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 内容に目が眩みそうな気持ちになって、少しの間本を閉じていると、がらがらと部室の引き戸を開ける音が聞こえてきた。少しばかり勢いがついていて、引き戸は壁の方をたたきつけて大きな音が鳴る。


「すいません、遅れました」


 大きな音、大きな、というよりはどっしりとした迫力のある声。呆れてしまうくらいに熱血系の雰囲気を醸し出している好青年、というか漢という感じの一年生。澄谷がそこにはいる。


「……ああ、うん。まあ、遅れるとかないから」


 有浦は適当に返事をした後に、また視線を本の方に移す。それに対して澄谷はそれでも大げさというほどに頭を下げている。腰の角度は九十度で、極めて丁寧である礼だと思った。軍隊的ともいえるかもしれないそれを見て感動すら覚えるものの、実際文芸部に遅れるとかないと思うので、そこまで申し訳なさそうにしなくてもいいように思う。それが本当の感情だとしても、もしくは取り繕っているものだとしても。


 文芸部は今年の春から作られた部活である。だからおおよその活動内容については決まっていない。だから、図書室の時と同じように、ここにいる連中は本を読むことしかしていない。瀬里奈に関しては変わらず携帯でWEB小説を眺めているし、有浦に関しては図書室から持ってきたような本を眺めている。新しく本を買ってきたときには本屋で包装をしてもらっている本を眺めているはずなので、今読んでいる彼の本は図書室のものであろうと推測することができる。


「いつまでやってんのさ」


 僕は澄谷に声をかける。こんな長い時間の思考の間にも彼は頭をあげずに、ひたすらに地面を見つめている。本当に申し訳ないという気持ちがあったとしてもそこまではやらないはずだろう。そんな感想を抱きながら彼に声をかける。


「すいません、ありがとうございます」


 ようやくと言わんばかりに彼は顔をあげる。その際に見た彼の表情は真顔ともいえるようなもので、特に冗談とか、そういった取り繕いをやっているわけではないことは何となく理解できる。表面上でしか彼を見ていないのでわからないけれど、床を見ているときでも彼の表情は真顔であっただろう。それほどまでに彼にはいつも真剣さが孕んでいるような気がした。


 しばらくは本を読む気にもならない、だから有浦がしているように本の続きを読むようなことはせず、澄谷の行動を見つめてみる。彼は頭を上げてから直立していると、数秒も立たずにいつも定位置である僕の隣の椅子に移動する。彼の肩にかかっていた運動部が使いそうなエナメルバッグは音を立てず静かに机に置かれた。澄谷はバッグからノートパソコンと少し彩にあふれているヘッドフォンを出すと、ようやく椅子に座り込む。


 いつも通りの光景ではあるものの、やはり彼のバッグからノートパソコンなんてものが出てくることには驚きが隠せない、なんなら意外性というやつかもしれない。だいたい僕の方が遅れて部室にやって来るのだが、だいたい澄谷がパソコンに触れている姿が視界に入る。


 澄谷はノートパソコンを本よろしく開くと、すぐさまヘッドフォンの端子をパソコンの方に差し込んでいく。慣れている手つきで特にブレも存在しない完璧な動作。見とれてしまうほどに不完全さがないその動作には、人に迷惑をかけない、そんな姿勢が表れているようにも感じた。


 そんな彼が何をやっているのか。……わかってはいるものの、開かれたノートパソコンに視線をやると、数秒経たずで起動した画面には「エンジェルSummer!」というウィンドウが見えてしまう。わかってはいる、わかっているけれど、それでもこの部室でそういったゲームが行われていることには僕は微笑をうかべてしまいそうになる。


 まあ、すなわち、そういうことである。言わずと知れたそういったゲームを彼はやっている。高校一年生で。文芸部で。部室で。


 それに対して関心を持つような人間は僕以外にはいない。有浦も目の前の本に夢中になっているし、瀬里奈も携帯を触る様子を止めることはない。ただ僕の視線だけが彼の画面から話すことができないでいる。丁寧に音漏れをしないようにやっているから、なんとなく声を想像して文を頭の中に入れる。少し見にくいと感じてしまって、首を伸ばしてみてみると、絶賛クライマックスという頃合いである。告白シーン、というやつなのだろうか。


