第32話(アレク視点)面倒な人
「じゃあ行こうか、アレク」
部屋の扉を開けると、満面の笑みを浮かべたヘリオスが立っていた。溜息を吐きたい気持ちを抑え、じっとヘリオスを見つめる。
「……行くって、どこへですか?」
「決まってるでしょ、調査だよ。修道院へ事件のことを聞きに行くんだよ」
「ヘリオス様が直々に行かなくてもいいと思いますが」
「僕が行くって決めたんだから、君はついてくればいい」
横暴なことを言って、ヘリオスはにっこりと笑った。整った顔立ちをしているのに、やたらと胡散臭く見える笑顔だ。
アレクにとって、ヘリオスは直属の上司である。そしてなぜか気に入られているようで、こうして指名されることは多い。
そのせいで一部の隊員からアレクが妬まれていることにも、きっとヘリオスは気づいているだろう。
気づいているくせに、わざと人前でアレクに話しかけたりする。そういう男なのだ、彼は。
「ほら、早く」
「……はい」
頷いて、部屋を出る。すぐになにか仕事を与えられるだろうと思い、身支度は整えていたのだ。
アレクはヘリオスと同じ、ケルクス伯爵の屋敷に泊まることになった。しかし与えられたのは客室ではなく、使用人用の小部屋だ。
アレクが特務警察部隊内では少数派の平民であり、なおかつ貧民街の出身だからである。
「修道院はここから少し歩いたところにあるみたい。馬を借りてもいいけど、散歩がてら歩いていこうか」
「はい」
アレクに拒否権などない。ヘリオスの一歩後ろをついていき、屋敷の外に出る。わざわざ伯爵が見送ってくれたが、もちろんその目にはヘリオスしか映っていなかった。
まだ朝早いが、それでもかなり温かい。太陽が空の中心にいく頃には、かなり気温は高くなっているだろう。
南部の気温には慣れないな。
貧民街で生まれ育ったアレクは、当然旅行なんてしたことがない。特務警察部隊に入ってからは何度か出張を経験しているが、南部にくるのは初めてだ。
周囲はほとんど畑で、ぽつぽつと民家が点在している。娯楽にあふれた王都とは違い、かなり静かな場所だ。
「ねえ、アレク。リベルタはどう? 君なら、仲良くできるかと思ったんだけど」
「貧民街出身同士ってだけで、仲良くなれるとは限りませんよ」
「それはそうだけど。でも、親しくしているって話を聞くからね」
振り向いて、ヘリオスはくすりと笑った。この人には一生、隠し事なんてできないと思う。
「まあ、あいつは、普通に話しかけてきますから」
貧民街出身というだけで、アレクと口をきこうともしない隊員もそれなりにいる。そんな中で、リベルタはよく話しかけてくるのだ。
「話している感じは、普通なんですけどね」
とても殺人事件の犯人には見えない。けれどシャルルのこととなると、どこか狂気を感じてしまうのも事実だ。
リベルタの話をしているうちに、二人は修道院に到着した。
話には聞いていたが、修道院というより学校に近い。実際、敷地内には立派な宿舎があり、貴族の令嬢たちが暮らしている。
院長であるクリスティーヌは、夫に先立たれた50過ぎの女性とのことだ。
「入れるんですか? 男子禁制、という話でしたけれど」
「これは自慢だけど、僕が入れない場所なんて、この国には数か所しかないんだよ」
ふふっ、と笑い、ヘリオスは門番のいる場所へ向かった。特務警察部隊の隊員証を見せると、慌てて門番が扉を開く。
特務警察部隊の隊員証には名前が記載されている。大貴族であるヘリオスを拒める人間なんてそういない。
門をくぐり、修道院の敷地内へ入る。宿舎と教会は別の建物で、二つの間には中庭がある。中庭には、色とりどりの花が咲いていた。
中庭にいた少女たちが、ヘリオスの姿を見てきゃあっ、と軽い悲鳴を上げる。すぐに物陰に隠れたのは、男性と話してはならない……というここでの掟を守るためだろう。
とはいえ美しいヘリオスに対する好奇心は隠しきれぬようで、少女たちは熱い視線を彼に送っていた。
「そういえば君の妹も、女学校に通っているんだってね」
「ええ。これほど立派なところではありませんが」
妹は現在、王都にある全寮制の女学校へ通っている。貴族の令嬢が通うような立派な学校ではないが、安心して妹を任せられる場所だ。
もしアレクが特務警察部隊の入隊試験に落ちていたら、妹は今頃妓楼で働いていたかもしれない。
アレクの合格を決めたのはヘリオスだという。その話を聞いてからずっと、アレクはヘリオスに頭が上がらないのだ。
「そうだ。院長への取り調べは君に任せるよ。僕は後ろで聞いているから。まあ、なってなかったら、口を挟ませてもらうけど」
「だったら、最初からヘリオス様がやればいいじゃないですか」
「だめ。僕は君に期待してるんだから」
楽しそうに笑って、ヘリオスはアレクの背中を叩いた。
「上手くできたら、ちょっとしたお小遣いをあげよう。それで、妹に新しい服でも買ってあげるといい」
そんなことを言われると頷くしかない。それを見て、この人がまた笑うと分かっていても。
「分かりましたよ」
ヘリオス様からしたら、貧民街育ちの俺は珍しくて面白いんだろう。だからいつも、こうやってからかってくるんだ。
面倒だ、と少し思う。でも、彼の笑顔は嫌いじゃない。
「院長室は教会の二階にあるそうだ。行こうか」
「はい」
不意に風が吹き、ヘリオスの髪が揺れる。
彼の髪からは、嗅ぎ慣れたミントの香りがした。
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