第3話 自己紹介

「中々目を覚ましませんわね~、打ち処が良くなかったのでしょうか……」

「そんなに気にしなくても大丈夫だと思うよ? 身体を負傷したわけじゃないし。ただ直前の体調的に相当ストレスが溜まっていたんだろう、それがヒイロ君の一撃で爆発したんじゃないかな」

 ――傍から誰かの話し声が聞こえてきた。

 ふわふわとした浮ついた感覚と不明瞭な意識の中で、直前の記憶を手繰り寄せる。

 今日は彩空学園の入学式。堅苦しい黒色の学生服に袖を通してスマホだけを懐にしまいながら家を出て、数か月ぶりの外出をしたはず。

 それで確か……学園には辿り着いたんだったか。そんで叔父さんと話して、嵐の如く体育館に連れてかれて……、後あいつだ。強面だけど気の良い男、橙山とうやま カオルに介護して貰ったんだった。

 そして学園長らしき人の話を聞いた後に――赤い……そうだッ!赤色のマフラー!

 突如、壇上に現れた赤色のマフラーをした女子生徒が、右手に持った拳銃を俺へと向けて、ふっと笑いを零すその光景が鮮明に思い起こされた。

 そうだ。それで俺は……彼女に撃たれたのか? 最期に視界が赤色に染まったのだけは覚えているが……。

 俺が記憶の海に浸っていると、化学品特有のケミカルな匂いが鼻孔をくすぐり。その感覚に刺激されたのか、俺の意識は徐々にハッキリとしてきて、重く沈んだ瞼を持ち上げる。

 目に入って来たのは模様の無い真っ白な天井に、俺を囲う様に閉められた無地の白いカーテンだった。

 どうやらここは体育館ではないらしく。

 俺はゆっくりと身体を起こして、自分の状態を確認する。

 着ている物は家を出た時に着ていた黒い学生服、懐には物が入っている膨らみを感じられる、恐らくはスマホだろう。

 身体は特に痛む部位もなく、むしろ寝た事でスッキリしたのか気分も良くなっていた。

「……ここは、保健室か?」

 エタノールの独特な匂い、無機質な程に白い天井とカーテンに、ベッドに寝かされた俺の身体。

 見える状況証拠から察せられるのは、ここが保健室らしき場所だという事だ。

 赤いマフラーの女子生徒に撃たれて意識を失った俺を、誰かが運んでくれたのだろう。

 ……というか、何で俺は撃たれて無事なんだ? 痛む部位も特にはないし、もしかして――今流行りの異世界転生ものか? だとすると、ここは保健室ではなくて。特殊機関の研究室で謎の実験を行われ、特異な力を宿した機械化兵士になっている――かもしれないッ!

 そんなくだらない妄想を脳内で広げていると、わずかに白いカーテンが開かれる。

「やあ、おはよう! 不運な新入生君! 気分は如何かな?」

 爽やかな声音と共にカーテンの隙間から現れたのは、短く切られた茶色い髪に爽やかな顔をした――。

 六つの綺麗に割れた腹筋、丸太の如き太さの太腿と山の様に隆起した二頭筋に、清潔感を感じさせる白衣を羽織っている男性が、視界に現れる。。

「キャァーーー! へ、変態がいます! 誰かぁ! 助けてください!」

 人生で初めて上げた金切り声を響かせて、恥も外聞も棄てて必死に誰かへと救援要請を求めた。

「おいおい、そんなに慌てるなって。別に取って食おうってわけじゃないんだからさ!」

 白衣の変態はその手を腰に当てると、その爽やかな顔面に備え付けられた白い八重歯を光らせて、身に纏った筋肉の塊を見せつけてくる。

 貞操の危機を感じ取った俺は、身体を丸めて寝ていた枕に顔をうずめる。

 これは悪夢なのだ、まだ俺は夢の中なのだと自分に言い聞かせていると。

 わずかに開かれているだけだったカーテンが、勢いよく開け放たれる。

 そこには二人の人影が佇み、枕に顔をうずめようとしている無様な俺の姿へと、冷たい視線を浴びせてきた。

 一人は小学生程の背丈で、純白のドレスに身を包み腰まである金色の髪を垂らした、童話の世界から飛び出して来たかのように思わせる少女。

 そしてもう一人は……見間違えるはずもない。

 セミロングのさらさらとした黒髪を鮮烈な赤色で染め上げた長いマフラーで巻き付け。胸元には赤色のリボンが特徴的な学園指定の黒いセーラー服に身を包み。整った目鼻たちに雪化粧の如く白い肌。そしてこちらの胸の内を見透かす様な真っ直ぐとした緋色の瞳。

