君彩モラトリアム

黒咲 エイター

第1話 入学式

 ――――ああ、遂に終わったのだ。

 むせ返る程に渇いた喉が、心からの雄叫びを拒絶し。

 力を使い果たした四肢は、だらりと地面へと垂れて。

 瞳からは雫が滴り、倒れ伏した彼女のマフラーへ降り掛った。

 

 俺の視界が映すのは……赤色で。赤い、赤く、赤な。どこまでも赤色の世界。

 真っ赤に染まる手と、右手に握りしめた拳銃。

 そして――眠る様に瞳を閉じている、マフラーを巻いた女子生徒。

 俺は御伽噺の眠り姫の様な彼女へと、喉を振り絞って言葉を伝える。

「……任務完了ミッションコンプリートだ」


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


 冬の厳しい寒さは薄れて、雲一つない青空からはほんのり暖かい陽光が射し、真新しい学生服達を照らし出す。

 門の入り口近くに咲いている、大きな桜の木からは桃色の花弁が舞い散って、新たに敷地に踏み入る者達を歓迎し。

 奥の建物では慌ただしく人影が動き、拙い足取りへと元気な声を響かせている。

 久方ぶりの日光を浴びて、卸したての学生服に身を包み。

 緊張する頬を優しい風が撫で、目にかかるほどに伸びた前髪が邪魔くさく揺れる。

 体型に伴っていない非力な筋力で足を動かして、ようやくたどり着いた。


 山の如く聳え立つ校舎が三棟、十tトラックが数十台は入るであろう体育館に、テニスコート幾つ分に相当する面積のグラウンド。

 広大な敷地を有しているマンモス校が、――彩空学園。

 山と海に挟まれており、冬はそこまで寒くならず、夏は比較的過ごしやすい、学び舎としては理想的な立地。

 日本有数の巨大高校だが、その教育程度はごく普通の学校と同等レベル、ただしこの学園には他の学校にはない魅力がある。

 それは、入学してからの時間は、好きに過ごして良いというもの。

 授業をサボろうが、趣味に没頭しようが、ゲームで遊ぼうが問題はないのだ。

 そして今日、そんな楽園に俺は。入学をする――――。


 緊張で高鳴る鼓動を抑え、挙動不審な動きで校門を抜けると。

 くたくたの白衣に袖を通した眼鏡の中年男性が、敷地に踏み入った者達をチラチラと、誰かを探している様な視線を向けていた。

 そして、俺を視界に収めると、大仰に手を振って、大きな声で俺を呼び始める

「おーいソウマ! こっちだこっち!」

 公衆の面前で、俺の名前を呼ばないでくれよ。

 心の中で文句を言いながらも、声の主の元へと足を進めた。

「なんだよ叔父さん、約束通りちゃんと来たぞ」

「いや~良かった良かった! 来てくれなかったら、学園長にオレが怒られちゃうからさ!」

 はははと、愉快そうに笑いを零すこの中年のおっさんは、『灰崎はいざき シゲル』。

 年季の入った白衣に黒縁の眼鏡を身に着け、手を後頭部にあてては賑やかに笑っているのが印象的。

 両親を亡くした俺を引き取ってくれた恩人で、この彩空学園の教師でもある。

「それより、どうしたんだ? わざわざ校門で待ってるなんて」

「あー、特に用事があったわけじゃないんだが、ただソウマがちゃんと登校してくるか心配でな、様子を見に来たんだ」

「……俺も高校生になるんだし、大丈夫だって」

 心配性な叔父さんに辟易するが、普段のやり取りで少しだけ緊張が和らぐ。

「それじゃ行くよ、体育館に行けばいいんだよな?」

「この先を真っ直ぐに進めば体育館だ、先輩達が席まで誘導してくれるから、安心して入学式に臨んでこいよ!」

 バシバシと俺の背中を景気よく叩いて、喝を入れてくれる。

