第32話 王の血を継ぐ者 ~グレイ視点2~

 人生の転機は唐突に訪れた。


「若様。貴方様はご自身の人生をお歩みくださいませ」


 両親が死に、兄が集落を出てから2年ほどが経ったある日。

 最年長であったカウルが何の前触れもなくそう言ってきた。


「どうした?急に何を言ってるんだ?俺はちゃんと自分の人生を生きているじゃないか」

「違います。今若様の歩まれているのは、グレイール=ヴァルハラという過去に縛られた人生でございます」

「だからそれが――」

「私が申しておるのは、ヴァルハラという名に囚われない、グレイールという個人としての人生を生きていただきたい、そう申しておるのですよ」


 カウルの言っている事が分からないというわけではなかった。しかし、それが許される事だとも思わなかった。

 これまでヴァルハラ王家の正統な血筋だと言われ続けて育てってきた。そこには両親だけでなく、先祖たちの積み重ねられた想いもある。それを今更捨てて生きるなどとういうことが許されるはずがない。

 それにそんな事をしてしまったら、カウルを始めとした皆はどうなるのか?

 彼らのこれからの人生、そしてこれまでの全てを台無しにしてしまうだろう。


「私どもが気付いておらぬとお思いですか?先代の跡を継いでからの若様は大変ご立派に当主を務めておられました。しかしそれは当主たる責任を果たさんが為。今の若様は本来の自分の心を押し殺し、ただその責を果たさんが為だけに生きておられます。自分はこうしなければいけない、そうするべきなのだと、そういう気持ちで」

「それは――そうだろう?俺は皆のリーダーとしての責任を果たす義務があるんだ。いくら若いとはいえ、それくらいの責任感くらいはある!」

「それは責任感などではないのですよ……」

「……では何だと言うんだ?」

「――諦め、というものでございます」


 それは薄々気付いていた感情。

 しかし割り切って捨てたはずの想い。


「お兄様であるワイトニー様がここを出られた時、我々はすでに覚悟を決めていたのです。近い将来、若様もここを出て行かれるであろうと。しかし若様は我々を見棄てることが出来なかった。そして我々もそんな若様の気持ちに甘えていた」

「俺がここを……そんな事……」

「思い出してくださいませ。ワイトニー様が出て行かれる時、若様に後の事を託すなどと申されましたか?ご両親は若様に一族の復讐などを託されましたか?

 我々がここに隠れ住んでいたのはヴァルハラの血筋であることを隠す為でございました。しかし時は流れ、時代は変わりました。世間ではドーヴィルという名を知る者もおらず、もし若様がその事をバラしたとしても誰も信じようとは思わないでしょう。ああ、王家だけは別かもしれませんが。

 ワイトニー様はその事に気付いておられました。旅立つ前、我々のところへ来て、これからは好きな場所で自由に暮らせば良いとおっしゃってくださいました。ですが、若様がここを出て行かれるまではお傍におりますと返事いたしました。これは全員の意思でございます」

「……何故だ?どうしてすぐにでも自由になる道を選ばなかった。お前たちだってここを出ても大丈夫だと知っていたのだろう?それなら何故その時にそうしなかった?俺を独りにしない為か?」

「……未練なのでしょうな。若様を独りにする事への気遣いなどではなく、我々が若様と離れたくなかったのでございます……。結果的にその事が若様を苦しめる事になってしまいました。本当に申し訳ございません。

 これからは若様が自分の望む自由な人生を歩まれる事が、使用人一同の心よりの最後の願いでございます」


 カウルはそう言って、涙を流しながら微笑んだ。



 二十歳の誕生日を待たずして俺は集落を出た。

 他の者たちは皆集落に残ると言った。

 自分たちはここで生れてここで育った。これからは街へも出て行く事になるだろうが、それでもここが自分たちの家だから、と。

 この地からヴァルハラの血族はいなくなる。

 しかし、俺の故郷はこれからも残る。


 そんな皆の気遣いがたまらなく嬉しく――そして切なかった。



 血の縛りから解放されて自由を得たのと同時に、これから俺は何も無いところから自分の力で生きていかなければならないという権利も得た。

 世間の事などほとんど知らない俺が生きていけるのか?

 どれだけ俺の力が通用するのか?

 その事を考えると、不安よりも興奮に似た感情が沸き上がってきた。


 そして俺は好きだった算術を生かした商人の道へと進むことになる。

 やがては店舗を構え、この国一の大商人になるという夢をもって。


 何度も騙され、多くの人に助けられ、様々な経験を積みながら行商を続けた。

 様々な領地を回っている間に、この国は集落の皆に聞いていたよりも衰退していた事に気付く。

 常にどこかでは勢力争いが起こっており、王家にはそれを止めるだけの力はすでに無い。

 訪れた王都エルディンの街並みは華やかで、まるでここだけ別の国なのかとも錯覚したほどだったが、やがてそれが張りぼての虚像だった事を知る。


 いずれこの国は亡ぶだろう。

 それは確信にも似た予感だった。

 大きな争いが起こる。大勢の罪なき人々が死ぬ。

 でもそれは仕方が無いことかもしれない。何かを変えようとするなら、全く痛みを伴わないという事は不可能なのだから。

 それでも犠牲になる人たちの中に、俺に近しい者がいたらどうだろう?

 その時、それでも俺は仕方ないと諦める事が出来るのか?


 それがいつになるかは分からない。

 それならば、その時までに俺はこの国の経済を支配出来る程の商人になろう。

 起こるのが革命か反乱か、それともまた別の事か。

 俺は俺の出来る事でこの国を救う道を探そう。


 少しでも犠牲に少ない方法で次代が迎えられるよう、俺は俺の自由を生きようと決め、グレイールの名を捨て、ただのグレイになった。




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