第十三話 変化
あれからもうどのくらい経ったのか。気付けば昼も過ぎ夕方になっていたが、雨のせいでずっと灰色の雲が空を覆い、本来の時間がわからない。
それに加えて何度も村の中と森を行ったり来たりしていた
歩みはどんどん遅くなり、とうとう森の奥で棒立ちになった。
「····本当に、もう、諦めるしかないのか?」
魔界に連れ去られた人間が戻って来たという話を、一度として聞いたことがない。その者たちがどうなってしまったのかを知る者もいない。
もしかしたら、
(馬鹿か····そんなこと、あのひとはしない)
近くの木に寄りかかり、ずるずると座り込む。外套を深く被り直し、
本来の彼?
年上のくせに片付けもできず、自分の管理もできないような研究馬鹿で、口を開けば嫌味ばかり。綺麗な顔をしているのに、ひとを馬鹿にしたような笑みしか見せないため、対人関係においてかなり損をしている。そこは自分もひとのことは言えないが、似ているからこそ放っておけない。
「捜さないと······、」
顔を右手で覆い、疲れきった表情でぽつりと呟く。まるで本能で主を捜そうとする置いて行かれた犬のように、
虚ろな灰色がかった青い瞳が、覆った指の隙間から地面を見つめる。そんな中、水溜まりに落ちる雨音が、地面を叩く激しい雨粒が、木々の葉に当たる雫が、一瞬だけふつりと途切れた。その不思議な感覚の後、
「こんな所に座り込んで寝ていたら、風邪を引きますよ?」
白い道袍姿の見慣れた青年が、自分に手を差し伸べながら困った顔で声をかけて来た。彼自身も雨で濡れているが、
差し出された細い指は青白くなっていて、触れれば思った通り冷たかった。
「あれからずっと、あなたを捜してた····」
「そう、ですよね。すみません。でも大丈夫。ちゃんと戻って来れました」
「
触れていた指先をぎゅっと握りしめ、引き寄せる。急に下に引っ張られた
その華奢な身体を衝動的に抱き止めた
「もう、逢えないかと思った」
自分の口から自然と零れたその言葉に、
そんな他人を心配して捜し回り、いつもなら簡単に割り切れるはずの感情が、なぜかそうはならなかったのも。こうやって、本物かどうか確かめるように抱きしめてしまったことも。縋るように呟いた言葉も。自分ではないようだった。
「でも、こうやって逢えました。私は平気です。さ、まずは宿に戻りましょう」
宥めるように、
「無事で良かった····本当に、大丈夫なんだな?」
「大丈夫じゃないように見えますか?」
おかしいといえば色々と違和感もあるしおかしいのだが、今は考えないことにした。
「立てますか? さ、行きましょう」
不自然なほど優し気な笑みを浮かべる
手を取り、ふたり立ち上がる。少しだけ弱まった雨の中、並んで歩く。そこに会話はほとんどなく、けれどもこれがいつものふたりの関係だった。
******
夕刻も過ぎた頃。宿に着いた矢先、
「良かったです、本当に」
正直、
「濡れた衣はこちらに。替えの衣もすぐに用意するので、それまではこの布に
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「あ、お嬢さんはこちらへ。先に衣を用意しますね。あと、部屋にあった上衣も俺が持ってきます」
「あ、はい····お願いします」
もはや否定するのも面倒になったのか、
「あなたは脱いだ方が良いのでは?」
言って、全身びしょ濡れの状態で入り口に立ち尽くしたままの
はあ、と嘆息してそのまま外套を脱がせるが、纏っている衣も雨が染み込んでいるせいで重たくなっているのがわかる。
「······これは、」
左の腕。黒い袖の少し上の辺りに違和感のある染みがあった。触れてみればべっとりと赤いものが手の平につき、その染みが血であることを知る。
「怪我、したんですか?」
自分がいなくなっていた間、なにがあったのかを聞いていない。
「傷はもう平気だ。これは、自分でやった。あなたをひとりにして、敵の誘いに乗って先走った、俺の汚点だ」
表情はまったく変わらなかったが、その声は悔しさと不甲斐なさを含んでいて、
それは自分も同じで、魔界での出来事は
そういう点では、どちらも追及しないという暗黙の了解があり、この先問われることがあろうとふたりとも誤魔化すだろう。
なぜなら用意された衣は、
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