 あの時は遠目で赤いマフラーくらいしか分からなかったが、こうして近くで細部を観察するとよくわかる。高嶺の花という奴だ。

肌野はだの先生~! そう言うのは後にしてくださいまし、今はあの方の状態を確認する方が先ですわよ!」

「おっと、そうだったね! 不運な新入生君! それで、何処か痛むところや、気分が悪かったりするかい?」

 金髪の幼女が個性的な喋り方で白衣の変態を促す。どうやらこの人は肌野先生というらしい、これで先生だったのか……。

 俺は体勢を正して座り。肌野先生に若干の申しわけなさと。いやでも、急にこんな筋肉を露出させた人が表れたら、誰でもこういう反応になるだろ。と、心の中でツッコミを入れ。

「あ、はい……痛みとかは全然なくて、その。……気分もなんだかスッキリしてるくらいです……はい」

 正気を取り戻して冷静になった事で、今自分が置かれている状況と先程の醜態により、身を潜めていたコミュ障が発動してしまい、ぼそぼそとしたか細い声で漏れ出る。

 ……はぁ、俺なにしてんだろ。いつもなら部屋に引き籠ってゲームして、無為にスマホの画面を覗いてるのに。

 叔父さんに唆されたばかりに、着慣れない学生服を着て、上がらない足を動かして、吐きそうになりながらも人の波を渡って来たのに。

 そのせいで面倒ごとに巻き込まれて、挙句の果てには初対面の女子生徒に醜態を見られる始末。……ああ、帰りたい。帰ってゲームの世界に逃げ出したい。

 気分は憂鬱に沈み、早くこの場から逃げ去りたいという衝動に駆られて、徐々に顔を俯けていく。

「そうかそうか、特に問題もなくて僕も安心したよ!」

「あの方に何もなくて良かったですわ~。ね、ヒイロさん!」

「……そうね。意識も戻った様だし、教室に戻りましょう」

「は~いですわ~。それではあなた様も、肌野先生もまたですわ~!」

「まだホームルームはやっているかしら。間に合うと良いのだけれど……」

 金髪の幼女と赤いマフラーをした女子生徒は仲良く保健室を出ていき、廊下に出てからでも少しだけその楽しげな話し声が聞こえて来た。

 ある程度、二人の会話が聞こえなくなった頃。肌野先生はベッドの脇に置かれたシンプルな丸いデザインの白いデジタル時計を見て、俺へと呟く。

「九時四十五分か、まだホームルームが終わるには早い時間だな! 不運な新入生君はどうするかい?」

 どうするも何も。俺としては今すぐに帰りたい……。叔父さんとは約束したけど、さすがにもう俺の許容量を越えている。

 それに遅れて教室に入るなんて、無理だ……。衆人環視の中で孤独に、どこか分からない自分の席に向かう程の勇気は、残念ながら持ち合わせていない。後で叔父さんと顔を合わせるのが憂鬱だが、俺は十分に頑張った。だから、今帰っても許してくれるはずだ。

「あの……先生。お、俺……このまま帰ってもいいでしょうか」

 わずかに残った勇気を振り絞ってその言葉を口に出し、俺はベッドから降りると床に並べられた貸し出し用のスリッパに足を入れる。。

 俺の精一杯の言葉を聞いた肌野先生は、どういうわけかベッドの空いている場所へと腰を下ろすと。

「なぁ、不運な新入生君。君はなんでこの学園に入学しようと思ったんだい?」

 ――そんなありきたりな質問を投げかけて来た。

 決まっているじゃないか。ゲームをするため、叔父さんに小言を言われず、悠々自適に過ごしたかったからだ。

 叔父さんはこの学園に入学すれば、どれだけ遊んでても良いと約束してくれた。まさか、青春任務とかいうモノがあるとは思わなかったが……。

 それに、現実はいつだってあまりにも辛すぎるんだ。だから俺はあのブルーライトが眩いディスプレイの中に映る電子世界を求め、現実から目を背ける様に言い訳をして逃避する……。