 そんなわけがないだろう、とリアリティを求めてしまう僕はツッコミを入れてしまいそうになる画面の内容。でも、手持ちというか、読むのに目が眩みそうな感覚を覚えた目の前の本と比べれば、簡単に内容を読み込めるほどに心地がいい文、というか台詞の羅列。こういったものも、一応の文芸である、と呑み込んでしまえば、彼の行動も別に間違っているような気はしない。


 というか、実際に言われたのだ。澄谷に。





『部室でやるのは流石に……』


 注意を含ませた優しい声音のつもりで澄谷に声をかけた。確か、文芸部が発足してすぐのことだったから五月くらいのはずだ。


 一応、瀬里奈という女もいるし、一年生にも一人女子がいる。せめてそういった女子に対して配慮をしてくれ、という気持ちで声をかけた。それだけの感情だった。


 そんな時に彼から帰ってきた言葉は『は?』という怒気を孕ませた返事だった。


『先輩。それって差別をしろってことですか。もしくは差別をしているという表明でしょうか。俺がやっているこのゲームは文芸ではないと、あなたはそういうのでしょうか』


 生真面目という印象しかなかった彼から怒りの言葉を突きつけられていることに気づいてからは、僕は動揺することしかできなかった。


 同じく男である有浦なら僕の言い分も理解してくれるだろうと窓際に視線をやったが、彼は興味がなさそうに僕から視線を逸らした。使えないやつだな、と思ってしまった。


『いや、ほらさ、女子とかもいるしさ。瀬里奈とか、木門こかどちゃんもいるじゃない。そういった子に対して配慮してほしいなぁ、って』


 使えない有浦を放っておいて、僕は言葉を紡ぐ。誤解を与えないように、意味の解釈の異なりが生じないように。生真面目である彼がここまで怒りを発露しているのだから、それを踏み滲まないように。


 僕がそう声を出すと、澄谷は更に捲し立てた。


『確かに、そんな意見もわかるっちゃわかりますけれど、それはそれとして官能小説って存在しますよね。もしくは普通の小説にも性描写が存在しますよね。この前ドラマ化したあの作品とか近親相姦を題材にしているやつじゃないですか。今、小見野先輩が言っていることは、そういった卑猥な小説は許すことはできても、ビジュアル化されているゲームに対しては許すことはできない、という決定的な差別発言に違いませんよね。俺はそう感じてしまいましたよ。


 ビジュアルゲームでも文章はありますし、感情を起伏させるような素晴らしい文章があるんです。それを文芸と言わずしてなんというのでしょうか。確かに配慮はするべきだと思います。でも、俺は配慮しているじゃないですか。ヘッドフォンで漏れないように音量調節を行い、川見さんや恵美には見えないようにしています。彼女らには文句を言われていないのに、なんで小見野先輩に文句を言われなきゃいけないんですか。僕は文芸を楽しんでいるだけなんですよ。それの何がダメなんですか』


 正直、文章を考えているときに隣を見れば卑猥な画像が映っているからやめてほしいという気持ちは二割ほどあったけれど、彼の言い分ももっともらしかった。更に正直言えば、女子に対して配慮はしているものの、僕という男子には配慮をしていないよね、という文句をあげたかったけれど、勢いに押されて僕は言葉を呑み込んでしまった。


 確かに澄谷は配慮を欠かさずにゲームをやっていたし、女子側がそれに対して文句を言ったことはない。僕が勝手に言葉を働かせただけであり、誰に頼まれたわけでもないことを僕は口出ししてしまったのだ。


『……ごめん』


『わかればいいんですよ、わかれば』


 完全な勢いで言いくるめられてしまって敗北した僕は黙るしかなかった。何より、怒っている澄谷の雰囲気が怖すぎて、文句を思いついてもそれを口に出すことはできなかった。本当にそれは文芸と言えるものか? と言葉を吐いたら、きっと僕は体育館裏に呼び出されて嫌な結末を迎えることになっていたかもしれない。


 それほどまでに澄谷は、そういったゲームを文芸として愛しているのだ。


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