第10話(リベルタ視点)眩しい人

「そろそろ戻るか」


 アレクがそう言ったのは、月が太陽に代わって空を支配し始めてから、数時間が経った後だった。

 飲まず食わずで聞き込み調査をしていたから、もうへろへろだ。


 少し前まで、飲まず食わずなんて当たり前だった。それなのに身体は、もう贅沢な日々に慣れてしまったらしい。


「はい。……あ、これ、ありがとうございました」


 マントを脱いで返すと、アレクは小さく頷いた。

 無言のまま並んで歩く。好かれていない……というのもあるのだろうが、元々あまり口数が多い性格ではないのだろう。


 月がぼんやりと地上を照らしている。今日の月は真ん丸だ。


 月の形なんて気にしたの、いつぶりだっけ?





「帰ったらまず、ヘリオス様へ報告だ。ついてこい」


 宿舎に到着してすぐ、アレクに従ってヘリオスの部屋へ向かった。

 シャルルやヘリオスら幹部の部屋は、一般隊員の部屋とは別棟にある。


 アレクが部屋の扉を叩くと、すぐにヘリオスが出てきた。


「待ってたよ。中に入って」


 ヘリオスが二人を優雅に手招きする。リベルタは慌てて頭を下げた。


 貧民街で育ったリベルタは、当然マナーなんて知らない。でも、シャルルが教えてくれたことを少しずつ覚えている。

 目上の人には敬語で話すこと。目が合った時は頭を下げること。


 基本的なことばかりかもしれない。けれど、何も知らないリベルタに、シャルルが丁寧に教えてくれたことだ。


 部屋に入り、リベルタは目を丸くした。

 室内にシャルルがいたからである。


「……シャルル様?」


 目が合うと、シャルルは気まずそうに視線を逸らした。


「隊長、君が心配だからって、僕の部屋で待ってたんだよ。手土産もないのに居座られて、いい迷惑だったんだから」


 くすっとヘリオスが笑うと、酒は持ってきただろ! とシャルルが騒ぐ。


「で、どうだったんだ」


 立ち上がったシャルルが、リベルタを真っ直ぐに見つめながら言う。


「あ、えっと、いろいろ話は聞いたんです。でも、事件解決に繋がる情報があるかは分からなくて。えっと……」


 今日聞いた内容を必死に思い出す。字が書けないから、メモなんてとれなかったのだ。


「最近、前よりちょっと貧民街の飲み屋街が賑わっているとか。その影響か、妓楼も儲かっているとか……」


 要するに、ほんのちょっぴり景気がいい、という話だった。

 行方不明事件と関係があるとは思えない。


「そういうことはヘリオスに言ってくれ。俺が聞きたかったのはそうじゃなくて、お前がどうだったかだ」

「……俺が?」

「初めての聞き込み調査だっただろう。ちゃんとできたのか? 問題は起きなかったか?」


 言いながら、シャルルが目の前にやってきた。深紅の瞳に真っ直ぐ見つめられると、鼓動が速くなる。


 俺のこと、心配してくれた……ってこと?


「なんとか。その、話は聞けました。アレクさんが、マントを貸してくれましたし」

「マント?」

「はい。不気味な髪だと、人に嫌がられてしまうので」

「この髪がか?」


 シャルルが手を伸ばし、そっとリベルタの髪に触れた。


 なんでこの人は、簡単に俺に触れるんだろう。


 出会った時、シャルルはリベルタに怯えていた……と思う。あんな状況だから、当然かもしれないけれど。


 貧民街で暮らしていた頃、リベルタに誰かを殺すことや痛めつけることを依頼してきた連中は、リベルタがいざ依頼を済ませると怯えて目も合わせてくれなくなった。


 なのに。


「雪みたいで、美しい色をしているのにな」


 こんなこと、初めて言われた。


「気にする必要はない。この俺が気に入っている髪なんだから」

「シャルル様……」

「聞き込み調査も、無事にできたんだろう。よくやったな。なにか褒美をやろうか?」


 褒美、という言葉に耳ざとく反応したのはアレクだった。


「隊長、だったら、教育係の俺にも褒美をください。現金支給でお願いします」

「……お前なあ」


 呆れたように溜息を吐いた後、シャルルはすぐに笑った。


「まあいいだろう。リベルタはなにが欲しい?」

「俺は……」


 欲しいものなんて、とっさには思い浮かばない。

 食べ物にも、眠る場所にも困っていないのだから。


「シャルル様の傍にいられたら、それだけでいいです」


 シャルルが目を見開く。そうか、と言いながら口を大きく開けて笑い出した時、彼の頬はほんの少しだけ赤く色づいていた。


 本当に綺麗な人だな。


 初めて見た時からそう思った。でも、今なら分かる。彼は外見が美しいだけではない。


 もっと彼のことが知りたい。彼の役に立ちたい。


 こんな風に思うのは、生まれて初めてだ。

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