第28話 奇襲

「そろそろ、宿に着くな」


 一度マルセルが馬を止める。まだ辛うじて太陽が少し見えるが、あと少し経てば完全に空は月の支配下となるだろう。


「さすがヒュー。ちょうどいい場所に宿をとってくれたね」


 ヘリオスが軽やかに笑う。マルセルの陰に隠れているが、彼もそれなりに乗馬は得意なのだ。


「ちょっと待ってください、地図で確認しますので」


 アレクが懐から地図を取り出す。大体の場所は覚えているが、宿の正確な場所は把握できていないのだ。

 このあたりはかなりの田舎で、似たような道が続いていて分かりにくい。


 深呼吸をし、周囲を見回す。山道は整備されていて進みやすいが、周りは木ばかりで見晴らしがいいとは言えない。


「しばらくは真っ直ぐ進んで、道が左右に別れたら左に進むみたいです。そうすると、すぐ宿ですよ」


 アレクはそう言って地図を懐にしまった。


 二日酔いからはだいぶ回復したが、かなり疲れがたまっている。一秒でも早くベッドで休みたい。


「進むぞ」


 マルセルが再び馬を進め始めた、その瞬間。

 足に激痛が走った。


「くっ……!」


 なんとか馬の首にしがみついて落馬は防いだものの、痛みで意識が朦朧とする。視線を足に向けると、深々と矢が突き刺さっていた。


「敵襲!」


 すぐに叫んだのはマルセルである。その叫び声とほぼ同じタイミングで、左右から矢が飛んでくる。木の中に上手く隠れているのか、姿は見えない。


「ヘリオス、シャルルを!」

「分かってる!」


 ヘリオスが馬を寄せ、シャルルに寄り添った。だが治療をしようにも、馬から下りてゆっくりするわけにはいかない。


 油断していた。


「シャルル様!」


 リベルタの悲鳴が聞こえる。すぐにシャルルのもとへこないのは、マルセルと共に矢の対応に追われているからだろう。


「隊長、意識はある? 足に痺れは?」

「痛みはある……が、痺れはない」

「毒が塗られていなければいいけど」


 足からは血が出続けている。しっかりしなければと思うのに、全身が重くて、意識を手放しそうになってしまう。


 唇を噛んで、なんとか意識を保とうとする。顔を上げた瞬間、木の陰から出てくる複数の男たちが目に入った。

 数は全部で10人くらいだろう。全員が剣や矢など武器を持っているが、軽装である。


 こちらの倍の人数だ。しかもシャルルは怪我をしており、ヘリオスは彼に付き添っている。実際に動けるのは、わずか3名である。


「全員は殺すなよ!」


 マルセルがそう指示を出す。それとほぼ同時に、リベルタは最も近くにいた男に切りかかった。

 顔は見えないが、きっと今、リベルタは恐ろしい顔をしているのだろう。


 どうやら相手はそれほどの手練れではないらしい。そんな連中の矢にあたってしまうほど、シャルルは気を抜いてしまっていたのだ。


 あっという間に、三人は敵を片付けてしまった。特にリベルタの動きは恐ろしいほど速く、そして、怖いくらいに静かだった。

 マルセルが敵の一人を縛り、引きずってやってくる。


 残りは全員、地面に倒れていた。おそらく、死んでいる者も多いだろう。


「誰の命令だ?」

「お、俺たちはただの強盗だ……」


 男はそう答えたが、不自然に目が動いている。


「隊長、宿まで我慢できる?」

「ああ。その方が安心だ」


 清潔な場所で手当てをした方がいいに決まっている。それに、痛みにも慣れてきた。


「とりあえず、こいつも連れていくか」


 マルセルが呟いた時、背後でぐちゃ、となにかが潰れるような音がした。

 慌てて振り向くと、リベルタが倒れていた男の頭を何度も踏みつけている。倒れた男の手には、短剣が握られていた。


「こいつ今、シャルル様に短剣を投げようとしました。意識を失っているふりをしていただけです」


 リベルタの声は怒りで震えている。どう見ても既に息絶えた男の頭を、何度も何度もリベルタは踏み続けた。


「また、倒れているふりをしているだけかもしれない。ちゃんと殺さないと。ちゃんと……」


 落ち着け、と叫ぶ気力は今のシャルルにはない。口を開こうとしても、上手く唇が動いてくれないのだ。


 男の頭が完全に形を失ったところで、ようやくリベルタは顔を上げた。

 リベルタの全身は、返り血で真っ赤に染まっている。


「シャルル様」


 駆け寄ってきたリベルタからは、血の匂いがする。手のひらにも、べったりと血がこびりついていた。


「……シャルル様」


 なにか言ってやらないと。早く、こいつを安心させてやらないと。

 そう思っているのに、喋ることができない。


「マルセル、隊長を馬に乗せてやって」


 ヘリオスが言うと、マルセルは頷いた。この中で一番、馬に慣れているのはマルセルだ。彼の馬に乗るのが一番いいだろう。


「シャルル、安心していい」


 聞き慣れた叔父の声に、緊張がほぐれていく。

 瞼を閉じる寸前に、シャルルの目に入ったのはリベルタの白髪だった。真っ白な髪は、ところどころ血で汚れている。


 こいつは俺を、必死に守ってくれた。俺が傷つけられて、俺以上に怒ってくれた。

 それなのに、怖いと感じてしまうのは、どうしてなのだろう。


 自らの問いに答えられないまま、シャルルは完全に意識を失った。

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