「それは……叔父さんがここに入学すれば遊び放題って言うから、仕方なく……」

「君の叔父さんがこの学園を? なるほど、それは良い叔父さんを持ったな!」

 肌野先生は誇らしげににやけると立ち上がり、俺へと手を伸ばすと――片手で軽々と抱える。

「え……? ちょ、ちょっと先生!?」

 急な事で理解が追い付かず、頭には疑問符ばかりが浮かんだ。

 肌野先生には俺の声が届いていないのか、俺を抱えたまま廊下を出ると、そのまま何処かへと向かい始める。

「先生! 俺は行きたくない……! お願いですから帰らせてください!」

 俺は四肢をばたつかせて必死に抵抗するが、その鍛え抜かれた筋肉は山の様に雄大でどっしりとしており、俺の非力な力では微塵も揺らがなかった。

 そうこうしているうちに、一階の廊下の突き当りまで辿り着き、一年A組と書かれた表札の扉の前で立ち止まる。

「不運な新入生君。確かに入学式は運が悪く、嫌な思いをして楽しめなかったかもしれない。でも――本当にマイナスな事だけだったかい? 意識を失った君を運んできた少年は、君を心配そうに見つめて僕によろしく頼んで来たよ。嫌な事で、良かった事を塗り潰すのは勿体ないっ! それにこの学園は基本的に自由だけど、学園のイベント事は強制参加なのさ!」

 いや、確かにカオルとの出会いは良い出来事だったけど! これは、そういう問題じゃなくて! え、イベントは強制参加なのかよっ!?

 肌野先生の語りに色々ツッコミたい事はあったが、今はそれよりもこの後起こるであろう状況に不安が募る。

 長い間叔父さん意外の人と話してないのもあって、まともにコミュニケーションを取れないのもあるが。何より俺は、あの視線が苦手だ……誰かに視られるのが怖い。彼らがひそひそと話す声が怖い。

 机に向かって俯く俺を、憐れむ様に眺める人影にひそひそと話す光景がフラッシュバックする。

 ……ああ、やめてくれ。そんな目でおれを……俺を見ないでくれ。

 身体は恐怖で動かなくなり、筋肉から解放されようと足掻くことをやめてしまう。

「不運な新入生君。きっと君はこの学園を楽しめるよ」

 肌野先生は呟く様に零すと。

せんせー! お荷物をお届けに参りましたよ!」

 目の前の扉を開け放ち、大きな声で叫ぶと教室へと侵入していく。

 急な乱入者の訪問で、教室中はしんと静まり返っていた。

 …………終わった。逃げ出したくてもそうする事は叶わない。

 俺はこの後に訪れるであろう状況を想像して、更に一段と憂鬱な気分になる。

「肌野先生がソウマを連れて来てくれたか~! さんきゅ~!」

「おや? 灰崎せんせーはこの不運な新入生君をご存知でしたか!」

「この前話したろ、ソイツがオレの甥っ子なのよ!」

「なるほど! この子が件のソウマ君でしたか、それは失礼した様だね!」

 肌野先生の爽やかな声と、俺の記憶の中で一番聞き馴染みのある声音。

 そして何よりも、『灰崎』と呼ばれた名前に思い当たる節があり、項垂れていた顔を上げる。

 そこには桃色と白色に文字列が並べられた大きな黒色の板の前に立って、まだ長く折れていない白色のチョークを握り、年季の入った白衣に黒縁の眼鏡をした中年の男性の姿があった。

