第4話 茜色の幕間

――ああ、落ちてゆく。あなた色に移り変わった明かりが、地平線の向こうへと。

 

 暮れた西日で鮮やかな茜色に染まった黄昏時、沢山の人が緊張しながらも希望と興奮を抱いて胸を弾ませたこの学園は、今は一部を除いて人気がなく。寂しいほどにしんと静まり返っている。

残っているのは入学式の後片付けをしている上級生と先生達、そしてわたくしと――行儀悪く自分の机の上に座り、さらさらとした黒髪と真っ赤なマフラーを風に揺らして、窓の外では建物の陰に消えゆく茜色を静かに眺めるあなた。

 わたくし達は人気のない一年A組の教室で、いつもの様に二人だけの一時を過ごしていた。

「ヒイロさんは今日も楽しめたですの~?」

 わたくしは自分が選んだ窓際の席に座りながら、窓の外に転がった茜色に煌めく宝石を掴もうと。おもむろに指を出して挟んでみるが、案の定それを手にする事はできず、取りこぼしてしまう。

「ええ、今日も楽しかったわ」

「それは良かったですわ~!」

 わたくしは外の景色を眺めるのをやめて、彼女の凛とした声が呟いた。「楽しかった」の言葉に対して、最大限の表現を以て応える。

 両の手を仰々しくあげながら、少しはしたないが小さな体で上下に動きも付け、心の底からの笑顔を零す。

「ツクヨは? 今日の入学式は楽しかったかしら」

 凛とした声音と共に赤いマフラーの端が揺れ、外の景色に向けていた真っ直ぐな黒い瞳を、茜色を映したわたくしの瞳へと見据えてくる。

「当然、楽しかったに決まってますわ~!」

 そんなの当たり前です。あなたと共に過ごす時間は何よりも素敵で、どんな宝石よりもフランス料理よりも鮮やかな彩りで煌めいているのですから。

「そう。良かった……」

 あなたはわずかに安堵を零してわたくしに優しく微笑むと、窓の外へと視線を戻してぶらぶらと嬉しそうに足を揺らしはじめた。

 今日のあなたはとてもご機嫌な様で、その姿を見ているとわたくしも嬉しくなる。

 それにしても今日のあなたは普段よりも年相応な感じがして、なんだか新鮮な感覚を受けた。特にあの黒い髪が少し伸びた陰鬱さを醸し出していたあの方――ソウマ様を撃った時の表情とか、名前を教えるのを拒んだり、彼に負けずと名乗りを上げるのは……いつもの負けず嫌いなだけだと思いますが。どうも、ソウマ様に対してはちょっとだけ怒りの感情が見え隠れしている様な気がします。

「そういえば。ヒイロさんは、ソウマ様に対して何か思う処でもあるんですの~? 今日のヒイロさんは、やけにあの方に敵意というか、対抗意識を燃やしていた印象を感じさせましたわ~」

「……ムカついた。それだけよ」

 そう答えるあなたの表情は、むっとしていて。なんだか微笑ましかった。

「ヒイロさんが悪意のある相手以外にそういう感情をむき出しにするのは、とても珍しいですわね~。それはどうしてですの~? ソウマ様とは今日が初対面のはずですわよね?」

 少しだけ意地悪く、そのことに対して言及する。だってあなたが「ムカついた」。なんて言葉を口にするのは、いじめっ子や理不尽な暴力を行った相手だけでしたから、ソウマ様みたいに何もしていない相手に武力を行使するのは初めてで、つい好奇心が上回り口に出してしまった。

 するとあなたは窓の外に向けた瞳を、過去へ思いを馳せる様に細め、ぽつりと零す。

「彼が、の私にあんまりにも似ていたからよ」

 幼い頃からあなたを見てきているが、ソウマ様のような状態になったという記憶はない。つまりあなたの言う、というのは――あなたが学校に来なくなった空白の半年間の事なのだろう。

「ええと。嫌な記憶を思い出させてしまいましたよね。謝らせてくださいまし、ごめんなさい……ヒイロさん」

 わたくしは好奇心で聞いてしまった事を後悔した。あの期間のことは未だに話してもらえていない、きっとあなたにとって嫌な記憶なのだろうと思って聞かないようにしていたのだが、ここにきて話題選びをしくじってしまった様だ。

 頭を垂らして俯いた特徴的な言葉遣いから、本来の言葉遣いに戻ってしまったわたくしへと。あなたは向き直る。

「ツクヨ、顔を上げて」

 わたくしは言われた通りに顔を持ち上げる、すると首に何かが巻き付けられた。

 よく見ると、あなたの白く細い腕が鮮烈な赤色の布を手にして、わたくしの首へとそれをあてがい。あなたのいつも身に着けている赤いマフラーからは優しい温もりと、華やかな香りが漂って心を落ち着かせてくれた。

「そんなに気をつかわないで大丈夫。もう過ぎた事だから……」

 真っ直ぐとわたくしを見つめる緋色の瞳が、優しく揺れる。

「それに――私と違って、彼は最後まで逃げずに立ち向かったわ。いえ、立ち向かってる最中なのかしらね」

 あなたはふっ、と愉快そうに口の端を持ち上げて机を降りると、教室の前から六列目。最後列の窓際から二番目に置かれた机の表面に撫でる様に手を当てる。

「だからちょっとだけ、意地悪をしたくなったの。……次に彼に会ったら、謝らなくちゃいけないわね」

 あなたは悪戯っぽく微笑むと、西日に背を向けて教室を出て行こうとする。

「ツクヨ。そろそろ帰りましょう」

 わたくしの名を呼んだあなたは教室から消えて、わたくしだけが茜色に染まった空間に取り残された。

「あ! 待ってくださいヒイロさん! わたくしを置いていくなんて酷いですわ~!」

 いつもの様に言葉遣いを自らが想う理想に染めて、わたくしは急いで席を立って足早と教室を出ていき。金色の長髪とマフラーが風に靡くと、暮れゆく茜色がドレスの色を変える。

 今日も一つ、あなた色に彩られた時間が過ぎて行った――。

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