第2話
「お疲れ様です。これ、先に届けてやってくれと伯父に云われました。アイスクリームです」
「おお。ありがてえ」
がちゃがちゃと音を立て、椅子から離れる伊倉。この室温でアイスクリームを待ち焦がれていたとは、よほどの好物なのかもしれない。
「私はあとでいただくとするよ。伊倉君。好きなのを選んで、あとは冷凍庫に仕舞っておいて」
「分っかりました」
軽い調子で請け負うと、伊倉は一個、大きなカップ型アイスを選び取り、そのまま箱を持って部屋を出た。どこかにキッチンの設備があるらしい。
「他の皆さんはどうされているのです? 実験中ですか」
「その通り。体調がいいときに始めるから、皆、ばらばらなんだよ。今回は予備実験みたいなもので、全くの同条件に揃えなくても、傾向が掴めればいいそうだよ。ああ、こんなことは、行方教授から聞いているのかな」
「いえ、大まかな実験内容だけです。よく分かりましたわ。浮城山さんは被験者の方々に常に張り付いていなくてもかまわないのですね?」
「私は結果を集計するだけ。計算の正答率を出したり、被験者の心身両面の状態を聞き取り調査したりと、やることはたくさんあるね。それにしても」
浮城山はドアの方を見た。
「教授がお見えにならないな」
「伯父なら、買い物袋を運んでましたから、多分、キッチンへ先に行ったのだと思います」
「何と。荷物運びなら、我々が引き受けるのに」
「きっと、偉そうに振る舞う姿を、姪に見せたくなかったのでしょう」
三鷹がにこりと微笑すると、浮城山はしばし目を見開き、それから「なるほど、あり得なくない」と首肯した。
浮城山の案内で、キッチンに向かう。すると推測通り、伯父がいた。伊倉の手を借り、買ってきた物を冷蔵庫に入れたり、卓上のトレイに並べたりしている。
「おや、珠ちゃん。みんなに会ったかい」
気付いた伯父が、すぐに声を掛けてきた。「こちらのお二方とだけ」と答える。
「あとの四人は皆、実験に取り組んでます」
浮城山が空になった買い物袋を丁寧に折り畳みながら、云い添えた。
「フランカさんと
「じゃあ、一同が会するのは、夕食の席かな」
「うーん、いつもの時間に摂るのでしたら、健司君だけ遅れますね。ずらしますか」
時計を見てから提案した浮城山。行方はしばらく手を止め、思案げな様子だったが、「いや、日常のペースを余り狂わせるのもよくない。食事ぐらいは予定通りに進めよう」と断を下した。
それを見て、くすりと笑う三鷹。こんなことを決めるのでさえ、難しい顔をして考えるのは、いかにも伯父らしいと。
と、そのとき突然、伊倉が素っ頓狂な声を上げた。
「あれっ? 先生、もしかして塩胡椒を忘れていません?」
「ん? 塩胡椒は確か買ったと思うが……いや、二軒回って、見つからなかったんだったかな」
既に空っぽの袋を覗き、さらにテーブル等、辺りを見回す行方。三鷹にとって塩胡椒を買えなかったことは自明だったのだけれども、云わずにおく。三分後、伯父は虚しい確認作業を切り上げた。
「あれがないと、牛タンがうまくないですよ」
伊倉が探り探り、不平を述べる。夜は焼き肉らしい。
「うむ。私も認める」
また小難しい表情になり、今度はすぐに決断した。
「もう一度行って来よう」
「それなら、今度は私が」
浮城山が手を挙げたが、教授はいやいやと首を横に振る。
「忘れた者が責任を取るのが当然だ。なに、小一時間で済むだろう」
行方はスーツのポケットからキーホルダーを取り出し、握り直すときびすを返した。だが、途中で足を止めると、再びポケットに手を入れる。そこには目的の物はなかったようで、反対側のポケット、さらには尻ポケットもまさぐる。そして出て来たのは財布。開いて中からレシート二枚を取り出すと、近くのテーブルに置いた。
「割り勘の計算を頼むよ。いつものように、端数は私が持つ」
そう云い残し、今度こそキッチンを出て行った。しばらくして玄関の自動ドアの開閉する音が、微かに聞こえた。
「どういう風の吹き回しだか、今日の教授は、いつもより優しい気がするなあ」
伊倉のコメントに、浮城山も小さく首肯し、三鷹に視線をやった。
「姪御さんのおかげだろう」
「普段は厳しいのですか」
「いや、厳しいってほどじゃないけれども。何て云うか……今日は腰が低い感じだな」
そう答えた伊倉は、冷蔵庫の冷凍室を空け、中からカップのアイスクリームを取り出した。蓋がなく、スプーンをさしたままだ。
「ぼちぼち女性陣が出て来てくれないと、準備に取り掛かる気が起こらないな」
クリームを舐めながら云ったのは、夕食のことだろうか。
「野菜と肉を切るぐらいだから、じきだ。こんなに早く取り掛かることもない」
浮城山はそれから、三鷹に聞いた。「君はアイスはいらないのかい?」
「今は結構です。それよりも、実験やデータ集計の様子を見てみたいかな」
「では、データについては、私が説明するとしよう。実験の方は、途中で邪魔をする訳にいかないから……伊倉君、デモンストレーションということで、やってみせてくれ」
「俺ですか」
スプーンをくわえたまま、げんなりした口ぶりで応じる。
「頭、疲れてんですけど。手も」
「形だけでいいんだよ。何時間もぶっ通しでやる必要もないし」
「分かりましたぁ。食べてからにしてくださいよ」
「早くしろよ」
先輩から急かされた伊倉はクリームをかき込み、そして顳かみを押さえた。
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