「叔父さん……?」

 俺は信じられない物を見る様に、ぽつりと零す。

 有り得ない話ではない。叔父さんもここの教員なのだから、俺の配属するクラスを担当する事になってもおかしくはない。

 知り合いに会えて嬉しい反面、こんな惨めな姿を叔父さんに見られるのは嫌だった。今日は本当に最悪な日の様だ……。

「肌野先生悪いんだけど、ソウマの奴をそこの席まで運んでやってくれるか~」

「了解です! それじゃソウマ君、良い学園生活を!」

 肌野先生は指定された席の前まで行くと、抱えている俺を優しくゆっくりとその筋肉から解放してくれた。

 俺は周りの視線に怯える様に俯いて、目の前の席へと座る。

「肌野先生、また今度メシに行こうよ~! 今度はオレが奢るからさ!」

「灰崎せんせーの奢りですか!? 良いですね、予定空けておきますよ!」

「では、また今度!」と叔父さんに手を振って、肌野先生は教室から出て行った。

「んじゃ、一年A組が全員揃った処で、自己紹介を――と思ったんだが」

 叔父さんがそんな不穏な事を零す。

 自己紹介……? いや、無理だって。今この場にいるだけで俺は限界なのに、自己紹介なんて出来るわけがない……。

 俺の心はすでに折れ掛けている、まだ屈していないのは叔父さんが担任らしいからだ。じゃなければ、俺はどうにか理由をこじつけて強引に脱走していただろう。

 しかし、まさかその唯一の希望である叔父さんが、俺の止めを刺しに来るとは思いもよらなかったが……。

 どうやら俺に救いの神はいないらしい、叶う事なら叔父さんと約束したあの時の自分を殴って止めてやりたい。

「どうやらデスクの上に忘れ物して来たみたいだわ、すぐ戻るからちょっと待っててくれよ!」

 はははと、手を後頭部に当てて軽く笑い、叔父さんは教室から出て行った。

 それと同時に何人かがこそこそと喋り始め、それが伝播した様にざわざわとした話し声が教室中に広がる。

 そんな中、俺はどうにかこの状況から逃げ出せないかと思考を巡らせていた。

 これは……千載一遇のチャンスじゃないか? ここを逃せば帰るタイミングを永久的に失う可能性が非常に高く。

 この後に控えている自己紹介という名の公開処刑、どうせ俯いてぼそぼそと口を動かすのが精一杯だ。

 そんな醜態を晒して惨めな思いをするくらいなら、家に帰って叔父さんに怒られる方が何倍もマシだ……。

 よし。俺は腹を決めて席を立とうとすると――。

「おーい、ソウマ」

 急に右隣の席から声を掛けられて、びくりと身体が跳ね上がる。

「お、やっと反応が帰って来たな。まだ体調の方が良くない感じか?」

 俺の名前を呼ぶ聞き覚えのある声に、気遣うような言葉。まさかと思い顔を上げると。

「よっ」。右手を軽くあげて、悪戯っぽく微笑むカオルの顔があった。

「なん、で……カオルが?」

 俺は愕然としながらも、再会できたその事実に心の底から喜んだ。

 叔父さんを除けば唯一の知り合いであり、意識を失った俺を保健室に運んでくれたらしく。

 感謝はすれど、嫌う理由は無かったが……あまりにも出来過ぎている現実に、若干疑心暗鬼にならなくもない。

「最初に会った時は、ソウマと一緒のクラスになるとは思わなかったが。おれ達は何かと縁があるみたいだな!」

「ああ……! そう、みたいだな……!」

 カオルとは何かしらの運命の糸で結ばれているのだろうか。そう思わせる程に出来過ぎていた。

 だがしかし、カオルがいてくれるのなら、この先の自己紹介も耐えられるかもしれない。たった一人、同い年の知り合いが横に居てくれるだけで、これほどまでに心強い物か。俺はこの困難をカオルと共に乗り越えてみせる……! そして、俺はゲーム三昧の毎日を謳歌するんだ!

