第3話 囮たち

「よし、全員集まったな。今から貧民街へ向かうぞ。全員、気合を入れろ」


 おおっ! と力強い返事を期待したが、返ってきたのはただの沈黙だった。


「おい、お前ら。隊長の俺が……」

「シャルル、その格好はなんだ?」


 目の前に立っていたマルセルが、シャルルを見て溜息を吐く。


「叔父上、なんだとはなんです? 今日も俺はこんなに美しいというのに」

「……で、美しいお前が、なんで女装をしてるんだ?」


 マルセルに睨みつけられ、シャルルは満面の笑みを浮かべた。鏡の前で何度も練習した、とびきり可愛い女の子にしか見えない笑い方である。


「分からないんですか、叔父上。今回我々はまず、美少女を狙って殺害する男をおびき出すんですよ」

「それは分かっている」

「でしたら、囮として美少女が必要でしょう!」


 とはいえ、実際の美少女を囮として使うわけにはいかない。もし囮の少女が危険に晒されでもすれば、特務警察部隊の評判はかなり悪くなってしまう。


「だとしても、なんでお前が女装するという発想になるんだ?」

「俺が一番美しいからです」


 特務警察部隊は男所帯だ。もちろん美少女なんていないし、美少女に扮することのできる者もいないだろう。


「俺が一番、適任でしょう。身長は高いですが、まあ、背の高い少女もいますしね」


 マントのようなものを羽織れば骨格もそこそこ誤魔化せる。夜の闇では、シャルルが男だと見抜くことはできないだろう。


「危険だとは思わないのか。殺人鬼に狙われるんだぞ」

「ご冗談を、叔父上。俺が少女ばかりを狙う卑劣な殺人鬼に後れをとるとでも?」


 シャルルが得意とする武器は大剣ではなく、双剣だ。双剣であれば、衣服の中にこっそり隠し持つこともできる。


 幼い頃から、剣術はマルセルに仕込まれてきた。


「信じてください。俺の剣の師匠は叔父上なんですから」

「……分かった。なにかあったらすぐに大声を出せ。お前の安全が最優先だからな」

「もちろんです。美貌に傷がついてはいけませんから」


 やれやれ、とわざとらしく呟くと、マルセルは部下に向かって指示を出し始めた。

 今回、出動するのは戦闘班員だけである。もちろん全員ではなく、マルセルが選んだ隊員だけだ。


「よし、行くか」


 軽く深呼吸をする。囮役を務めるのは初めてだ。緊張しないわけじゃない。


 だが、この俺が危険な役をやってこそ意味がある。

 宮殿の中に引っ込んでいるだけじゃ、民衆はついてこない。


 だからこそシャルルは宮殿を出て、特務警察部隊を設立したのだ。





 貧民街に到着すると、シャルル以外の隊員たちは暗闇に散らばった。シャルルは周囲を観察し、人気がない路地裏へ進む。


 酒の匂いと、吐瀉物の匂い。吐きそうになるのを我慢しながら、暗い方へ暗い方へと進んでいく。


 貧民街には街灯なんて設置されていない。月の光と、古びた家屋から漏れ出る光だけが道を示してくれる。


 特務警察部隊の活動を始めるまでは、貧民街へ足を踏み入れたことなど一度もなかった。


 ここに住むなんて、想像もできないな。


 頭を振って、余計な思考を追い出す。今は事件にだけ集中するべきだ。


 しばらく進むと、不意に後ろから足音が聞こえた。すぐには振り向かず、行き止まりにたどりついてから、ゆっくりと後ろを確認する。


 暗闇では、はっきりと顔は見えない。けれど目の前に立つ男が、下卑た顔つきをしていることは分かった。


「なあ、お嬢ちゃん。ちょっと俺ときてくれないか」


 欲望にまみれた声は聞くに堪えない。しかし、男が右手に刃物を持っているのを見て、シャルルはこっそりと笑った。


 釣れた。

 おそらくこいつが、美少女殺人事件の犯人だ。


「おとなしくしてくれたら、痛いことはしないから」


 こいつは今まで、何人もの少女たちを殺した。おそらく、たっぷりといたぶった後で。

 今すぐこいつを殴ってやりたいが、そういうわけにはいかない。


 この男は、貴重な囮なのだから。


 男がゆっくりと近づいてくる。距離が近づくごとに、鼓動が速くなっていく。


 そろそろ限界か? 都合よく、本命はやってこないのか?


 シャルルが諦めて隠しておいた双剣に手を伸ばそうとした、その時。


「こんな時間に、君みたいな可愛い子が一人でいたら危ないよ」


 のんびりとした声が聞こえてきたかと思うと、目の前の男が叫び声をあげ、地面にうずくまった。


「ちょっと、うるさい」


 再びのんびりとした声が聞こえる。そして、シャルルの前に何かが転がってきた。


「……耳?」


 いくら暗闇でも、これほど至近距離で見れば分かる。

 それは切り落とされた、人間の耳だった。

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