第16話 これは、運命か必然か──

「やべー! 人が来た! ローズ! 逃げるぞ!」


 物陰に隠れていた金歯の男が、ローズに促す。


 しかし、ローズは動かなかった。いや動けなかったのである。


 自分が刺し殺した少年が、今目の前で呼吸をしていたからだ。


「なんで……? あんた、死んだはず……!?」


 ローズの問いかけに少年は答えない。


 少年の時は止まっているかのように、誰も捉えていなかった。


「なんだローズ? 知り合いか?」


 彼女の反応に、金歯の男が問いかけた。


「この前私たちが殺したあのガキよ! 私イケメンの顔は忘れないの」


 ローズの答えに、金歯の男は暫く少年を眺めた。


 それから、この世の終わりかのような表情を浮かべた。


「嘘だろ? 生きていたというのか? 馬鹿な!? あんな状態で生きているはずがない!」


 二人が騒ぎ立てているというのに、少年の瞳に彼らの姿が映ることはなかった。


 映っているのは、血まみれで地面に倒れている男だけ。


 金歯の男はそれから、何かを閃いたようにあの不気味な笑顔を浮かべた。


「どういうカラクリか知らねぇーが、生きていたならば、また殺すまでだ! そうしてまた、お前の金もコイツみたいに奪ってやる!」


 金歯の男の声は、少年にはやはり聞こえていないようで、地面に倒れた男を抱いていた。


 その男の身体をゆすって意識を確認しているようだ。


 しかし、男に反応はない。


 それを確認した少年の表情には、悲しみも怒りも浮かんでいなかった。


 ただ空っぽな目でそれを見ている。


 そんな少年の背中に、金歯の男はナイフを突き刺した。


 それでも、少年の表情は何も変わらない。


「この前と同じでガラ空きだぞ!」


 金歯の男はそう言って、ナイフから手を離した。


 金歯の男は、確かに少年の背中を刺した。


 しかし、その深く突き刺されたナイフは、ゆっくりと少年の皮膚から剥がれ落ちていく。


 まるで、皮膚が異物を取り出すかのように──。


 カラン、と地面に落ちる金属音と共に、ローズたちは驚きの悲鳴をあげた。


「き、傷が、治った? なんで!?」


「ば、バケモノだ! こいつはバケモノだ!」


 そして、少年は言った。


「僕の時みたいに、兄さんも騙したんだね?」


 少年の声に、感情は乗っていない。


「あんたの兄?」


 ローズはこの時思った──だから雰囲気が似ていたのだと。


「なんだよ? だったらなんか文句あんのか?! バケモノが!」


 金歯の男が少年に向かってそう言った。


 すると少年は、呆れた様子で少し微笑み、すぐにまた元の空っぽな表情に戻した。


「いいや、文句なんてないよ。ただ死んでくれればそれでいい」


 少年の声は平坦だった。なんとなく息を吐くみたいに、ただそう言った。


「は? 誰が死ぬか! お前が死ね! この死に損ないが!」


 金歯の男はそれに怯まず、少年に襲いかかる。


 ナイフを持って少年の腹部を狙ったその腕は、少年によって折り曲げられた。


 人間の関節で曲がるであろう方向と反対側にへし折られ、金歯の男は絶叫し、地面にうずくまった。


 そんな彼を足で蹴り飛ばし、その仰向けになった胸ぐらを掴んだ。


 それから少年は、何度も何度も、金歯の男の顔に拳を振り下ろした。


 そうして顔の形が変形しても、血が飛び散り少年に降り掛かろうとも、少年はその拳を止めることはなかった。


「ぁ……ご……めんあさい……ゆるしてくだあい」


 一瞬の静寂を掴み、金歯の男はそう懇願した。彼の歯は折れてしまって、喋ることもままならない。


 少年は、その言葉に手を止め立ち上がると、男を冷たく見下ろした。


「ゆる……して……くれ」


 男は、恐怖に満ちた顔でそう言った。


 少年は、そんな男の顔面をまるで水溜りでも踏むみたいにして足で潰した。


 ローズの顔にまで血が吹き飛ぶ。


「──キャーーーーァァ!!」


 ローズは悲鳴をあげた。


 そして、願った──助けが来ることを。


 しかし、それはやって来ない。


 傍で倒れていた禿げた男と、小柄な男が、悲鳴に目を覚ました。彼らが状況を理解することに時間は掛からなかった。


 初めに禿げた男が逃げ出した。


 しかし、それを少年は許さない。


 少年は落ちていたナイフを拾うと、まるでダーツの的にでも投げるようにしてそれを投げた。


