第5話

「はい。ですから、心置きなく休んでいてください。玉の汗が出ています」

 三鷹がそう云った直後、廊下から足音が聞こえた。と思った次の瞬間、「三鷹さん」とフランカの声が届く。

「――あら? ドアが開いていると思ったら、徳田さんでしたか。寛司さんの方ですか?」

 室内からも見える位置まで来て、誰何する。

「健司です」

 自らの胸を指し示しながらの答。汗は相変わらずだ。

「もう回復したのですか」

「い、いえ。先に教授にお知らせをしなくてはと思って、無理をして来たのだけれど、留守だと知って、力が抜けてきた」

 大げさなまでにふらつく相手に肩を貸そうとするフランカ。三鷹も手伝おうと腰を上げた。

「あ、いや、いい。結構。一人で戻れるよ」

 疲れたような声音で断ると、きびすを返し、意外と足早に去って行く。

「本当に似ていますね、寛司さんと健司さんて」

「似ています。私なんか、見分けがつきません」

 フランカは何故か嬉しそうに同意を示した。そんな彼女に向き直り、質問する。

「ところで、何か御用があったのでは?」

「ああ、そうでした。御御御付おみおつけは白ですか、赤ですか」

「え?」

「晩御飯の汁物のことです。今晩はゲストの三鷹さんの好みに合わせようと思って、聞きに来ました」

「わざわざすみません」

 味噌汁に限らず、料理に執着のない三鷹は申し訳なく感じた。


 塩胡椒はなかなか見つからなかったらしく、行方教授が戻って来てから程なくして夕食の時間を迎えた。残念ながら徳田健司は床に伏せたままとのことで、全員揃ってとはならなかった。

「彼の食事はどうするんだね」

「少し前に、お粥を届けました。寛司さんから『お粥作って、持って行ってくれますか』と頼まれて急いで作りましたが、うまくできたかどうか」

 事情を聞いた教授の疑問に、フランカが答える。そこへ寛司が加わる。

「忙しいときに頼みごとを聞いてくれて、ありがとうございます。兄弟思いなところを見せたくて、というのは冗談として、健司の奴、食べてました?」

「ひとすくい、口にするのは見ました。そのあとは、見られていると食べにくいなと云いますので、私と三鷹さんは下がりましたけれど、あれは本当のところ、まだ食欲がないのではないかと感じました」

「しょうがないなあ。あとで見に行ってやろう」

 今は自分の食事が先だとばかり、割箸に手を掛ける。卓上では鉄板が熱を持ち、油が早くも蒸発を始めていた。

「では、私の姪の歓迎並びに健司君の快復祈念の意味を込めて、乾杯と行こう」

 行方の音頭で食事が始まった。

 塩胡椒がなかなか見当たらなかったことを取っ掛かりに、話題は転々とする。当然、三鷹も話の種にされた。

「珠恵ちゃんは夢って、何かあるの? 将来これになりたいっていうような」

 宇津井は、いつの間にか下の名前にちゃん付けで呼ぶようになっていた。

「機械いじりが好きなので、工学系の専門家になりたいです」

「ロボット作りとか?」

「やってみたいですね」

「じゃあ、将来はロボコン大会出場か」

 伊倉がしっかり食べながらも、会話に加わる。三鷹は否定的な返事をした。

「ロボットコンテストにはさほど興味が湧かないのですけれど……」

「どうして? 色んなアイディアが見られて面白いけどな、あの大会」

「それを認めるのにやぶさかでありませんが、自分は性格上、順位争いをする競技では、勝負を最優先にしてしまいます。ロボットコンテストでは最強のロボットが、最良のアイディアと必ずしもイコールで結ばれません」

「はっはあ。分からんでもないな」

 感心した様子の伊倉だが、すぐさま飲み食いに力点を置き直した。

「中学生にしては、理屈っぽいことを考えているんだねえ。こうじゃないと、学者になれないのかな」

 寛司が呆れたように云ってから、教授を見、首を竦めた。

「私としては、この子にはもう少し女の子らしいところを身に着けてほしいと願っているんだがね。勉強とは別に」

 行方は既に酔い始めたのか、やや怪しい呂律で述べる。寛司が今度はフォローに回る。

「見た目は充分、女の子らしいですけど」

「中身も大事だ。論理的な思考と女性らしさは、なかなか同居しない」

「あらら。では、先生。私やフランカさんもそうではないと?」

 宇津井が云った。反論のニュアンスはなく、会話を楽しんでいる風情だ。

「君達の能力はある程度知っているつもりだが、普段の女性らしさがどんなものなのかは知らん」

「実験を始めてから今日までで、分かっていただけなかったんですね」

 がっかりした口ぶりに転じ、はははと高い声で笑った宇津井。彼女もアルコールが回ってきたようだ。

「教授はともかく、皆さん、飲み過ぎは困ります。明日の実験に響きかねない」

 浮城山が云う。彼自身、酒の量をセーブしているようだ。

「大丈夫ですよ、浮城山さん。まだ徳田君が一人に見えるから。二人に見え始めたら危ないか、健司君が復活したってことかしらね。あははは!」

 本格的に酔い始めた雰囲気の宇津井に、多くの者が仕方ないといった顔を覗かせる。

 三鷹は話題を換えた方がいいのかなと思い、「寛司さんと健司さんて、本当によく似ていますね」と発言した。

「そうねえ、二等辺三角形と正三角形ぐらいには似てるかな」

 宇津井が愉快そうに答える。分かりにくいが、面白い喩えだと三鷹は思った。

「そうかね。私の感覚では、うーむ、桜と梅と桃の区別と同レベルだな」

 伯父の喩えは、なおのこと分かりにくい。

「それって、あんまり似てないって意味ですか」

 嬉しいのか悲しいのか、複雑な表情の徳田寛司。自身のことが話題にされるのが嫌なのか、箸も止まりがちである。

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