第13話 忘れていたこと
「妓楼が賑わっているという話は本当だったみたいだね」
店を出てすぐに、ヘリオスが呟いた。妓楼では一番楽しんでいたわりに、切り替えは誰よりも早い。
「そうみたいだな。ああいう店に新規の客がつくのは、かなり珍しいだろう?」
「うん。あそこまでの高級店だとね」
「俺としては、新しく働き出した娘のことも気になるな」
シャルルがそう返すと、ヘリオスはからかうような笑みを浮かべた。
「気に入っちゃった?」
「違う、そういうことじゃない」
「そう? 女遊びくらい、別にいいと思うけど」
ヘリオスはくすくすと笑うと、視線をリベルタへ向ける。
「リベルタはどう? 気になる娘、いた?」
「あ、いえ、そんな……」
どう返答するべきか分からず、おろおろし始めたリベルタを見てヘリオスはまた笑う。昔から、ヘリオスは人をからかって遊ぶのが好きなのだ。
そしてその被害を最も受けてきた人間が、彼の隣に立つマルセルである。
「いい加減にしろ、ヘリオス」
マルセルに軽く頭を叩かれると、暴力反対、などと言いながらもヘリオスは口を閉じた。
「それでシャルル、新しく働き出した娘の、なにが気になったんだ?」
マルセルは真剣な表情でシャルルを見た。それに対し、どこか面白くなさそうにヘリオスが唇を尖らせる。
「良家の出身だそうです。店主がそう言っていただけでなく、立ち居振る舞いや香水からも、おそらくそれは事実かと」
「良家の娘が、妓楼で働くように……か」
通常、妓楼で働くのは身寄りがない娘や、金銭的な事情から親に労働を強要された娘が多い。
高級妓楼ともなれば妓女は教養や演奏技術を身に着けているが、それは妓楼で行われた教育の結果である。
良家の子女が妓楼で働くなど、滅多にないことだ。
「金を得た者がいれば、その分失った人がいる。それだけの話でしょ」
ヘリオスが横から口を挟んだ。確かにその通りだ。
「ただ、なにがその原因になっているかは気になるところだね。ここ以外の店でも、同じようなことがあるのかな」
現在、他の妓楼にも隊員を派遣している。その報告を聞けば、なにか分かることがあるかもしれない。
不可解な金の動きと、増えた行方不明者。この二つが関連している可能性は十分あるだろう。
「ああ。分かり次第、俺にも教えてくれ」
「了解」
話がまとまったところで、眠気が押し寄せてきた。空を見上げると、端がわずかに明るくなっている。
もうすぐ、夜が明けるのだ。
早く帰って、さっさと眠りたい。
シャルルがそう考えて目を閉じた時、曲がり角から、破落戸が五人出てきた。
「ずいぶん金を持ってそうだな」
五人のうちの一人が、下卑た笑みを浮かべながらそう言う。
貧民街ほどではないが、王都も繁華街は治安がいいとは言えない。
こういった連中の取り締まりは特務警察部隊の仕事ではないが、捕縛する権利はある。
「ここは俺が」
マルセルが前に出ようとするより先に、男たちの悲鳴が聞こえた。
「何事だ!?」
慌てて破落戸たちへ視線を戻す。すると、いつの間にか彼らは地面に倒れ、付近には赤い血が散らばっていた。
「シャルル様、見てください。もう安心ですよ!」
リベルタは笑顔で言い、倒れた男たちを見下ろす。彼の右手には大剣が握られている。
「あ。まだ生きてますけど、とどめもさしますか?」
リベルタは何の躊躇いもなく、刃先を倒れた男の一人へ向けた。意識を失っているのか、男は少しも動かない。
それに、腹部から派手に出血している。
このまま放っておけば、出血多量で死ぬんじゃないか?
「ヘリオス、すぐに医者の手配を!」
「分かった」
慌ててヘリオスが駆けていく。マルセルはゆっくりとリベルタに近づいていった。
「武器を」
マルセルが手を差し出せば、リベルタはあっさり大剣を彼へ渡した。
「……シャルル様?」
不安そうな目で見つめてくるリベルタに、なにを言えばいいのだろう。
破落戸たちは、シャルルたちの身分を知らず、金目当てに絡んできただけだろう。まだ何かの被害を受けたわけではない。
明らかにやり過ぎだ。
「リベルタ」
名前を呼んで手招きする。訓練された犬のように、リベルタはすぐに寄ってきた。
「あの、俺、危ないと思って。シャルル様に危険が及ばないようにしなきゃって、それで……シャルル様の、役に立ちたくて」
分かっていたことだが、リベルタには悪気がない。きっと、やり過ぎた、とも思っていないのだろう。
俺のせいだ。俺が、ちゃんと教えていなかったから。
なにかを言わなければ。そう思うのに、口が上手く動かない。
頭の中に、リベルタと出会った時の記憶が蘇る。
こいつが子供みたいだから、つい忘れていた。
リベルタは、何の躊躇いもなく人を殺せる男だったのに。
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