「まさか、カオルと隣の席なんてな。ちょっと出来過ぎてると思わないでもないが……」

「ソウマが俺の隣なのは偶然じゃないぜ?」

「……? どういう事だ?」

 カオルが放ったその言葉に、俺は頭の上に疑問符を浮かべる。

「この学園、好きな席を選んでいいらしいんだよ。それで教室に入る時にこのクラスの名簿を覗いたら、ソウマの名前があったからさ」

「わざわざ俺の為に席を取っておいてくれたのか?」

「まあな。体育館でのソウマの感じを見てたら、知り合いがいないとしんどそうだと思ったからよ」

「っ、カオル! お前って奴は……!」

 どんだけ気の利く男なんだお前は……! 救いの神はここにいたのだ。もしカオルが神の座を手にしたら、俺は真っ先に信者になると心で誓い。

「もうおれ達は友達じゃねぇか。これからもよろしく頼むぜソウマ!」

「あれ、俺達ってもう友達だったっけ……、まだお前と友達になれるような事をしてないと思うが……」

「なに言ってんだ、一緒に入学式を抜け出して外で一服した仲じゃないかよ! 友達になる理由はそれで十分じゃないか?」

 それってただ俺が情けない処を助けてもらっているだけで、俺は何もしていないんじゃ……? だが、カオルが友達と呼んでくれた以上、彼の想いを無下にするのはダメだよな。友達として……!

「あ、ああ……! じゃあもう俺達は友達だな! 改めてよろしく頼むよカオル」

 カオルは右手を俺に差し出すと、俺もそれ習って右手を差し出しお互いに手を組み合す。これが友情――青春なのか。

 コミュ障の俺でも自然と受け入れてくれる存在が、ひどく心を落ち着かせてくれる。

 あれほどまでに帰りたかった気持ちは緩和され、こういうのも少しは悪くないかなと思い始めてしまった。我ながらチョロいとは思うが、コミュ障は自分に優しい生命体にころっと討ち取られてしまう生き物なのである。

 高校生活最初の友人が出来た事に喜んでいると、唐突に俺の机がぽかぽかと叩かれた。

 不思議に思って俺はそちらの方に顔を向ける。

 そこには、赤いマフラーの女子生徒と一緒に保健室を出て行った金髪の幼女が、俺の机の前でぴょこぴょこと兎の様に跳ねていた。

「ようやく気付きましたわ~!」

 金髪の幼女は大仰な素振りで両手を広げて、にこにこと笑顔をほころばせている。

「あ、君はさっきの……同じクラスというか、高校生だったんだな」

「そうですわ~、わたくしもあなた様達と同じ十五歳の高校生ですのよ~!」

「そうだったのか……」

 俺はぴょこぴょこと艶やかな金髪を跳ねさせている、凡そ小学生にしか見えないその幼い体躯を見やる。

 うーん。これが合法ロリという奴か……。何と言うかアウトだった。というか学生服はどうしたんだ。

「ソウマ。その子は知り合いか? 折角だから、おれにもその子を紹介してくれよ!」

「……カオルお前、こういう子が趣味なのか。いやまあ知り合いというか、なんというかな……」

「ばっか、そんなわけないだろ!? 妹と同じくらいの子をそういう風にはちょっと見られないぜ」

 強面のカオルがロリコン趣味だという発見は取り合えず置いておいて、彼女とは知り合いというより、顔見知りな感じなのだが。

「この子とはさっき目を覚ました時に、保健室で会ったんだ。確か――赤いマフラーの女子生徒と一緒に、俺が起きるのを待っていた様だったけど……」

 金髪の幼女はあの赤いマフラーの女子生徒と仲良さそうに話してたな。でもどうして俺が起きるのを待っていたんだ……? あれか、あの赤いマフラーの女子生徒が俺に誤射したから、心配になって様子を見に来たのだろうか。……そういえば、俺は拳銃で撃たれたのに何で無事なんだ? それに誤射なのかは分からないが、俺を撃っておいて謝罪の一つもなしなのはどうなんだ。

