第16話 小悪党 ~シモーネ視点2~
持参した過去数年の決算書を渡すと、魔女はすぐにそれに目を通し始める。
読み終えた書類を隣にいた老人の執事に一枚ずつ渡していき、執事もそれを追うようにして読んでいた。
本当にきちんと読んでいるのか疑うほどの速度で次々とめくっては渡していく。
その間、私の心臓の鼓動はこれまでに感じたこともない程の大きな音を立てており、背中にはじっとりとした汗をかいていた。
コルフローネの作った決算書は完璧だ。
しかしこの女ならば、それすらも見抜いてしまうのではないか?そんな不安が私の脳裏によぎった。
全てを読み終わると、いくつかの簡単な質問を受けた。
借金は月ごとに返済しているのか?それとも年度末にまとめて返しているのか?今期も不足が出そうだが、新たに借り入れることは可能なのか?など、借金に関してがほとんどだったが、最後に一つだけ気になる質問を受けた。
「貴方は異動の予定はありますか?」
聞かれた意味がその時は分からなかった。
しかし私は何か目に見えない圧力に押されるように、今のところその予定はありません。と、素直に答えていた。
屋敷を後にしてからずっと私はその意味について考えていた。
そして最も恐ろしい想像として、あの女は一度読んだだけで決算書の不備を見抜き、そして私がこれまでに不正を行ってきたことに気付いたのではないか?ということだった。
だから証拠が揃うまでこのアルカディアから逃げ出すことがないように確認をとったのではないか?もしかしたらすでに私にはあの女の付けた監視がいるのではないか?そんな恐怖にずっと見舞われていた。
だがそれも全てが杞憂だった。
後ろめたい私の心が勝手に怯えていただけだった。
あれは私にこれまで通り商人との橋渡しをして欲しいという意味だったのだ!
だからこそ私が異動でいなくなっては困る。なのでそのことを訊いておこうと思っただけのこと。
それがこの手紙に書かれている、おおよそ領地持ちの子爵が男爵家出身の一管理官に対して使うような文章ではないことからも分かる。
あり得ない程に
自らの境遇を嘆き、私に媚びているとも取りかねる文言。
早急にどうしても金が必要だというのがはっきりと解る表現。
その憐れみに満ちた手紙は、コルフローネの言うようにあの傾国の魔女の印象とはおおよそかけ離れたものだ。
結局私は、あの女の見た目と噂に踊らされていただけなのだろう。
あのような異様な風貌も、あの女が自ら生み出した、新領主として周囲に舐められないようにするための苦肉の策なのかもしれない。
まさかあんな姿で、貴族子女の集まるエルディン学園に通っていたはずがないじゃないか。
黒髪というだけでなく、全くウェーブもかけていない首の長さで揃えられた襟足。
おでこに見られたくない傷でもあるのかと勘繰ってしまうような、眉の上で真っすぐに切り揃えられた前髪。
あのような髪型の貴族令嬢など見た事も聞いたこともない。
それによくよく考えてみれば、あの全てを見透かす様な鋭い目つきにしても生まれつきのものだろうし、あの女は私が感じていたような恐ろしい存在などではなく、中身はただの世間知らずの貴族令嬢なのだ。
そのようなこれまで王都の中の暮らし以外を知らずに育ってきた公爵家の箱入り娘に、私たちが慎重に慎重を重ねて
王都の官僚ですら地方での麦の取引価格など知らないのだから。
忌み子と嫌われ、王都には頼る相手も庇ってくれる味方もおらず、辿り着いた先は借金だらけの辺境の地。今年度の税の当ても立っていない以上、今あの女が頼ることの出来るのは私たった一人。
不正がバレていることはなさそうだし、ここで更に恩を売ることが出来れば……。
「で、どうするんですか?資金。誰か商人に聞いてみます?」
「もちろんだ。もし商人が貸し渋るようならば、名義はどこぞの商人ということにしておいて、1000万クルゼ全額私が出そう」
「そこまでしますか?」
「当然だ。ここで子爵に恩を売ることが出来れば、その親であるフィッツジェラルド公爵との繋がりが出来る可能性がある」
「公爵から取り立てようと思ってますね?」
「取り立てるというと人聞きが悪いな。あくまでも娘の治めている領地の借金を肩代わりしていただくのだ。早く返してもらわないと、この国の多くの商人たちが首をくくることになりますとでも言ってな」
「……それなら、最初から全て管理官が出したらどうです?その方が手間がかからないし、早く子爵にお渡しすることが出来て印象が良いのでは?証文に関しては後から持っていくという事にして、その間に名前を貸してくれる商人を捜せば良いかと」
「うむ。確かにそうだな。よし!その手で行こう!しかし、あまりにすぐに貸してしまうとありがたみが減るだろうから、まずは心当たりの商人がいますから少しお待ちくださいといった感じの返事を出そう。そうだな、一週間後くらいを目途に用意が出来たと伝えれば、金額的にも十分に早い方だと思わないか?」
「そうですね。それくらいが妥当でしょう。向こうとしては期待を持って待っているので、それに結果が伴ったとあれば、管理官に大恩を感じること請け合いですよ。感激して泣いちゃうかもですね」
「そうだろうそうだろう!そうと決まればすぐに返事を出してくれ。出来るだけ私の人脈があるからこそ準備が出来るというのが伝わるような文面でな」
「ん?私が書くんですか?管理官ご自身で書かれた方が良いのでは?」
「そういうのも補佐官の仕事だ。頼んだぞ」
「まあ、書けというのなら書きますけど……」
私は権力の下で不正を行う小悪党。
その自覚はある。
そして、生まれつき文才の能力が無いことも自覚しているのだ。
何故か席に向かったコルフローネが大きな溜息をついていた。
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