第9話(リベルタ視点)久しぶりの街
コンコン、と部屋の扉が控えめにノックされる。リベルタは慌ててベッドを飛び降りた。
アレクとかいう人が迎えにくるって言ってたけど……どんな人だっけ。
思い出そうとしても、なかなか上手くいかない。そもそもリベルタの記憶力はよくないのである。
リベルタに与えられた自室は、一般的な新入隊員へ与えられる部屋だ。ベッドも家具もちゃんとある温かい部屋には、正直まだ慣れない。
ここへきて、約一週間。シャルル以外の隊員との会話はゼロに等しい。リベルタと関わりたい人間なんていないのだ。
まあ、そうだよね。昔から誰も、俺と仲良くしようとはしてくれなかったし。
なのにシャルル様だけは、俺に笑顔で接してくれる。
まるで、夢を見ているみたいだ。
「はい」
部屋の扉を開ける。目の前に立っていたのは、中肉中背の男だった。年齢は二十を少し過ぎたくらいだろう。
茶色の髪と瞳という、どこにでもいそうな容姿の持ち主だ。しかし、長い前髪からのぞく両目はやたらと鋭い。
「ヘリオス様から話は聞いているだろう。俺がアレクだ。今回、お前とペアを組んで聞き込み調査をすることになった」
「はい」
「それと、俺はお前の教育係に任命された。よろしく」
ぶっきらぼうにそう言うと、アレクは軽く頭を下げた。慌ててリベルタも頭を下げると、アレクはさっさと歩き出してしまう。
俺の教育係なんて、みんな嫌がったんじゃないのかな。
この人は、どうして受け入れてくれたんだろう。
「リベルタ」
「はい、なんでしょう」
「俺たちが聞き込み調査を命じられたのは貧民街だ。貴族の連中は、貧民街での聞き込み調査なんてしないからな」
ヒューの説明によると、行方不明者は中流家庭の者が多いと言っていた。
だが、貧民街でも同様の事件が起こっていないかは調べなければ分からないだろう。あそこで暮らす人がいなくなったところで、騒ぎにはならないから。
◆
久しぶりに足を踏み入れた貧民街は酷いところだった。
そこいらにごみや吐瀉物が放置されて悪臭を放っているし、歩く人々も薄汚れている。
ちょっと前までは、ここを普通だと思ってたのに。
「適当に声をかけて、なにか変わったことがないかを聞け。なんでもいい。俺たちの仕事は情報を集めることだ。必要な情報かどうかを決めるのは俺たちの仕事じゃない」
アレクはそう言うと、慣れた様子で人々に声をかけ始めた。もちろん、ちゃんと話に応じてくれる人ばかりではない。
むしろ、酒臭い口で怒鳴ってくるような連中の方がずっと多い。
でもあの人、全然動じないな。
「……よし」
きちんと働かなければ。役に立つことを示さなければ、追い出されてしまうかもしれない。
それだけは嫌だ。
「あの、ちょっといいですか」
道端に座り込んでいた男に声をかける。男は顔を上げると、リベルタを見て顔を顰めた。
「気持ち悪い髪色だ」
そう呟いて、男が立ち去る。遠ざかる背中を見ながら、リベルタはまたか、と心の中で呟いた。
リベルタにとっては見慣れた白い髪も、多くの人にとっては気味が悪いらしい。
「おい」
アレクに声をかけられた。振り向くと、アレクが自分のマントを脱ぎ、リベルタに差し出している。
「これでもかぶって、髪を隠せ」
「……はい」
リベルタがマントを受け取ると、アレクはすぐに離れていった。気を遣ってくれたのか、単純に聞き込み調査の効率を上げたかったのかは分からない。
マントをかぶり、髪を隠す。瞳の色も誤魔化せるから、見た目で怪しまれることはないだろう。
「すいません、聞きたいことがあるんですが」
今度は酒を飲みながら歩いている男に声をかける。立ち止まらずに進もうとした男の腕を強く掴んだ。
「最近、なにか変わったことはありませんか」
男は舌打ちをしたが、腕を離さずにいると、ゆっくりと口を開き始めた。
「なんもねえよ。ここは相変わらず汚くて臭いままだ。お前は今まで、ここが変わったのを見たことがあるのかよ」
国王が変わっても、新たな法ができても、貧民街だけは変わらない。
権力者や金持ちたちは、こんなところに興味はないだろうから。
でも。
あの人は俺を、ここから連れ出してくれた。
「おい。聞いておいてぼーっとすんな、このグズが」
「あっ、すいません。それで、どんなことでもいいんです。些細なことでも」
リベルタが真剣な顔で食い下がると、男は怯んだように一歩下がった。
なんでもいい。話を聞いて、報告しないと。
よくやったって、あの人に褒めてもらいたいから。
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