 そのナイフは、禿げた男の頭に綺麗に突き刺さり、男は地面へと倒れ込む。


「あああああ!! 誰か助けてぇぇ!!」


 小柄な男がそれを見て叫ぶが、やはり助けは訪れない。ローズは、その場で固まっていて動かなかった。


 少年は、叫び続けるその男に魔法を放った。


 男の身体は一瞬で凍りつき、それを躊躇なく、少年は足で蹴り飛ばした。


 サッカーボールのように、蹴り飛ばされたその男の身体は、跡形もなく粉々に砕け散った。


 キラキラと、空中に氷の欠片が舞っている。ダイヤモンドダストのように、赤く染まった氷がローズに降り注いだ。


 それをまるで景色でも見るかのように眺めていたローズが、口を開いた。


「……こ、ここまでしなくてもいいじゃない? ただ殺しただけでしょう? そうしないと、魔法が使えない私たちは生きていけないんだから!」


 そう少年に向かって叫んだ。


 ローズは、ただ自分の境遇を理解してほしいと少年に求めた。


「そうだね。だったら分かってくれるよね? 僕もただ殺すだけだよ」


 少年の言葉には、やはり感情は込められていない。


 その白く綺麗な肌に、血痕が飛び散っている。


 ローズはそれを見て、この少年は人の皮を被った化け物だと思った。


 それから、しばらく考えて少年に縋り付いた。


「……か、かっこいいわ! 好きになった! なんでもするから助けてちょうだい!」


 ローズは知っていた。


 男は、こうやって頼めばある程度のことを許してくれると──。


「本当にあなたが好きなの! 一目惚れだったわ! だからお願い! ねぇ? 許して」


 ローズは、これまでの人生の中で一番の愛嬌を少年に振りまいた。


 それに暫く沈黙していた少年が、少しだけ微笑んで言った。


「きっと兄さんなら君たちを許すだろうなー。だって兄さんはすごい優しいから……」


「そ、そうよ? すぐに助けに来てくれた! 優しかったわ!」


「でしょ? 僕も兄さんと同じで優しいから、君を許した方がいいよね」


 そう言うと少年は、足元で縋るローズの頭に手を置いた。


 ローズは思った。


 きっとこの少年は許してくれると──。


 あと一押しだと。 


「そうよ。お兄さんを見習って。許してくれたら、なんでもするわ」


 ローズはそう言って、少年にたっぷりの笑顔を向けた。


「なーんてね! 本当の僕は、兄さんと違って優しくないんだよね」


 少年が、微笑みを返してそう言った。


 ローズが恐怖の表情へ変わる頃、少年の魔法によって、ローズの頭は吹き飛ばされた。


 ローズが最後に見たその少年は、とても冷酷で、それでも何も変わらない綺麗な表情が、血に染まっていく瞬間だった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 真っ暗だった。その路地には、消えそうな街灯がぽつんと一つある程度。その灯りに、兄さんが照らされている。


「兄さん……死んだの?」


 やっぱり、死んでるみたい。


 と、思ったその時。少しだけ、兄さんの指先が動いたように感じた。


 回復魔法がないこの世界には、沢山病院がある。僕はそこへ兄さんを連れて行った。



 そうして、二週間の時が過ぎた。


 明るい日差しが、病室に降り注いでいる。


 兄さんはまだ目を覚まさなかった。


 ベットでぐったりと眠っている兄さん。


「ユミト兄さん!?」


 兄さんが、その深紫の瞳で僕を見ている。


「……ムエ……ルト?」


 喋った。


「寝過ぎだよ」


 兄さんは長い眠りから、ようやく目を覚ました。


 何事だろう? とでも言いたげに、辺りを見渡している。


 まったく能天気なものだ。


「大丈夫?」


「一体、何が……?」


「刺されて二週間も寝てたんだよ? 覚えてないの?」


「刺された? そういえば……めっちゃ痛かったかも!!」


 思い出したように、兄さんはそう言った。


「それより、あの女性はどうなった? 無事か? 襲われていたんだけど……」


「──は?」


 兄さんの目に冗談はない。どうやら兄さんは、自分が騙されたことに気づいていないらしい。


 たがら僕は、そんな馬鹿で優しい兄さんに、「助かったよ」と嘘をついた。


 すると、兄さんは心底ほっとしたように喜んだ。


 ──本当に馬鹿な兄さんだね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る