 今までの出来事を思い起こしていると、今更になって疑問が浮かび、巻き込まれたことへの怒りで無性に腹立たしくなってきた。

「なぁ、君。あの……赤いマフラーの生徒は一緒じゃないのか?」

 俺は恐る恐ると言った感じに、金髪の幼女へと質問をする。

「ヒイロさんですか? それならずっとあなた様の隣の席に座っていますわよ?」

 金髪の幼女はそう言って、俺の左隣の席へと視線を動かし。俺もその視線を追う様にして左隣に顔を向けるとそこには――。

 空いた窓から流れる春風に黒いセミロングの髪と赤いマフラーを揺らした、件の女子生徒が左手を机に肘立てて桜の舞う窓の外の景色を静かに見つめていた。

 彼女は俺達の視線に気付いたようにこちらを一瞥するが、興味無さそうにまた窓の外へとその緋色の瞳を戻してしまう。

「本当に気付いていなかったんですの?」

「あ、ああ…………」

「そういえばソウマはずっと下を向いてたか。そりゃ気付くわけもないぜ」

 まさか当の本人が隣の席に座っていたとはつゆ知らず、今までの醜態を見られていたと思うと、非常にいたたまれない気持ちになった。

「それで、ヒイロさんに何か御用でしたの? 質問でしたら、自分で聞いてみれば良いと思いますわ~」

「い、いや……たいした事じゃないし、やっぱりいいよ……」

 赤いマフラーの彼女に、俺はどうして無事なのか。とか、何で俺を撃ったんだ! とか、謝罪くらいないのかよ? 等々、言いたい事は沢山あるのだが。如何せん先程の事で居心地が悪いのもあるし、何より――異性と言葉を交わすのが苦手だ。賑やかで人当たりの良さそうな、この金髪の幼女相手にですらこのザマなのだ。それなのに、どうして彼女と話せようか……。

 俺は赤いマフラーから視線を前へと戻し、彼女と会話するのを諦める。……来世に期待する事にしよう。

「逃げるの?」

「え?」。凛とした声が俺に届くのと同時に、俺は殆ど反射的に顔を向けてしまった。

 彼女の見透かす様な黒い瞳と揺れる俺の瞳が交差する。まるで彼女に引き寄せられる様にお互いに見つめ合うその一瞬は、俺には遠く長く感じられて、鼓動の音がやけにうるさく鳴り響く。

「聞きたい事、あるんでしょ?」

 淡い桃色をした唇が開き、永遠かと思わせる時の流れが元に戻った。

「あ、ええと…………名前。教えてくれないか……」

 あれ? 俺なんで名前なんて聞いてるんだ……? もっと他に聞くことがあったはずなのに、急な事だったからつい口に出してしまったんだろうか。

 俺は自分の思考と口から零れた言葉の掛け違いに困惑し、徐々に自信を無くしていき視線を下へと降ろしていく。

「教えてあげないわ」

 ――そんな予想外な言葉が凛とした声で告げられた。

 なんとか口にした言葉を拒絶されて、俺の自信は消し飛び意気消沈してしまう。

「え、えぇ!? 今の流れで教えてあげないのですの~?!」

 金髪の幼女は困惑の声を上げ、横からは事の成り行きを見守っていたカオルが楽しそうに笑う声が聞こえる。

「今日のヒイロさんは変ですわ~! いつもなら何もしていない相手に危害を加えるなんてことはなさいませんし、誰からの質問でも可能な限り優しく答えてあげますのに、あとあと! 任務直前に忘れ物に気付くなんて、いつものヒイロさんらしくありませんわ~! ――ハッ! ……ま、まさかッ! このヒイロさんは偽物のヒイロさん!?」

「落ち着きなさいツクヨ。私は本物よ」

「で、では幾つか質問をするのですわ! きちんと正解出来れば本物のヒイロさんだと認めてあげますわ~!」

「……良いわ、望む処よ」

 ヒートアップした金髪の幼女は賑やかに声を上げて、赤いマフラーの女子生徒と戯れる、それを確認したカオルが俺の肩へと手を乗せて。

「愉快な奴らじゃないか、良かったなソウマ。これならお前もこの学園生活を楽しめるんじゃないか?」

 人の気持ちも知らないで、カオルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 そんな事をしていると教室の扉が開かれて、大きめのダンボール箱を抱えた叔父さんが戻って来た。

