第15話 小悪党 ~シモーネ視点1~
「ふふ……フファ!ふははははははっ!」
何という事だ!
これまで私が恐れていたことは全て杞憂だったということか!
「……どうしました?ついに気でも触れましたか?」
同室にいた管理官補佐のコルフローネが怪訝そうな顔で聞いてきた。
「ついに、とはどういうことだ……。私は別にギリギリのところで理性を保っているわけではないぞ」
「そうでしたか。かなりギリギリなのかと思っていました」
「ぐぬぬぬぬ……」
この若造は三年前に王都からここに赴任してきた新人の管理官補佐で、何かにつけて私を見下したような態度をとるいけ好かない野郎だ。
だが、エルディン学園を首席で卒業した秀才で将来を嘱望されている男で周囲からの信頼も厚い。その上に伯爵家の次男ということもあって、男爵家出身の私にとっては、上司と部下という関係性であったとしても強く出ることが出来ない厄介な奴だ。
しかし、そういう未来の明るい若者であっても所詮は人間。
清廉潔白な者などこの世の中に存在していないのだ。
「別に発作を起こしているわけではない。私が笑っていたのはこれだ」
「それは――アルカディア子爵から届いていた手紙ですか?」
「ああ、お前も読んでみろ」
私は雑にコルフローネの机の上に手紙を投げ捨てる。
「……これは、子爵からの借金の打診ですね」
「ああ、そうだ。領地の借金返済の為に農作物の品質向上を目指したい。ついてはその研究費用として1000万クルゼを用立てできないかと泣きついてきたのだ」
「それは土壌の改良や品種改良などを行うということでしょうか?」
「何をするつもりなのかは知らん。だが所詮は女子供の素人考えの思いつきだろう。どうせやっても上手くいくはずもないわ」
「まあ、確かに。これまでもダウントン家や王都から来た研究者が散々やって、ようやく今の品質の収穫量になったわけですからね。これから研究を始めたとして、万が一上手くいった頃まで商人たちが返済を待ってくれるか、そもそも今期の税を国に納める資金すらありませんからね。どうせならこの借金をそのあてにした方がマシかもしれません」
「ああ、私もそう思う。何かを試したとして、その結果が出るのは来年の秋だ。では今年の不足分の税はどうやって納める?商人たちから借り入れるしかないだろう。それなのに先に1000万クルゼもの借金をしておいて、その上で貸してくれる商人がどれだけいるというのだ」
「それは管理官次第なのではないですか?これまでも貴方が旨い汁をちらつかせて、アルカディアでは返せるはずもない金額を借り入れてきたんでしょう?」
「そうだ。借り入れた全額はアルカディア領のものだが、実際は私たちが抜いてきた金額を商人たちにも握らせている。だから商人たちが貸し付けた実額は半分ほどだ。そして返済があった時には、その渡していた金の半分を返してもらう約束になっている」
「そうしてでも管理官の懐は痛まない、ということですね」
「ああ、私が出しているのはその中でも一部だし、これまでにその何倍もの金が入ってきているしな。それに商人たちにはアルカディアの麦などを秘密裏に捌いてもらう必要があるからな」
「私はそのおこぼれをいただいているということですね」
コルフローネが赴任してきてから私たちの悪事がバレるのは早かった。
前の管理官補佐は昔からの私の馴染みの者だったので最初から仲間に入れていたが、この若造は噂通りに出来る男だったようで、あっという間に経理上の不備から不正までを知られてしまった。
口封じをするか?そう真剣に考えていたのだが、駄目もとで仲間にならないかと声をかけたところ、意外な程すんなりと承諾した。
そして金を受け取った今となっては抜けることは出来ない。
例えどこかに我々の不正を報告したところで自分も同罪となるからだ。
そうなってしまえば家名にも傷をつけることになる。伯爵家とはいえ争いの絶えない地方領主。悪い噂が立ってしまうと、それだけで窮地に陥る可能性だってある。
私たちは多少のリスクを負いはしたが、結果的にこの優秀な男を仲間にすることが出来たのだ。こいつの作った報告書はこれまでのよりも精巧に誤魔化されていて、世間知らずのお嬢様がどれだけ見たところでバレるはずもない。
「しかし……変ですね……」
手紙に目を落としながらコルフローネが呟く。
「何がだ?」
「この手紙の内容に決まっているでしょう」
「いや、手紙のことは分かっている。そのどこが変だと聞いているんだ」
「書き方ですよ。噂に聞くアルカディア子爵という人は、普段の言葉数は少ないけれど、冷静で頭脳明晰。知性だけでなく様々な分野の才気に富んだ方だと伺っています。このような感情的な文章を書くような方とは印象が合いません」
「それを無口で何を考えているのか分からない不気味な奴というんだ。黒髪の忌み子だぞ。お前だって王都にいたのだから噂くらいは聞いたことがあるだろう」
「黒髪の忌み子……傾国の魔女、リサ=フィッツジェラルド嬢」
「そうだ。二百年ぶりにこの国に生まれた黒髪の女。それがあろうことかアルバート王子の許嫁に選ばれた。多くの貴族がこの王の考えに反対したが、結局は王とフィッツジェラルド公爵家に押し切られた。王家としては王族派の最大貴族で公爵家との関係性はどうしても強めておきたかったということだろうが、あの女が王女となることで国が亡ぶのではないかと噂された。結果、ついたあだ名が傾国の魔女だ。あの不気味な女にぴったりだと思わないか?」
「いえ、私は子爵にお会いしたことがありませんので何とも」
私とて会わないで良いのであれば会いたくなかった。
忌み子と会う事でどのような災いがあるとも限らないからな。
しかし仕事である以上、いつまでも逃げ回るわけにもいかない。それならば最初に会っておいて、少しでも印象を良くしておいた方が良いと考えた。
万が一にも不正がバレることは避けなければならない。私には隠し事はない。真面目に管理官としての仕事をしていますと思わせる為だ。
それにこちらにはコルフローネの作った決算書がある。王都の経理官すら騙せているのだ。領主になったばかりの小娘になど見破られるはずもない。
そう思って呼び出しに応じたのだったが……。
領主邸の応接に入って子爵と対面した瞬間、私の考えが甘かったと感じた。
初めて見た子爵は、背格好こそ一般的な女性のものだったが、初めて見た深い闇の底を覗いたような黒髪は
そして、やや吊り上がった切れ長な両目は鋭い視線で部屋に入ってきた私を射抜き、私の心の奥底を覗かれているような気がして、心の臓を掴まれたような息苦しさを感じた。
黒髪の忌み子……。
まさかここまで異質な存在だとは思っていなかった。
婚約者である王太子を別の女に奪われ、王都にいられなくなったために辺境に体よく追放された悲しき魔女。
そんな悲運に見舞われたというのに、誰一人として魔女を庇おうとするものはおらず、むしろ将来的な王女の権利が剥奪されたことを皆が喜んだという。
それはそうだろう。あのような者が王女になって良い筈がない。それこそ間違いなく国が亡ぶ。あれは存在するだけで不幸を呼び込む災厄の女だ。
本能的に私はそう感じたのだ。
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