1-2


 換気はされているはずなのに、それでもくぐもっていると感じてしまう空気が肺を占有した。確かに窓は開いていて、外の木々の香り、片隅にあるような花の匂いも鼻に届くけれど、それでも部室の中に入った瞬間に咳を重ねてしまう。


 ドアをがらがらと開ける音と重なる咳の音は部室の中にいる人間の注目を惹く。その視線に気まずいわけでもないけれど視線を逸らす。視線を逸らした際に一瞬で確認した人数の少なさを反芻すると、僕は顔をあげて部室の環境を視界に入れた。


 紙が大量に束なっているようなにおい。単純に本がたくさんあるというだけの部室。図書室でも更に使われていないものを持ってきているのだろうか、埃が絡んでいるような古本が鉄棚の方にたくさんある。


 部室の窓際にはコンセントにつながれているプリンターと、印刷をするためだけのノートパソコン。LANケーブルは繋がれておらず、世界から孤立しているともいえる環境、そんな孤独を紛らわせるようにいくつかのUSBが本体に差し込まれている。そのうちの二本は見覚えのある青色の携帯とデジタルカメラが接続されている。パソコンを触る人間は特にいなくて、携帯に関しては単純に充電が切れたのだろう、とかそんな想像を働かせる。デジタルカメラについてはいつも通りのことであった。


 不快感を覚えるでもないいつも通りの光景。もしくは安心感といえる空間。鉄の棚に部室は圧縮されていて、窮屈に長机と生徒用の椅子が置かれている。パソコンと窓際の方には部長である同学年の有浦が退屈そうな顔で本を眺めている、時折窓から届く風のせいで本の紙が揺れていて、それを鬱陶しそうな顔でめくっている。それなら窓を閉めれば楽だろうに、とか思うけれど、それをすると途端に部室は息苦しくなるから、それを踏まえてのことなんだろうと思った。


 僕はとりあえず部室に入って、ういっす、と挨拶とは言えない小さい声を出して引き戸を閉め、鉄棚の方に移動をする。それに頷く瀬里奈と有浦の姿。ぼうっと携帯をいじっていた瀬里奈のことが視界に入るけれど、特に気にすることはなく彼女の後方にある鉄棚に移動する。


 今度こそ読もうと思っていた本の束、残骸。毎日ここに来ているものの、それでも未だに手を付けることができていないもの。明日こそは読んでやろう、そんな気概を覚えるけれど、結局後回しにしているうちは読むことはないだろう。僕は諦めたような気持ちになって、一つの本を取り出す。表紙カバーなどは特になく、雑に扱われていると感じてしまう折り目が見えることに不快感を覚える。この部室の人間がやったわけではないことはわかっているけれど、本というものに対して礼儀のない知らない誰かのことを思うと、そんな気持ちを抱くのも仕方がないというものだ。


 ふう、と本に重なっているかもしれない埃を息で拭う。少し滑るような煙が目の前に現れて、それにまた咳を重ねてしまう。いつも通りに重なる咳、それに対して部室にいる人間は興味も関心も寄せることもなく、ただ静かにやっている作業とは言えない作業を連ねている。


 それに安堵感を覚えながら瀬里奈の方に視線を向ければ、彼女は携帯で誰かと連絡を取っているようだった。人の画面を見ることに対する背徳感に視線を逸らしてからは、いつも通りに僕が座っている場所に僕は移動をする。


 決まって扉から入ってすぐ左の方にある座席。特に指定席とかはないものの、文芸部の部員はそこまで多いものでもないから、勝手に固定席とかが出てきてしまう。


 文芸部の総人数は六人。一年生が三人、二年生が三人。もともとは文芸同好会として図書室で活動する小さな集団ではあったものの、今年に入ってから新入生が三人も加入したことにより部活という地位に向上した誇りのある部活動である。


 そんな誇りのある文芸部ではあるものの、今のところ部室にいるのは、自分を含めても三人だけ。


 部長の有浦優人、幼馴染である川見瀬里奈、そして僕。


 新入生はどこにいるのかという気持ちはあるものの、彼らが来ても来なくても日常が変わるわけではないし、名前を置いてくれるだけでも、この教材室が部室として稼働してくれるので、正直どちらでもいい。


 僕が椅子に座ると緩んでいる金具が軋んで悲鳴をあげる。体重の負荷を前後に傾ければ傾けるたびに悲鳴はあがるし角度も変わる。耳障りなのでそれを繰り返すことはしないけれど、それでも不安定である椅子の心地を後ろに倒しながら、僕は本を開いた。表紙にも書いてはあったが、二ページ目を開いてみても同じように、黒い雨、と題名が表記されている。名前を見た時点でなんとなく嫌な予感というか、おおよそ想像をしてしまう内容に、本当にこの本を選んでよかったのだろうか、と思ってしまう。……一番上に重なっていたのがこの本なのだから仕方ない、更に下に重なっている本はこの本を読んでからにしよう。


 そんな気持ちを抱えながら、僕は静かにページをめくる。やはり埃が少しかかっているページの感触は滑りやすさを感じるけれど、読むことに対して差支えがあるわけじゃない。目の前にある活字を頭の中に入れることを意識して、文字を視線で追いかけた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る