芻する。

 この世界は、魔素と呼ばれる一般には認識できない微粒子で満ちている。

 その魔素を、様々なものを触媒として、例えば魔素を通しやすい鉱石や金属であったり、具現化するための文字式(魔法陣と呼ばれる)であったり、言語による具現化、所謂詠唱といったもの、それらを介して現象として実在化、発現する。というのが魔術の基礎とされている。

 ただこれだけを鑑みると、誰でも簡単にできてしまう危険な技術ではないかと思われるのだが、発動には術者の素養が大きく関わってくるというのだ。

 所謂先天的な魔力と呼ばれているそれが強ければ強いほど、より高度で強度の高い魔術を扱うことが出来るという。

 更にこの世界には普遍的に魔物という存在がおり、それらの中には自然と魔術を行使するものもいるらしい。

 魔物と聞いてトリシアンナは最初、山や森の中にいる獣のようなものかと思ったが、それは微妙に違うらしい。

 獣の場合はある程度成長する度合いが決まっていて、例えばイノシシならイノシシ、兎なら兎のまま、特別強くなったり大きくなったりすることは無い。しかし、魔物にはその制限というものが無いらしい。

 魔物がある程度成長すると、どんどん体が大きくなったり、またはそうでなくても知能が上がったり、種によっては変異して全くの別物になったりするようだ。

 多くの場合、これが人に対する脅威になるとして、定期的に騎士団や警備隊、冒険者といった者たちで組織的に狩られているようだ。

 トリシアンナ自身はまだこの邸を出たことが無いが、学術的興味からいずれそれらを見てみたいとは思っている。

 そのためにも、この魔術といった技術を可能な限り習得しておきたいのである。

 持ち歩くにはまだ彼女には重たいその本を置き去りにして立ち上がろうと――した時に、扉の向こうに仄かな色を感じた。

「おや、トリシア。またご本を読んでいたのかい?」

 驚きと慈愛の入り混じった薄く柔らかな色。

「はい。お父様。魔術の本はとても面白いです。」

 にっこりと笑って、しかしまだ舌がうまく回らずに魔術をまじゅちゅ、と発音してしまう。途端に桃色が濃くなる。

「そうか、そうか。トリシアンナは魔術に興味があるんだね。どうだい、次は魔術学の先生ではなくて、魔術師の先生を呼んであげようか?」

「はい!ぜひ、お願いします!」

 父は果てしなく末娘に甘い。

 最初にやってきた魔術師の教師は、治癒術を専門とする術者だった。

 心優しい子に学ばせるのならば、まずは才能の有無は別としても、人を癒すための術が良いだろう、という両親の取り計らいであった。

 治癒術とは、体細胞の失われた部分に働きかけ、魔素によって自己修復を促進させる術の事である。

 但しこれは一般的な術者の場合であり、高度なものになると生体情報まで再現して、失われた箇所を再生させたりといった事も可能になるという。

 また、体内に入った毒物の知識があれば、毒の作用箇所に直接働きかけて中和、若しくは分解したりも可能になるという、ある種の医者いらずという技術である。

 勿論医者にしかできない例外はある。

 外科であれば体内に留まった矢じりなどの異物の除去であったり、内科的には一般的な病気全てがこれに該当する。

 治癒術では体内に入った細菌やウィルスは除去できない(発熱させて等、間接的な殺菌は可能ではあるが)し、未熟な術者が迂闊に治癒術をかければ、そういった微生物の活動を逆に活性化してしまうこともあるからだ。

 ただ、治癒術専門の術師が医学を修めるという事は往々にしてあるそうで、そういった者は魔術医として大変尊敬される存在になるという。

 ヴィエリオ・デル・メディソン伯が末娘の為に呼び寄せたのは、その魔術医であった。


「よろしいですかな、トリシアンナ様。水撃系であれなんであれ、治癒術を使う上において、医術というのは最低限でも学んでおくべき事なのです。」

 きれいに禿げ上がった頭部に、度のきつい丸眼鏡をかけた、真っ白な髭の長身の魔術医、テーラー氏が大真面目な声で続ける。

「例えば腕を怪我したとしましょう。その傷が擦り傷や浅い切り傷だけであれば、素人にも、それこそ人によっては子供にだって治す事もできるかもしれません。しかし、その怪我が筋肉まで切り裂いていたら?筋を切断していたら?神経は?また骨まで達していたら?そのような大怪我の場合、知識の無いものが迂闊に魔術で治そうとしようものならば、様々な弊害が出てくるのは目に見えております。さて、何かおわかりかな?」

 トリシアンナは少し考える素振りをしてから答える。

「はい、テーラー先生。筋肉や神経の細胞を皮膚や脂肪の細胞が補ってしまえば、腕が動かなくなったり、表面上は治ってもずっと痛いままだったりになると思います。あと、治す時に外の悪いものを一緒に取り込んでしまうと、そこから病気になるのではないでしょうか?」

 その回答に、テーラー魔術医は満足そうに頷く。

「そうですな、治療というのは表面上、見た目なんともなければよい、というものではありません。後遺症……ええと、後遺症はわかりますかな?うむ、怪我の影響が後々まで残ってしまうのですな。それでは治したとはとても言えますまい。」

「そのために、傷口の消毒が第一、更に術の作用する箇所を的確に指定するのが第二ということですね?」

 黄色い光を発しながらテーラー魔術医は首肯する。

「初年度の学生よりもよほど理解が早いですな、トリシアンナ様。魔力の素養が強ければ是非私が時々教鞭を取る……失礼、私が教えている学校で学んでいただきたいものです。失礼ですが、魔術の行使はされましたかな?」

「いいえ、危険なのであまり急ぐことはないと両親から……なので素養はまだ、わかりません」

 若年者の不慣れな魔術の行使による事故は、毎年かなりの数発生しているらしい。

 理解不足による暴走や反動で、死亡事故も少なくは無い。

「それが宜しいですな。いや、あまりにも受け答えがしっかりしておるのでトリシアンナ様の年齢を失念しておりましたぞ、はっはっ」

「お褒めに与り光栄です」

 お返しに、とばかりにとびきりの笑顔を見せる。相好を少しだらしなく崩した魔術医は、ひとしきり講義を続けて、両親に太鼓判を押してから一日目を終え、帰っていった。

 その日から、毎日のように代わる代わる多くの専門家がメディソン家を訪れる事となる。

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