 俺は「おうよ」と適当に返し、叔父さんを背に俯むいて、教えられた通りに真っ直ぐと道を進んだ。

 すると、すぐに「新入生はこちらでーす!」と、元気のいい声が俺に向けられる。

 顔をぎこちなく上げると、桜のヘアピンをした上級生らしき女子生徒が、こちらを覗き込んでいた。

「えーっと、新入生さんですよね? でしたら、私に付いてきてください!」

 そう言うな否や手首を掴まれ、ずいずいと引っ張られていき、あっという間に席に座らされてしまう。

「それでは、良い学園生活を!」

 桜のヘアピンをした女子生徒は、突如巻き起こった嵐の如く立ち去って行った。

「あ、えと……」

 人見知りなのもあってか中々言葉が出てこず、お礼を言う事が出来なかった。

 ふぅ。と溜息をこぼし、一旦周りの状況を見る事にする。

 体育館の前の方には、鉄製の枠組みに入れられた新入生歓迎の看板が吊るされており、その下には壇とマイクが設置してあった。よくある式典のさまである。

 そして、この広い体育館の殆どを、鉄パイプのイスが埋め尽くし、その半分程を真新しい学生服が塗り潰していた。そう、山ほどの人の群れである。

 その中に放り込まれているという事実を改めて認識した事で、恐怖と不安の波が押し寄せて来る。その結果、吐き気と不安で顔を俯けてしまう。

 普段は家に籠ってゲームばかりしているせいで、人が多くいる空間に馴れておらず、知り合いもいないこの空間はあまりにもアウェー。

 先程、叔父さんに大丈夫だと見栄を張ったが、内心では緊張で吐き出しそうな程だ。今ほど叔父さんが恋しいと思った事は無い。

 そんな極限の状態で下を向いていると、いつの間にか新たに新入生が来たようで、右隣の席に腰を下ろす気配を感じる。

「なぁあんた、大丈夫か? 顔色が悪く見えるが」

 急に声を掛けられ、身体をビクつかせながらも、恐る恐る顔を上げると。

 そこには俺を心配そうに見つめる、寝癖の酷いライオンの鬣の如き髪を橙色に染めた強面な、俺と同じく真新しい学生服を着た少年の姿があった。

「あ、ああ……俺は問題ない。大丈夫だ」

 全く大丈夫ではないが、流石に初対面の相手にこんな醜態は見せるべきではないと、何とか取り繕う事にする。

「いやいやいや、まったく大丈夫には見えないから!」

 はぁ、と溜息を吐くと、怪訝そうな顔をしながらも、俺の背中を優しくさすってくれた。

「もしかして、あんたこういう場所苦手な感じか?」

 その言葉にこくりと頷き。

「だったらちょっと外に出てこようぜ、冷たい空気を吸えば少しはマシになるだろうさ」

 丁度、新たな新入生が来たのを見計らって、俺達の席を空けて置いてくれと頼み。

 金髪の少年は俺へと肩を貸して、あまり揺らない様に優しく歩みを進めてくれた。

 登校初日に気持ち悪くなって同級生に肩を借りているのは、何とも情けないと自分でも思う。

 だが、それも今日までだ。この学校は何をしても咎められない楽園なのだから。

 今日という日を乗り越えれば、遊び放題なのだと言い聞かせ、金髪の少年と共に体育館の外へと足を動かす――。


「ぷはぁーーーー! 何とか生き返った。助かったよ」

 人通りがあまりないらしい体育館裏、日陰で少し冷えるが、その冷たさが逆に心地よかった。

 大きく息を吸い込むと、外の冷える空気が肺を満たし、代わりに溜まっていたものを吐き出していく。

 ガチガチに固まっていた身体はほぐれ、緊張も僅かに緩和されていた。

「元気になって良かったぜ、隣であんなに顔色を悪くされてちゃ、おれとしても気が気でなかったからよ」

 金髪の少年が安堵と共に、柔らかい笑みを浮かべる。

