第2話 オペレーション コード:アルストロメリア
4月10日/a.m.09:15/晴天/彩空学園 体育館内2F照明操作盤前
染みの広がったコンクリートの内壁を隠すように、暗めのカーテンが横一杯に張りつけられた体育館の舞台裏。
昼間なのもあってか光源は外から差し込む陽光のみで薄暗く、二階を繋ぐ細い通路は少しだけ不気味な印象を感じさせる。
耳に届くのは墨宵学園長の芯の通った声と、ざわざわとした怒気が籠った新入生たちの罵声。
――そろそろ、私の出番が来る。
ゆっくりと深呼吸をして、昂る気持ちを落ち着かせようとするが、身体は高揚しており中々治まらない。
仕方がないので、頭の中で計画をもう一度反芻する事にした。
入学式の手引きを覗き見た感じ、次は新入生代表の挨拶になっていたはずだから、墨宵学園長が次に移行するのは『新入生歓迎の挨拶』、その時ツクヨに合図を出してすべてのカーテンを開け放ってもらい、光源の供給をこのエリアからすべて断つ。
次に、目の前の壁に備え付けられた照明操作盤を操作して、マイクが置かれた壇上の部分だけに光を収束させ、私がそこに命綱を頼りに上空から颯爽と登場する。
そして体育館の中央部辺りの天井に密かに、準備しておいた巨大くす玉をこの拳銃で撃ち抜いて――楽しい学園ライフの幕開けを告げる。
後はツクヨが照明を落として、私が逃走する時間を稼いでくれる手筈になっている。
計画は完璧。準備は万端。後は私が失敗しない様にするだけね。
首に巻いたマフラーを口まで持ち上げてゆっくりと瞼を下ろす。次第に呼吸は整っていき段々と心も落ち着いてくる。目の前の任務に集中する為に気持ちを切り替えた。
少しすると、耳にした赤色のインカムから賑やかな声音が届く。
「ヒイロさん! こちらの準備は今しがた完了しましたわ! いつでも始められましてよ!」
若干興奮気味な彼女は『
金木犀家の一人娘で、傍から見ればその佇まいは立派な大和なでしこなのだが、洋装に憧れているちょっと変わった子。
「了解。話の流れ的にそろそろ、墨宵学園長が次の段取りに移行するはず」
二階の通路から壇上を覗き見ると、墨宵学園長が想定通りに新入生代表の挨拶へと移行し始めた処だった。
「ツクヨ。予定通りに頼むわよ、私はこの命綱を腰に巻き付けて――あっ」
「そんな間の抜けた声を上げて、どうかなさいましたの?」
つい零してしまった声を聞いたツクヨが、何事かと尋ねてきた。
「…………縄。灰崎先生が見当たらなかったから、頼んだものを回収するのを忘れていたわ」
「えぇ!? ど、どうなさいますの! このままでは折角練った計画が、頓挫してしまいますわ……!」
普段はツクヨが何かしらやらかして失敗するのだが、今日は私がやらかしてしまった様だ……それも大きな奴を。何か別の方法か代用できる何かを見つけなくては――目に映るのはカーテンに、照明操作盤、それと新入生歓迎の看板。
「あわわわわ……! ヒイロさん! 会場内がざわ付いています……! このままでは、先生達がヒイロさんを探し始めてしまうかもしれませんわ!」
焦るツクヨを聞き流し、ギリギリまで頭を働かせて代用手段を探す。
カーテンはダメね、付け根が弱すぎて飛びついたらカーテンごと落ちてしまうわ……。
照明操作盤のタイマー機能を使って、照明の点灯タイミングをずらす事は出来るけど、降りる途中で先生達と鉢合わせてしまうわね……。
新入生歓迎の看板はどうかしら。確かこの看板は枠が鉄で出来ていて、その中身を入れ替えて使っているはず。
天井から伸びた看板の付け根を見据えると、そこはしっかりと鉄で溶接されており、多少乗ってもビクともしなさそうだった。
「これなら何とかなりそうね」
丈が長めのスカートの中へと手を伸ばし、太腿に潜ませたホルスターから、一丁の黒い光沢を放つ拳銃を取り出して。
