第31話(リベルタ視点)足りない
「ついたぞ」
マルセルが馬を止める。それを見て、リベルタも馬をとめた。
ようやく、ケルクス伯領に到着したのだ。きっと、目の前にある立派な屋敷がケルクス伯の屋敷なのだろう。
「リベルタ、馬車を開けてやれ」
「はい」
馬を下り、馬車の扉を開ける。目が合うと、シャルルは軽く微笑んでくれた。それだけで全身が温かくなる。
よかった。シャルル様が、ちゃんと笑ってる。
「どうぞ」
そっと手を差し出すと、シャルルはすぐに手のひらをのせてくれた。躊躇いなく触れてくれることに安堵し、そっと彼の手を握る。
細くて長い綺麗な指。きっとこの人の身体に、綺麗じゃないところなんてないんだろう。
「ありがとう」
足を怪我しているのだから、歩くのもつらいはずだ。けれど、シャルルは背筋をピンと伸ばして立っている。
すぐに屋敷の扉が開き、一人の男が出てきた。立派な顎髭と、丸々とした身体が印象的な中年男性である。
毛皮のついた派手な赤い服を着た男は、シャルルの姿を見ると慌てて駆け寄ってきた。
「殿下! お久しぶりでございます。この度はわざわざこのような場所までご足労いただき、誠にありがとうございます」
大袈裟なほど深く頭を下げた男に、シャルルはとびきりの微笑みを返した。
「今回は私たちを頼ってくれてありがとう。もう安心していい」
いつもと違う一人称と、いつもと違う声音。
おそらく、伯爵に対して猫をかぶっているのだろう。
「長旅でお疲れでしょう。部屋を用意しておりますので、さあ、こちらへ。マルセル様もヘリオス様も、まさかこんなところまできていただけるとは……!」
伯爵はマルセルやヘリオスにも丁寧に頭を下げた。しかし、リベルタや他の一般隊員のことは一切目に入っていないようだ。
清々しいほどの分かりやすさである。
当初の予定では、全員が伯爵の屋敷に宿泊することになっていた。しかし人数が増えた結果、一部の者だけが伯爵家に泊まり、残りは近隣の宿に泊まることになった。
「ケルクス伯。彼は私と同じ部屋に泊まる。その用意をしてくれないか」
シャルルがリベルタを見ながら言うと、伯爵は大きく目を見開いた。
「従者用の部屋も、きちんと用意しておりますが」
「感謝する。でも、彼とは同室でお願いしたい。最近はいろいろ物騒だろう? 護衛として、常に傍にいてもらうようにしているんだ」
護衛の必要性を訴えることは、屋敷内の安全性を信頼していないと伝えることになりかねない。
伯爵を不快にさせないよう、シャルルが気を遣って言葉を選んでいることが分かった。
「分かりました」
「ありがとう。それに彼は年も近く、私のいい友人でね。夜通し話をするのも楽しいんだ」
シャルルの言葉に、伯爵が目の色を変えた。先程までの態度とは打って変わって、リベルタに対しても丁寧に頭を下げる。
「殿下のご友人でしたか。すぐに宿泊の用意を整えますので、ご安心ください」
振り向くと、伯爵は傍に控えていた使用人たちに素早く指示を送った。
◆
部屋に入るなり、シャルルはベッドに寝転がった。人前では気丈に振る舞っていたが、やはり怪我がまだ痛むのだろう。
「リベルタ」
「はい」
「しばらく休む。悪いが、この部屋を離れないでくれ」
すぐにシャルルの寝息が聞こえてきた。そっと近づいて、寝顔を覗き込む。
目を閉じていても綺麗な顔だ。
シャルルの怪我が治るまで、彼を一人にしてはいけない。常にリベルタかマルセルが護衛を務めることに決まった。
マルセルはいろいろと忙しいため、基本的にはリベルタが常にシャルルを護衛する。
シャルルの怪我は、そこまで酷くはないそうだ。無理をしなければ、三ヶ月もすれば走ることだってできるはず、とヘリオスが言っていた。
けれど。
シャルルが意識を失っていた間のことを思い出すだけで、リベルタの身体は震えてしまう。
彼がいなくなってしまったら、生きる意味を失う。
シャルルに出逢うまで、リベルタに生きる意味なんてものはなかった。死なないから生きていただけだ。
だが、彼に出逢って生きる意味を与えられ、世界が色づいた。
「貴方が始めた世界なんだから、終わらせるのも、貴方じゃなきゃ嫌だ」
そっとシャルルの頬に手を伸ばす。けれど触れる前にとめた。彼の眠りを妨げてはいけない。
先程、シャルルはリベルタのことを友人だと伯爵に紹介してくれた。おそらく、伯爵がリベルタに失礼な態度をとらないようにするためだろう。
俺はそんなの、気にしないのに。
しかし、シャルルの気遣いは素直に嬉しかった。
ただ……。
友達じゃ、足りない。
とっさにそう思ってしまった。十分すぎる言葉のはずなのに、足りないと感じてしまった。
シャルル様の世界を変えたいなんて、大それたことは望まない。
でも俺は、シャルル様の特別になりたい。
人の欲望には限りがないのかもしれない。住処と食事、仕事、生きる意味……いろんなものを手に入れたのに、リベルタにはまだ欲が残っているのだから。
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