 初めはその強面の印象から、怖い奴なのかと思ったが、案外良い奴なのかもしれない。

「あ、そういえばまだお前の名前を聞いてなかったな。何て言うんだ?」

「ん、おれか? おれは”橙山とうやま カオル”。あんたのも教えてくれよ」

「俺は、その……あ、青海あおみ ソウマだ。よろしく頼む」

 久しぶりに自分の名前を名乗ったのもあってか、噛んでしまったのが恥ずかしい。

「ソウマか、しっかりと記憶したぜ。よろしくな!」

 そう言ってカオルは俺の肩に手を回すと、懐からピカピカと輝くスマホを取り出して、内カメラでパシャリと一枚撮影した。

「お、おい!? 急にどうしたんだよ」

 そのあまりに唐突な行動に驚き、俺はつい声を上げてしまった。

「ん? ただの記念撮影だけど。嫌だったか?」

 カオルは撮れた写真を嬉しそうに見つめながらも、横目でこちらを覗く。

「……いや、急な事だったからビックリしただけだ。気にしないでくれ」

 昔から写真写りが悪いのもあって、本当は写真を撮られるのは好きじゃないのだが、カオルの表情を見たらそんな事は言えなかった。

「そうかそうか、なら良かったぜ」

 その答えに満足したのか、カオルはスマホを懐にしまい、こちらの顔をまじまじと見つめ。

「さて、ソウマの顔色も良くなった様だし、そろそろ戻るとするか?」

「ああ、そうだな。結構落ち着いて来たから……もう大丈夫だと思う」

 カオルという知り合いが出来たからか、さっきまでに比べたら大分心も軽くなり、身体も言う事を利くようだった。

「んじゃ、戻るとしようぜ。おれ達の入学式なんだからな! しゃんとしなきゃ勿体ないぜ」

 カオルはそう言うと体育館の入り口へと歩みを進め、俺も置いて行かれない様に足を速めた。

 外気を吸って冷静になった今ならきっと、人で埋め尽くされたあの空間も平気だろう。

 先程の様な醜態は晒す事はないはずだ、カオルの陽気さにあてられたのか、心も足取りも軽やかに体育館へと戻ることにした――。

 

 ――俺とカオルの席は体育館の丁度中央辺りの場所なのだが、先程までより遥かにこの空間の密度が増しており、席に辿り着くまでに数多の人をかき分けて、苦労の末に何とか着席することができた。

 まぁその結果、俺はと言えば――――。

「…………カオルすまん。俺はここまでかもしれない」

 さっきまでと同じように、ガタガタと身体を震わせながら、顔を俯いていた。

「どんだけ人混みが苦手なんだよ……そんなんじゃ学校生活大変だぜ?」

 若干呆れながらも、俯く俺の背中をさすり、心配をしてくれる。

「しょ、しょうがないだろ。こんな人混みの空間は初めてだし、見ず知らずの人とこうやって同じ空間で過ごすのは久しぶりだったんだよ……」

 情けない言い訳だが、仕方がないのだ。

 昔から決してコミュニケーションが得意ではないのもあるが、普段から家の外に出ない生命体が、こんなにも人が溢れている場所で正気が保てるわけもなく。

 人が多ければむしろ気にならないとかいう人もいるらしいが、俺はこのプレッシャーに耐えられそうにない。

 叔父さんとの約束がなければ、今すぐにでも自分の部屋に帰ってゲームの世界へ逃げ出したいくらいだった。

「まぁまぁ、楽になるまでさすっててやるからよ。それに――」

 カオルは体育館内に備え付けられた時計を見て。

「そろそろ入学式が始まる時間だぜ」

 そう言い終わると、壇上のマイクから「テスト、テスト――」と、女性の声が体育館内に響く。

 ざわついていた空間から徐々に、喋り声が消えていった。

 そして、完全に静かになると、入学式の時間を報せるチャイムが鳴り響き。

 ――俺達、新入生の新たな門出を告げた。

 