――――いつもの合図を呟く。
「オペレーション コード:アルストロメリア。
「任務開始ですわ~!」
まずは照明操作盤のタイマー機能を使って、15秒後に照明が点灯する様にセット。
「――ツクヨ!」
「この瞬間を心待ちにしていたのですわ! さぁ皆さん、カーテンを開けてくださいませ!」
ツクヨの合図で体育館は闇の帳に包まれる。
まだ目が闇に慣れていないのもあって、一寸先すらも視通す事が出来ない。
だが、今更ここで日和るわけにはいかないのだ。
暗がりの中へと手を伸ばし、通路の手摺を探し出す。
するとすぐに冷えた鉄の感触がして、私はそれを頼りに記憶上の看板が設置してある上部辺りへと移動する。
そして意を決して手摺を乗り越えて、一メートルほど下にあるであろう看板を目掛け、何も見えない深淵に飛び込んだ。
――カン。と子気味良い音が鳴り、無事看板の上に着地出来た事に安堵し。
そのまま壇上の上へと着地する。
壇上には先生達が立ち位置を確認する為のテープが張られており、着地予定地点のテープには事前に蛍光塗料を塗っておいたのだ。
ダン! とかなりの音が体育館内に響き渡り、その直後、照明が点灯する。
ここまでは予定通り、後は早急に巨大くす玉を割るだけ。
でも、折角このタイミングに登場したのだから、かっこよく台詞を残していく方が印象に残るわよね。
これから三年間を共に学園ライフを送る、同級生達の姿を壇上から見渡して。
「新入生代表の挨拶ね。それじゃあ一言だけ」
構えた拳銃を、天井にセットしたくす玉へと向けて、一発。
パァンという銃声が体育館に響き、生徒たちの頭に一輪の赤い花が咲いた。
「やりましたわ~! 可憐な花が咲き乱れる様はまさに、淡雪のごとしですわね!」
ツクヨもアルストロメリアの蕾が開花するのを確認したのだろう、先程よりも更に興奮している様だ。
「ツクヨ、照明を頼むわよ」
「今しがた到着した処ですの! いつでも大丈夫ですわ!」
ツクヨの配置も完了し、後は照明を落としてもらって退散するだけ。
けれど何かが心に引っ掛かる。さっき同級生を見渡した時に一人だけ、気になった奴がいたのを思い出す。
体調が悪いのか、隣の生徒に背中をさすられて、情けなく壇上を見つけるその瞳。
現実から目を背け、逃げようとしている様なその目がすごく――ムカついた。
「――――悔いのない三年間にしましょう」
ムカつく生徒の額へと銃口を向けて、一発放つ。
発砲音が響いた次の瞬間、彼の顔が真っ赤に塗り潰されて倒れ伏す。
先生も生徒たちも、この急な事態に対処出来ておらず、殆どの人がただ事の成り行きを見守っているばかりだった。
「ふぅ。清々したし。撤収するわよ」
無意識のうちに笑っていたのを隠すように、マフラーで口を覆い。
この後邪魔になる拳銃は、ホルスターへと収納する。
「了解ですわ!」
ツクヨの言葉と同時に、再び体育館は闇の帳に包まれる。
後は、生徒達が動き出さないうちに、中央を突っ切って脱出を図るだけ。
軽やかに壇上から飛び降りて、闇の中を駆け抜ける。
アルストロメリアが咲いているうちは、蛍光塗料のおかげで少しだけ見通す事ができ、問題なく体育館を脱出する事に成功した――。
私は計画の成功に満足して、先に一人で校舎の陰で一つ息をつき。
「こちらヒイロ。無事に脱出したわ」
ツクヨへと計画の進捗を報告すると。
「ひ、ヒイロさん~! わた、わたくしはもうダメですわ……。ですから、ヒイロさんだけでも逃げてくださいませ~~~!」
悲痛なツクヨの声が聞こえ、直後に通信が断絶した。
「…………捕まったのね」
ツクヨがまだ居るであろう体育館を眺め。
「――また
囚われた友人に罪を擦り付けるわけにはいかないので。
もう一度体育館に戻ることにする――。
私は裏口からこっそり侵入しようと扉に手を当てると、中から聞き慣れた声が咽び泣くのが耳に入ってきた。
