第7話 作られた決算書
これからどうしたものかと考えている間に眠りに落ちていたらしい私は、ふいに鳴らされたノックの音で目を覚ます。
部屋の中は少し薄く暗くなっており、思ったよりも眠っていたようだ。
「お嬢様。シモーネ管理官が来られました」
ドア越しにビクトの声が聞こえる。
私は軽く目をこすりながら体を背もたれから起こして姿勢を整えてから入るように声をかけた。
そして同時に部屋の
「失礼いたします。アルカディア領の管理官を務めさせていただいておりますシモーネと申します。この度のアルカディア子爵様の叙爵、拝領の儀、心よりお慶びを申し上げます」
ビクトに促されるように入室してきたのは初老の男性。
やや薄くなったブラウンの頭髪。栄養が行き過ぎているように思われる飛び出したお腹。王都でも似たような見た目の官吏を何人か見た事があった。
役人は年を取るとみんなこうなるのかしら?
「ありがとう。それと急に呼び出してすまないわね」
「いえいえ、本来ならば私の方からご挨拶にお伺いせねばならなかったのですから、むしろお詫びを申さねばならないのは私の方でございます」
「先ほど到着したばかりなので仕方ないことです。私の方が急がなければ明日にでも貴方の方から訪ねてきてくれていたのでしょう?」
「もちろんでございます。到着されたのは知っておりましたが、今日は長旅でお疲れかと思いましたもので」
彼の言葉はどこか白々しさを感じてしまうのは何故だろうか?
やはりシモーネも私の事を心のどこかで軽んじているのかもしれない。
「心遣い感謝するわ。それと私のことはリサで構いません」
「かしこまりましたリサ様。それでは今回のお呼び出しの理由をお聞かせ願いますか?」
「そうね。貴方に来てもらったのは――」
「1600万クルゼ……」(1クルゼ=日本円で約10円)
「はい。そこに書かれているように、それが昨年度決算で発生した赤字額でございます」
シモーネが持参していた決算書に目を通して唖然とする。
民衆から集めた税収と現物納税分の売却益、そこからアルカディア領の運営費やら国に納める税を差し引いた額。
収穫量と領民の数から計算した国に納めるよう定められているのが約4千500万クルゼ。つまり三分の一ほどが不足していたという計算になる。
これは私が――リサが当初予想していた額を遥かに上回っていた。
こんな収支で領地経営が継続出来るはずがない。
「最初の二年ほどは免税となっておりましたが、その後は毎年相当の赤字を抱えながらきております」
「……これまでの総借入額は?」
「約1億2千万クルゼほどになるかと……」
ああ……頭痛を通り越して気が遠くなりそう。
これはますます返済を迫られるわけにはいかなくなった。
「それで申し上げにくいのですが……」
言いにくいのなら貴方の中だけに留めておいてくれて良いんですよ?
「すでに何人かの商人たちから返済の催促が私の方へ来ておりまして……」
だから言わなくて良いんだってば。
そりゃあその商人の気持ちも分かるよ。毎年赤字ということは、何年も前から返済が滞っている人もいるでしょうし?その上で更に借り入れとか頼まれてる人なんて本当に返ってくるのかドキドキものでしょうね。
「そう、でも今すぐには返すことは出来ないわ」
「私も最初からこのアルカディア領を見ておりますのでそこは分かっております。今はもう少し待ってもらえるように商人たちを説得しておりますゆえ、一先ずはご安心くださいませ」
「ありがとう。そうしてもらえると助かるわ」
「しかし、それもいつまでも、というわけにはいきませんので……」
「分かってます。少しずつでも返済出来るよう努力します」
「期待しております」
これはその場しのぎで言っているのではない。
リサは最初から赤字であるこのアルカディアを復興させる手段を考えていた。
ちょっとばかし予定よりも額が大きかったけれども……。
「それでは私はこれにて失礼いたします」
「呼び出しに応じてくれてありがとう。とても参考になったわ」
「いえいえ、これも仕事でございますゆえ」
一通り説明を終えた頃にはすっかりと陽が落ちていた。
シモーネは仰々しく礼を取った後、待機させていた馬車に乗って帰っていった。
「お嬢様。帰らせてしまってよろしかったのですか?」
私と一緒に決算書に目を通していたビクトも気が付いていたようで、窓から帰っていくシモーネを見下ろしていた私にそう声をかけてきた。
「別に構わないわ。――今はね」
シモーネの見せてきた決算書は一応の帳尻は合っていた。
しかし――
「これだけのことをあの男が一人でやったとは思えないわ。そんな大胆な事をやるような人物にはとても見えないもの。かといって、これの改ざんに気付いていない程に無能とも思えないわ」
明らかに買い叩かれたとしか思えない小麦の販売価格。
いくら品質が良くないとはいえ、それを加味した上でも相場の半分以下の取引が行われていた。
足元を見られての取引?そんな馬鹿な。
仮にも侯爵家の者が統治していた土地において、そのような命知らずな商売を行う商人がいるとは思えない。
おそらくシモーネは世間知らずな貴族の娘などに小麦の取引価格が分かるはずがないと高をくくっていたんだろう。だから何も悪びれる様子もなく、あんなモノを見せてきたのだと思う。
つまりあの男がこの件に噛んでいるのは間違いない。
そしてそれを裏で操っている人物がいる。税として徴収した小麦や他の農作物を安い相場で売却したことにし、その誤魔化した差額を横領している黒幕。それも王都の管理官と、侯爵家の経理関係者を取り込めるだけの力を持った人物。
頭に浮かんできたのはリサの計画にとって最も重要な人物だった。
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