 前方にある壇上の上には、先程マイクテストを行っていた黒色のスーツを着た女性の人だった。左目に泣きぼくろがあり、綺麗ではあるが厳しめな印象を感じさせる。

「――それでは、これより二〇三七年度。第二〇回彩空学園入学式を始めます」

 黒色のスーツの女性が厳粛に宣言すると、新入生たちは緊張の面持ちをし始めた。

 俺も何とか最低限でも体裁を保つ為、顔を上げて壇上を見据える事にする。

「我が彩空学園は生徒の自由を重視し、基本的には何をして過ごしても構いません。趣味に時間を費やそうが、遊びごとに興じようが好きにして良いですが」

 そう、それは学校のガイダンスでも教えられた事だ、ここにいる生徒の殆どがそれを目的にこの学校を選んだだろう。

 俺もその一人だ。この学校に入学すれば、どれだけゲームしていても良い。

 この学校の職員の叔父さんもそう言っていたからな。うんうんと独りでに頷く。

「ですが、それには条件があります。これはガイダンスなどでは教えていない内容で、この入学式で初めて告げられるものです」

 黒いスーツの女性がそう零すと――今まで静かに座っていた新入生達が、ここぞとばかりに声を上げて席を立つ。

「ちょっとちょっと! そんなの聞いてないんですけど!?」

「はぁ!? 急に言われても認められるかよ! ノーカンだノーカン!」

「そうよ! 後出しでいきなり条件がある、なんて言われても困るんですけど!」

 などなど、唐突に出された条件に理不尽を感じ、憤った新入生達の文句で再び体育館は喧騒に包まれる。

 俺ももう少し元気があれば席を立って苦情を入れたかもしれないが、残念ながら今の俺はこの騒動を見ているしかなかった。

 カオルはと言えば、特にこの現状に動じるでもなく、静かに前を向いて片手で俺の背中をさすっている。

「静粛になさい、話は最後まで聞くものですよ。それとも、あなた達は騒ぐことしかできないお猿さんなのかしら?」

 ピシャリと黒いスーツの女性が叱ると、渋々と言った感じに騒いでいた生徒達は席に戻るが、その表情からは怒りの感情が拭えていなかった。

「よろしい。では話の続きをしましょうか、先程提示した条件とは――この後、あなた達に配るカードの事です」

「それは表が学生証に、裏には十個の内容が書かれており、それをと呼びます」

「その十個の内容を、この学園に在籍する三年間で達成する事が条件となります」

「ただし、その内容は他人に教えてはいけません。そして誰かに教えたり、故意に除いた場合は非情に重い罰則が与えられるので、注意してください」

「また、三年間で青春任務を達成する事が出来なかった場合や、素行が悪く罰則が上限に達した生徒は、内容は話せませんが、特別なコースに移行してもらう事になります」

 黒いスーツの女性は一通り話し終えると、新入生達を端から端まで見渡し、特に何もなさそうなのを確認する。

「……現状質問などはなさそうですね。もし聞きたい事が出来た場合は、この後にお願いします」

「それでは、学園長としてのお話はこれで終わりたいと思います」

 黒いスーツの女性が美しい動作で一礼する。え、今の女性が学園長だったの!?

 いや、確かに威厳は合ったけど、騒いでいた新入生相手にお猿さんとか言ってたよな。大丈夫なのかこの学校、途端に不安になってきたんだが……。

「次に、新入生代表から挨拶を。新入生代表――彩空あやそら ヒイロ 前へ」

 学園長らしい女性がそう告げて、舞台袖に下がっていった。

 それにしても、この学園と同じ名前の子が代表なのか。この学園の関係者なんだろうか、そんな他愛のない考えが浮かんだり。

 青春任務に書かれた内容はどんなものなのだろうか、この後にあるであろうホームルームの事がぐるぐると頭の中を周って、プレッシャーとなって俺にダメージを与えて来た。

 しかし、そんな思考に浸っていても、呼ばれた生徒は未だに壇上に姿を現さない。

 その異常事態に教師達から僅かながら動揺している様子が窺え、それが新入生達にも伝播し、再び空間がざわつき始める。

 だが、それも束の間。突如として体育館中のカーテンが開かれて、この空間から一切の光源を断ってしまった。

 そして次の瞬間、ダン! と大きな音が壇上から響き渡り、ある一点へと照明の光が収束する。

 そこには――艶やかな黒髪を真っ赤なマフラーで巻き付けて、右手には鈍い黒の光沢を放つ拳銃を上へと構え。

 俺達と同じく真新しい学生服に身を包んだ女子生徒が、冷たくこちらを見渡していた。

 その異様な光景に、体育館内は静寂に包まれ、この場に居る全員が彼女へ釘付けになる。

 「新入生代表の挨拶ね。それじゃあ一言だけ」

 真っ赤なマフラーを身に着けた女子生徒は、体育館中央の天井へと銃口を向け、パァンと発砲した。

 すると、何かに当たったのか、上空から何かがひらひらと舞い始める。

 それを一つ手に取ってみると、赤い蛍光塗料が塗られた紙切れだった。

 「――――悔いのない三年間にしましょう」

 女子生徒は凛とした声で呟くと、何故か口の端を持ち上げて、ふっと笑みを零す。

 そして銃口を今度は正面に向けて、もう一回発砲をした。

 パァンと銃声が鳴り響き、そこで俺の視界はブラックアウトし、意識が途切れる――。

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