第十二話 胸騒ぎ
魔族の女はその手に赤い紐で飾られた黒い
雨はまだ止まない。ずぶ濡れになった外套に重さを感じながらも、
「面白い坊や。特別に私の名を教えてあげる」
「別に必要ない。これ以上用がないならさっさと目の前から消えろ」
「私の名は
刀剣と槍の穂がぶつかり合う。
身軽で予測しづらい動きをする
ぶつかっては離れ、薙いでは後ろへ飛びを繰り返し、ふたりはお互いに隙を窺う。しかしその均衡が崩れる様子はなく、再び向かい合ったまま動かなくなった。
(今は目の前の敵に集中するしかない。あの
まだ数日しか共に過ごしていないが、道士としての彼は間違いなく自分よりも強い。精神的な面は保障できないが、それを装うのは得意だろう。それに、そもそもあの
だがなぜか、ずっと胸騒ぎが止まない。
(やはり、さっさと終わらせてあのひとの無事を確かめるべきか?)
相手は魔族。
妖魔などとは比べ物にならない存在。
血奏術を使えば済む話と思うだろうが、あれは自身の血を代償にする必要がある。普通の人間よりも治癒が早く、先程傷付けた指も腕もすでに止血している。この術の欠点は、使うことで流した血は戻らないということ。
故に、本来この術は戦闘で不利になった時の切り札として使うことが多い。血が流れていれば流れているほど、術の効果は上がるのだ。
「なんか飽きちゃった。私、圧倒的な力の差で弱い者をいたぶるのが好きなの。坊やは面白いけど、なんか面倒臭い」
そう言って何の躊躇いもなく構えを解くと、肩を竦めて見せた。そこには先程までの殺気は微塵も感じず、
「あら大変。あなたのお連れさん、魔界に連れていかれちゃったみたいよ? 大丈夫かしら~。ねえ知ってる?あなたたち人間には魔界の瘴気は毒なの」
魔族が人界を自由に行き来できることに対して、人間は自由に魔界へ行くことは叶わない。その入口は魔界の住人にしか開けられず、通れない。しかし妖魔たちが女や子供を攫って連れ去ることもある。その際に与えられるものがあるとか。
「
悪戯っぽく頬に人差し指を当てて、
「どういう意味だ····」
低い声音に怒りを乗せて、
「簡単よ。私たち魔族から離れないこと。触れたまま、離さないこと。それができなければ、
(あの女の言葉を鵜呑みにする気はないが、なぜわざわざそれを俺に言った? あの様子だと、この状況を楽しんでいるようにしか見えない)
触れたまま、離さないこと。
魔族の女の主は上級魔族だろう。魔族が人間に対して、しかも敵である道士に対してそんな優遇はしないはず。本当に魔界に連れ去られたのだとしたら、取り戻すための手段はない。このまま単独行動をするのも良くない気がする。
(
あの女を逃がしたのは、得策ではなかったのかもしれない。
「おやおや、こんな雨の日に散歩ですか?言ってくだされば、傘をお貸ししたのに。外套は乾かしておきますから、こちらへどうぞ」
雨も降り朝から寒かったため、店主は火を熾してくれていたようだ。せっかくの好意だったが、
「あれ? お嬢さんは一緒じゃないんですか?」
お嬢さん、というのは
「一度部屋に呼びに行ったんですが、反応がなくて。ついさっきもう一度様子を見に行って声をかけてみたんですが、やっぱり返事がなくて。ほら、なんだかあなたたち訳ありな感じだったし、心中なんかしてたらどうしようって。それで心配で部屋に入ったんです。でもふたりともいなくて」
「あなたが戻ってきたから、てっきりお嬢さんも一緒かと思っていたんですけど。お嬢さんの上衣や外套がそのままだったので、もしかして宿の中にいるのかな? もう一回捜してみましょうか?」
「いや······あのひとは俺がひとりで捜すから、気にしないでくれ」
でも、と
なにか思うところがあった
「お嬢さんがいなくなったのって、もしかして、」
「ふむ······村で起きてる失踪事件が関係しとるかもしれんのぅ」
だとしたら、ただの村人でしかない自分たちにはどうすることもできない。たまたま村を訪れてしまったために、またひとり失踪人が出てしまった。
一体、この村はどうなっているのだろう。そんな底知れない不安を胸に、せめて客人の無事を祈ろう、と開いたままの扉をふたりでしばらく見つめるのだった。
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