第9話 視察へ出発

「おはようございます。リサお嬢様」

「おはよう。アン」


 翌朝目が覚めると、やはり私は変わらずリサの姿のままだった。

 諦めていたことではあるけど、それでも寝る前には「起きたら自分のマンションの部屋にいますように」と願いながら眠りについた。


 メイドのアンが私を起こす為に部屋に来た時、私はすでに目覚めて着替えを済ませたところだった。

 綺麗な茶色の髪を短くまとめた幼い顔つきの少女。

 少しだけあるソバカスがキュートな女の子だ。

 今回、リサに同行してきた者の中で数少ない年下の使用人の一人でもある。


「もうお着替えも済まされておいででしたか……。ええと、どうしましょうか?」

「別に何もしなくて良いわよ」


 きょとんとした目で私を見るアンに軽く微笑みながらそう返した。

 アンの朝の仕事はリサを起こして着替えを手伝う事。

 そのどちらも終わっていたので、アンとしてはどうしたものかと考えたんだと思う。

 元々は子爵家の三女として生まれたアン。家が公爵家の寄子よりこという関係だったことでリサ付きのメイドとなった。でも公爵家に来てからまだ半年も経ってないんだから仕事に対して自主性に欠けるのは仕方がない……よね?



 アンと連れだって食堂へと向かう。

 これまた無駄に広く豪華な食堂。

 二十人以上が座れるほどの長テーブルが中央に置かれており、高い天井には玄関ホールと同程度の豪華な魔光灯のシャンデリアが煌々と灯っている。


 テーブルの上座の席に一人ぽつんと座ると、広い食堂も長いテーブルも酷く虚しいものに見えてしまう。

 アンが厨房に声をかけると食事が運ばれてきた。

 焼き立てのパンにコンソメのスープ。緑鮮やかな野菜が盛り付けられたサラダ。普段からリサの朝食はこんな感じだ。

 「ここのパン焼窯の具合が掴み切れておらず、やや焼きすぎて硬くなりました。申し訳ありません」と、コックのルイスがツルツルに剃り上げた頭を下げてきたが、これまで店で買ったパンしか食べた事の無かった理沙にとっては感動ものの美味しさだった。


 一通り食べ終えるとメイドのエマがお茶を入れてくれる。

 彼女はアルカディアに来たメイドの中でも最年長(といっても23歳だが)で、他のメイドたちを指導する立場にあった。

 正式に任命したわけではないけど、間違いなく彼女がこのアルカディア子爵家のメイド長と呼ばれることになるだろう。


 黄金色のハーブティーから立ち昇る爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

 お腹は満たされたし、食後のお茶も美味しい。

 今ベッドに入ったらすぐに眠れると思う程に身体はリラックスしていた。

 寝起きだけど。


「リサ様。今日のご予定はお決まりでしょうか?」


 私が食事を終えるのを待っていたのだろうビクトが声をかけてきた。


「今日から早速領地を見て回ろうと思ってるわ。まずはどんなところなのか知らないとね」

「かしこまりました。では馬車の手配と、護衛に誰かつけるようウィリアム殿に声をかけておきましょう」

「それとレオルドを連れていくわ」

「レオルドですか?」

「ええ。これからいろいろと彼には外で頼む仕事も増えるでしょうから、早めに領内の土地勘を持って欲しいの」

「成程。それではレオルドにも支度をさせておきます」


 そう言うとビクトは深々と礼をして食堂を出て行った。

 彼の姿が見えなくなるのを待ってから、私も外出用の服に着替える為に席を立つ。


 普段着として使っているワンピースとかでも構わないだろうけど、馬車から降りて歩くことも考えてのパンツルックに膝下までのロングブーツ。白のカッターシャツに黒のジャケットを選択。

 ジャケットの胸には黒薔薇をモチーフにしたアルカディア家の紋章が入っている。

 鏡の前に立って自分の姿を見てみると、まるで乗馬に出掛けるような恰好だと思って少しおかしくなった。



 玄関口に向かうとすでに馬車が入り口前に横づけされていて、その脇には鎧姿をした騎士が立っていた。


「おはようございます。リサ様。今日はリサ様の護衛を務めさせていただきます」

「おはよう。ジェームズ。副団長であるあなたが護衛に付いてくれるのは嬉しいのだけれど、あなたの方の仕事は大丈夫なの?昨日の今日でいろいろとやることがあるんじゃなくて?」


 騎士団長のウィリアムに匹敵する筋骨隆々の立派な体格の騎士。

 ウィリアムは鮮やかな赤髪だが、ジェームズは煌めくような金髪の髪を綺麗に整えている。


「私は、その、何と言いますか……」


 その立派な体格に似つかわしくない歯切れの悪さだな。

 あなたは副団長でしょ?引継ぎやら編成やら、団長のウィリアムと一緒にやらなきゃいけないこと、あるよね?ね?

 それがどうして自ら私の護衛なんてやろうとしてるの?


「お嬢様。ジェームズ殿は事務仕事が苦手でございますので」


 後ろに控えていたビクトがそう私に耳打ちしてくる。


 ジェームズ・マーシャル騎士爵。三十二歳。

 五年前の大規模な野盗殲滅戦において単独での敵本陣への夜襲、およびその場にいた首魁の討伐を果たす。単独行動は決して褒められたものではないけれど、結果として味方の被害は最小限に抑えられた。そしてその圧倒的な武力を認められて叙爵したという豪傑。

 その後騎士団へと正式に入隊し、今回正式にアルカディア騎士団副団長に就任。

 リサはジェームズの戦果や経歴は知っているけども、彼個人については全く把握していない。

 成程、脳筋タイプの騎士さんなのね。

 でも副団長なんだから事務仕事も覚えないといけないと思う。


「……分かりました。今日のところはジェームズにお願いします。ただし、戻ったらちゃんとウィリアムの手伝いをするように」

「……了解しました」


 まるで雨の中に捨てられた子犬の様にしゅんとした様子のジェームズ。

 まあ、根は悪い人じゃなさそうだけど……。


「馬車の点検終りましたー!」


 そんなやり取りをしていると、馬車の陰から少年が顔を現した。


「ありがとうレオルド。じゃあ出発しましょうか」


 その声にジェームズが勢いよく走り出して馬車の扉を開く。


「どうぞ!」


 私はその切り替えの早さに苦笑しながら馬車へと乗り込む。

 そして私の向かいの席にレオルドが座ると、馬車の扉は閉じられ、御者の掛け声と共にゆっくりと動き出した。



 車窓から見えるのは一面の小麦畑。

 農業素人の私からすると、その良し悪しは全く分からない。

 小麦畑の分断するように続く道をゆっくりと進む。

 ところどころに粗末な小屋のようなものが見え、まさか領民はあんなみすぼらしい建物に住んでいるのかと驚いていると、それに気付いたレオルドが「あれは農具を置いている小屋です」と教えてくれた。

 みんなはちゃんとそれぞれの住む村に家があるとのこと。

 それを聞いて少しほっとした。


 そして一時間ほど馬車に揺られていると最初の目的地であるコナンの街に到着した。

 アルカディア唯一の街であるコナン。

 市場や商店のほとんどはここに集中しており、小さいながらもアルカディアの経済の中心となっている。


 丁寧な造りとはいえないが一応は石畳で舗装された道路を進む。

 木製の車輪だと土の上を進むよりも振動が大きくてお尻が痛い。

 現代の乗り心地の良い乗り物に慣れている私には結構辛い道のりだった。




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