音を立てずに扉を僅かに開き、隙間から中の様子を窺う。
確認出来るのは、およよよと正座で咽び泣く、真っ白なゴシックドレスに身を包んだ、金色の長髪に幼さが残る少女と。
額をヒク付かせて、修羅の形相をしている墨宵学園長が確認できた。
すると、私に気付いた少女が、扉へと飛びついてくる。
「な”ん”て”も”と”って”き”ち”ぁ”った”ん”て”す”か”あ”あ”あ”!」
涙と鼻水に塗れた顔を擦りつけてこようとするのを押しのけて、私は体育館に再び踏み入った。
懐からハンカチを取り出して、ツクヨの目元と鼻を拭ってあげる。
そして彼女が落ち着いたのを確認すると、墨宵学園長の方に向き直す。
「申し訳ありませんでした墨宵学園長、これは私の命令です。ツクヨも僅かながら手を貸しましたが、この計画はすべては私の判断によるものです」
私は真摯に墨宵学園長へと謝罪する。
「ヒイロさん……! そんな、わたくしも共犯ですの! ヒイロさんだけに背負わせませんわ!」
「……ツクヨは黙ってて。ですから罰則を受けるのは、私だけでお願いします」
静かに頭を下げると。同じ様にマフラーも揺れて隙間から伸びた髪が垂れてきた。
「違いますわ! わたくしも! わたくしも共犯なんですの! だからどうか、ヒイロさんにあまり重い罰則を与えないでくださいませ……!」
ツクヨも私に習って静かとは言い難いが、ブンと音を立てて頭を下げた。
「はぁ、二人共。頭を上げてちょうだい」
大きなため息を吐いて平静を取り戻した墨宵学園長の言葉を受けて、私とツクヨはゆっくりと顔を上げた。
「彩空理事長からヒイロちゃんの事は言われているの、だから今回の事は見なかったことにするけど……」
墨宵学園長は私達の頭に手を置くと、慈しむ様に優しく撫でてくれる。
「あんまり危ない事はしないでね」
そうだけ言うと、墨宵学園長は私達を後にして、入学式の処理に戻っていった。
取り合えず、今回の件は見逃された様でよかった。
ふぅ。と一息ついて、ツクヨの様子を見てみるが、彼女も私と同様に安堵を吐いている。
「お疲れ様ツクヨ。私達は先に教室に行っていましょうか」
赤いインカムを外して懐に仕舞いながら、先に体育館の外へと出ていく。
少し冷たい外気は、上昇した体温を冷ますのにちょうどよく、気持ちよいくらいだ。
私に遅れてツクヨも外へと出てくると、そういえばと零す。
「二発目に撃った弾丸が、どなたか生徒様に当たっていましたのですわ、保健室に運ばれた様ですけれど、大丈夫でしょうか……」
あのムカつく瞳を思い出し、ふっ。と一蹴する。
「あんな奴、撃たれて当然よ」
ズカズカと教室への歩みを進めようとすると。
「で、ですが。念のため様子を見に行きませんか? そのペイント弾では、人を害する事はないでしょうけれど、一応ですの!」
ツクヨは自己主張の少ない子で、こんなに言ってくるのは珍しかった。
「ツクヨがそこまで言うのは珍しいわね。あの生徒がどうかしたの?」
「あの生徒様が、というわけではないのですわ。ただ、何かあったらヒイロさんが苦しんでしまうと思ったのですの……!」
なんだ、そんな事を気にしていたの。別にあんな奴に何が起ころうが私は気にしないのに……。多分。
だけど、ツクヨが珍しく提言してきたのだし、彼女の意を組んであげるのもいいかもしれない。
「分かったわ。ツクヨがそこまで言うのなら、奴の様子を見に行きましょうか。恐らく大丈夫だと思うけれどね」
「ヒイロさん! そうと決まれば保健室に行き先を変更ですわ~!」
ぴょこぴょこと、白いドレスに身を包んだ金髪の少女が、賑やかに飛び跳ねて回ると。
冷気を纏った風が真っ赤なマフラーと、黒色のスカートを揺らした。
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