「お待たせお待たせ~、そんじゃ今度こそみんなに自己紹介をしてもらおうかな!」

 叔父さんは抱えて来たダンボール箱を教卓の上に乗せると、俺達へ死刑宣告を告げた。いや、恐らく死刑宣告なのは俺だけなのだろうけど……。

 わずかに芽生えた勇気はつい先ほど掻き消えて、不安の波が押し寄せてくる。……ああ、帰りたくなってきた。

「あ、その前にもう一度オレの自己紹介もしておくか! ソウマと金髪の子と理事長の娘さんはいなかったもんな~!」

 叔父さんはそう言うとおもむろに白いチョークを握り締め、黒板の空いている場所に文字を書き始めた。

「オレはこの一年A組を担当する事になった”灰崎はいざき シゲル”って言うんだが~、上級生達からはと呼ばれることが多いからよ! 好きに呼んでくれて構わないぜ~!」

 はははといつもの動作を取って、賑やかに笑う。……叔父さんは学園でも家とそんなに変わらないんだな。

 そんな普段見えなかった身内の姿を見て、淡泊な感想が漏れる。

「それじゃっ! 廊下側の前の席から横へと順番にやってもらうか~!」

 そう言って叔父さんが廊下側の最前列を指すと、その席に座っていた生徒が静かに立ちあがって自己紹介を始めた。

「”羽柴はしば レク”」

 短く切った黒髪に前髪の一部だけを長く伸ばした部分を紫色に染めているのが特徴的な女子生徒は、自分の名前だけを告げてさっさと席に座る。

 なるほどな。名前だけ述べてさっさと座ってしまうというのもありなのかもしれない、俺もそれでいこう……!

 そうして自己紹介は順調に進められていき、縦横六席ずつに並べられた計三十六台のうち二十九台のイスが引かれては机に収まり、とうとう俺の左前の席に座る金髪の幼女の番となった。彼女は身に纏った純白のドレスに気を付けて、丁寧にイスを引き。

「わたくしは”金木犀きんもくせい ツクヨ”と申しますわ! どうぞツクヨと、下の名前でお呼びくださいませ~! 誕生日は九月二十九日、好きな食べ物はフランス料理全般ですの! よろしくお願いいたしますわ~!」

 賑やかに自己紹介を行いうと、最後にぺこりと頭を下げて一礼して、金木犀さんが席に着く。すると隣の席からカオルがこそこそと話しかけて来た。

「なぁソウマ。今気になったんだけどさ、なんでツクヨちゃんだけ学生服着てないんだ?」

 そんな至極当然の疑問をぶつけてくる。

「俺が知るわけないだろ……というか、その疑問は最初に浮かばなかったのか」

「いや、あまりにも彼女が普通にしてたからよ。聞くのも悪いかなって」

 確かに、金木犀さんは当たり前の様にその純白のドレスを着ているし、彼女自身もそれが問題とは思ってもいない感じだ。彼女の友達らしい赤いマフラーの女子生徒も特に動揺している素振りもないし、本当に彼女は何者なのだろうか。

 俺達がそうこうして金木犀さんの謎に思考を費やしていると、とうとうカオルの自己紹介の番となった。

 現在俺の唯一の友人である彼は、寝癖の酷いライオンの鬣みたいな髪を橙色に染めた強面な風貌をしているのだが、根は優しい奴で人当たりもかなり良い素晴らしい奴だし、この程度問題なく終えるだろうという安心感がある。

「おれは”橙山とうやま カオル”ってモンだ。これからよろしく頼むぜ!」

 腹の底から出した迫力のある声音で、自信たっぷりと挨拶を済ませたカオルは席に着くと、「がんばれよ」。と、小さく応援してくれた。

 俺は友人からの期待に、そして叔父さんからの期待に応えるべく震える手を握り締めて、勢いよく席を立つ。その拍子に座っていたイスが背中から床へ倒れた。

 周りを見る程の余裕はない、不安は拭えず恐怖が呼吸を乱してくるが。俺は俯きながらも口を大きく開いて――なけなしの勇気を振り絞って自分の名前を言葉にする。

「お、俺は……あおみ、”青海あおみ ソウマ”! ……よ、よろしくお願いします!」

 い、言えたぞ……! 俺はやったんだ! 見ていたかカオル、叔父さん! 俺は何とかこの試練を乗り越えたんだ……!

