第29話 約束

 全身が重い。まるで、泥の中にいるみたいだ。それでも必死に、シャルルは瞼を持ち上げた。


「シャルル様!」


 リベルタの大声が脳を揺らした。そして、目の前にリベルタの顔が近づいてくる。


「大丈夫ですか? 痛みは? 意識はありますか?」


 口は動くものの、上手く声が出ない。それでも精一杯の力を振り絞って頷くと、リベルタは大粒の涙を流した。


 少しずつ意識が明瞭になっていく。それと同時に、痛みが鮮明になる。


「あの、シャルル様、俺……」


 リベルタが泣きながらシャルルの腕に縋った。今は身体がきつくて、その頭を撫でてやることもできない。


 怪我をするというのは、こういうことなんだな。


 なんとか口を開こうとしたところで、部屋の扉が開いた。そして、ヘリオスが入ってくる。


「ようやく目を覚ましたみたいだね」


 いつもと変わらない口ぶりだが、安心したような声音だった。ヘリオスは部屋の椅子に座り、じっとシャルルを見つめる。


「君は丸二日間眠ってたんだよ」

「ふ……二日間、も?」


 ようやく声が出た。しかし、まだ起き上がれない。リベルタに目線で指示し、そっと背中を支えてもらった。

 上半身を少しだけ起こし、真っ直ぐにヘリオスを見つめる。


「とりあえず、眠っていた間のことを教えてくれ」

「了解。襲われた後、僕たちは宿に移動し、すぐに君の治療をした。怪我のせいか君は高熱を出して、今まで目を覚まさなかった」


 そうだ。俺は襲われた。そしてあの時、俺はリベルタのことを……。


「その間、ずっとリベルタは君の傍から離れなかったんだ。少しは休めと言っても、ずっと起きて看病をしていた」


 改めてリベルタの顔を見つめる。目の下にはかなり濃いクマができていた。

 それに、少し痩せた気がする。


「とりあえずヒューに早馬を送って、護衛用の隊員を呼んでる。ケルクス伯には、到着が少し遅れる、という連絡を送った」

「分かった。それで、俺たちを襲った奴らの正体は?」

「ただの強盗だと主張し続けてる。ただ、マルセルの読みだと……」


 ちら、とヘリオスはリベルタに視線を向けた。一瞬だけ悩んだような表情を浮かべたが、すぐに話を続ける。


「第一王子の命令だろうって。隊長の命を狙っていたのか、ちょっとした嫌がらせが目的だったのかは分からないけど」


 第一王子・プルグス。昔からシャルルとは仲が悪いが、ここまで直接的な攻撃を受けたのは初めてだ。

 それだけ、プルグスも焦っているのかもしれない。二十歳を越えた今も、彼は王太子となっていないのだから。


「で、これからどうする? このままケルクス伯領へ向かう? それとも、隊長は屋敷へ戻る?」

「戻るわけないだろう。俺はこのまま、ケルクス伯領へ向かう」


 シャルルの返事など分かっていた、とでも言うような顔でヘリオスは笑った。


 もしケルクス伯領へ行くことをやめれば、プルグスの思うつぼだ。移動中にただの破落戸に襲われて怪我をし、仕事を全うできなかった情けない王子、なんて言って回るつもりかもしれない。


「俺の怪我は公表するな。護衛として隊員の人数を増やし、すぐに宿を出る」

「分かった。どうせ言うと思って、もう馬車は手配してある。ヒューには散々文句を言われたけどね」


 さすがに、怪我をした状態では馬に乗って移動することはできない。遅くなってしまうが、馬車で移動するしかないだろう。


「ただ、もう少し休むこと。いいね?」

「ああ。それに、今すぐは動けそうにない」


 シャルルが素直に答えると、ヘリオスは笑って部屋を出ていった。再び、リベルタと二人きりになってしまう。


「お前も、休んだ方がいい。寝てないんだろう。もう、部屋に戻っていいぞ」

「嫌です」


 リベルタは何度も首を横に振った。


「シャルル様の、傍にいさせてください」


 また、リベルタの瞳から涙がこぼれ落ちた。


 俺が目を覚まさない間、こいつはどれほどの涙を流したのだろう。

 こいつは、どんな気持ちで、俺が目を開けるのを待っていたのだろう。


 そっと手を伸ばし、リベルタの頬に触れる。


「悪かった、心配をかけて」

「……本当に。このまま起きなかったら、俺も死のうと思っていました」


 恐ろしいことをさらっと口にして、リベルタはいつもの笑顔を浮かべた。


「俺はもう、シャルル様のいない世界では生きられないから」


 その言葉と眼差しに、身体が震えた。意識を失う前に抱いた彼への恐怖が、シャルルの体内で体積を増していく。


「シャルル様。俺はまた、人を殺してしまいました」

「俺を守るためだろう。お前の判断は間違っていない。お前がいなければ、俺は死んでいた」


 そう言っても、リベルタは不安そうにシャルルを見つめている。


 もしかして、俺が怖がっていることに気づいているのか?


「シャルル様」

「……なんだ?」

「お願いがあるんです。俺と、約束してくれませんか?」

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