第29話 愚かな昔の記憶
50年前──。
イザベラという女性はそこに居た。彼女は、暇さえあれば人間の街に遊びに行くほどに、人間に興味を持っていた。
ある日、イザベラがいつものように街を歩いていると、一人の男性と出会った。
その男性は、何かを熱心に勉強していて、それがとても興味深かった。
その内容に興味があったのではなく、彼のその勉学に励む表情に、イザベラは釘付けだった。
だから彼女は、人間にとってはしばらくの時間を、彼と過ごした。
イザベラにとってそれは、とても有意義で、幸せな時間だった。
初めて出会った日から十年程経ったある日、イザベラは彼に、自分の正体を明かした。
自分は人間ではないと──。
イザベラは、魔族だった。
彼の反応は、彼女にとっては意外で、嬉しいものだった。
そしてその男性は、興味の対象をイザベラに向けた。
イザベラは、そのことが嬉しくて、やっと自分に興味をもってくれたと喜んだ。
例えそれが、女としてでなく、魔族としてだったとしても──。
「イザベラ、僕の研究を手助けして欲しい」
彼は、イザベラを自身の研究対象にした。
その研究は、不老不死になるためのものだった。魔族の血で、彼はそれを求めたのだ。
イザベラは、本心では利用されていると知りながらも、その願いを聞き入れた。
それから長い間イザベラは、血を取られ続け、魔力も吸い取られ続けた。
イザベラは、その苦痛の中にも、たまに見える彼の優しさに、やはり逃げ出すことはしなかった。
初めは少しだけだった血の量も、時が経つにつれて増えていった。
イザベラの了解を得た時のみだったその実験も、次第に拘束され続けるようになった。
そんな生活を五年、続けていたある日のこと。
その研究所に、小さな男の子と女の子がやってきた。聞くと、その男性の人間との子供だということが分かった。
イザベラは絶望した。
やはり、彼の愛を受けることはできないのだと。
イザベラは、深く傷つき、それから、仲間のもとへ帰ろうと決意した。
しかし、彼はそれを承諾しなかった。
それに抵抗する力も、精神力も、何も彼女には残っていなかった。
それからも、イザベラはただ血を取られ、魔力を奪い続けられた。
そんな日々が長く続いたある日、またその少年がやって来た。
「イザベラ、元気? お腹空いてない? パン、持ってきたよ! お父さんには内緒にしてね。僕が怒られちゃうから」
黒髪に、黒い瞳で見つめるその少年。
手に持った小さなパンをイザベラに渡している。
イザベラは、お腹が空いてないからいならない。と少年を拒絶した。
大人気ないと思いながらも、愛する彼の、知らない人間との子供だからだろうか? なぜか、イザベラは少年が気に入らなかった。
しかし、来る日も来る日も、少年は執拗にイザベラと会話を交わしていた。
その内イザベラは、実験による孤独と、痛みへの拠り所を、その少年に委ねていた。
いつでも、真っ直ぐな瞳で見つめてくるその少年を、イザベラはなんだか愛おしく感じた。それは我が子を想うような、そんな感情だった。
ある日のこと、その少年は泣いてやってきた。
「イザベラ……どうしよう? 姉さんが……姉さんが……」
そう言って泣いている。
「姉さんが、僕のことを分からなくなっちゃった……。母さんが死んでしまってから、父さんはおかしいんだよ……。イザベラ……、きっと次は僕の番なんだ……。僕……怖いよ」
少年は、その黒い瞳から大粒の涙を流している。イザベラは、ただその少年を抱きしめてあげることしかできなかった。
そして、その日を最後にして、少年はしばらくイザベラの元を訪れなくなった。
そして、しばらくの時が過ぎたある日の事。その少年はイザベラの元にやってきた。
「やぁ! イザベラ! 元気にしてた?」
「ベイン?! どうしたの? その髪の色は……」
少年の黒髪だったその髪色は、真っ白な白髪に変わっていた。
「ああ……これ? どう? 似合ってるかな?」
そう言って、少年は悲しそうに笑った。
そして、イザベラにパンを渡す。
「何も食べてないって聞いたよ。お腹空いてるでしょ?」
イザベラは、そのパンを受け取った。すると、少年は嬉しそうに笑った。
それからも、その少年はイザベラの元にやって来てはくだらない話しを繰り広げていた。
イザベラは、その時間に嫌な気はしていなかった。
そんな日々を繰り返していたある日。
遂に、あの男が研究を成功させた。彼は50才にて、不老となった。
しかし、不死にはなれなかった彼は、それから十年後、病により死亡した。
イザベラは、やっと解放されると思った。
しかし、その後男の息子であるベインが、研究を引き継いだ。
彼もまた父の手によって不老となり、完全なる不死を求めていたらしい。
ベインは、父とは違ってイザベラに優しかった。
待遇の悪かった環境も良くなり、実験に使われることもあまりなくなった。
ベインと会話を交わし、一緒に暮らす日々はイザベラにとって、楽しい時間だった。
しかし、そんな楽しい最中にも、ベインは時より悲しそうに微笑む。
イザベラはそんな彼を守りたいと思ってしまっていた。
まるで我が子のようにベインを思っていた。
そんな我が子のようなベインが、実験のためだと、人間の命を奪い続けている。
そんな日々が10年間続いた。
彼に研究をやめるよう言っても、彼はそれをしない。
そこまでして、彼が不老不死を求める理由が分からなかった。
しかし、いつしか、イザベラは黙認するようになった。
なぜなら、彼女は気づいたのだ。
この実験が終われば、彼がイザベラを必要とすることはなくなるだろうと。
イザベラは、ベインとまだ一緒に居たかった。
だから、黙認した。
そんな愚かな自分を、イザベラは思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして、今現在──彼はやはり変わらず、罪を犯している。
そして、イザベラ自身も変わらず、それを傍観する日々。
研究が終われば、ベインと一緒に居る理由は無くなる。イザベラは、ずっとベインを見守っていたいと思っていた。彼の寿命が尽きるまで。
でも、これ以上彼に罪は犯させたくない。
自分が止めても、きっと彼は振り切って研究を続けるだろう。
ならば力ずくて止めるしかない。
たとえ、彼と居られなくなっても。
彼に嫌われても。
イザベラは、決意した。
長く続いた、日々。
それを、今日この日を持って、終わりにしようと──。
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