 俺は自己紹介を乗り越えたという事実に安堵して、立った拍子に倒れたイスの事を忘れていた。全身全霊で臨んだ自己紹介に疲弊した俺は、後ろを確認せずにそのまま座ろうとして、床へと尻もちをしてしまう。 

「いだっ!」

 予期していなかった事なのもあって、俺はつい間抜けな声を上げてしまった。

 それを見たクラスメイト達から、くすくすと笑い声が漏れる。

「大丈夫かよソウマ!」

 見かねたカオルがすぐに俺を起こしてくれるが、嘲笑うような笑い声は鳴りやまない。

 ……はぁ。なんでだよ。なんでこうも惨めな思いをしなきゃならないんだ。俺だって普通に自己紹介がしたかっただけなのに。悔しかった。苦しかった。今すぐにでも逃げ出したかった。ああ、だから現実なんて嫌いなんだ。……今日は最低で最悪な日だ、やっぱり学校なんて行くもんじゃないな。……くそがよっ。

 俯いた俺の目からは涙が溢れて、真新しい学生服に黒く染みを作る。俺は起こしたカオルに礼も言わず、無言で席に着いた。

 しかし、次の瞬間。ッダン! と机を叩き付ける音が響き、イスが大きな音を立てて倒れ。騒いでいた教室は一瞬にして静寂に包まれる。

 クラスの全員が音の響いた方向に顔を向ける。俺も涙で少し赤くなった目で、邪魔くさく伸びた髪の合間からその様子を窺った。

 音を立てた張本人は、机に叩き付けて少しだけ赤らんだ細く白い手を下ろし、その真っ直ぐな黒い瞳で教室中を左からゆっくりと見渡す。不安そうに彼女を見つめる金色に、不思議な生き物を視る様な紫色、ワクワクとした好奇の視線をぶつける橙色。――そして最後に俺へと視線を配る。

 鮮烈な赤色のマフラーは窓から入り込む春風に気持ちよさそうに揺れる、真新しい黒色のセーラー服に恥じない様わずかに膨らんで胸を張り、高い訳でもない彼女の背からは逆光が射して俺に陰を作った。

「私はヒイロ。――”彩空あやそら ”!」

 スゥー。と息を大きく吸い込んで、この広い学園すべてに轟かせんばかりの声量で名乗りを上げた少女が、水滴で溢れて揺れる俺の瞳に映しだされた。

 彼女が「ふぅ」。と一息吐くと、パチパチと誰かが拍手をし始める。一人、また一人とその数は増えて、教室中が喝さいに包まれる。

「ヒイロさん! 流石ですわ~!」

「あいつ、中々やるじゃないか!」

 皆が皆、一様に彼女を褒め称える中、俺は――彼女のその姿を目に焼き付けていた。彼女がその名を叫ぶその瞬間、――俺には彼女がアニメや漫画で出てくるヒーローみたいに見えて、その、何て言うか。救われたんだ。笑う奴らをその毅然とした態度と行動だけで捩じ伏せて。すげぇかっこよかった。その時に思ったんだ、彼女に近づきたい。彼女みたいにかっこよくなりたいって……。

 ――その後の記憶は朧気で、熱に浮かされた様に緋色のマフラーがずっと脳裏に揺らめていたのだけは覚えていた。気付いたら学生服のままに部屋に立っていて、懐の中にはスマホと伸びた黒髪が人相悪く映った俺の証明写真が貼られている学生証。そして大切そうに手にしていたのは、俺達一年A組の集合写真。そこに映る赤色のマフラーを見て、俺はぽつりと呟く。

「彩空 ヒイロ。……俺も明日から頑張ってみるか」

 その声はいつもより自信に溢れ、心が漲るのを感じた――。

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