第六話後編「取れぬ鼠の皮算用」

「これも、よろしく」


再度ドサっと置かれる紙束に、心底嫌気が差し気持ちが悪くなる。

あと少しと言うところで、彼女は近場の書類を掴み

私の目の前に突き出した。


「はい…わかり、ました」


もうこれで三度目、会社員時代の頃を思い出し、気持ちが悪くなる。

わざと積んでいるのは、あからさまだ。

これも新人イビリの系譜なのだろう。


「あ、あの…」


トラウマが蘇り限界になる。

せめて休憩でもと彼女に抗議しようとした。


「なに?」


彼女は冷たい眼差しで、私の事を射殺す。鋭い針の様なそんな目線で。


「え、えっと……その…」

「なにも無いなら、話しかけないで」


冷たく鋭い目つきで、そんな事を言い放ち

すぐさま作業へと戻っていく。

言いたい事を言わせないのも、職場の同僚を思い出させる。


(……そう思ってくると、なんか)


……無性にムカついてきた。



あの時は、何も反抗出来なかった。

だが今は違う、別に反抗したところで

辞めさせられる訳じゃない、むしろそっちの方が

外に出れるからいいと思える。


(でも、暴力に訴えてもな…)


何か、何か打開策はないだろうか?

手を動かしながら、彼女に一泡吹かせるための、策を考える……。

考えて行くうちにある疑問に辿り着いた。


(そう言えば、なんで皆んなしてイビってくるんだろう…?)


確かに、私は彼女たちからしたら、生意気な新人なのかもしれない。

だがそれだけでいびってくるのは、理由が薄い気がする。

何か気に入らないものでもあるのか……?


(……もしかして)

「あ、あの」

「何?」


彼女はまたあの鋭い目線を私に向けてくる。

少しビビってしまう。だが後には引けない。


「…鼠谷さんは、輪廻さんのこと、どう思ってます?」

「ふん……それ聞いて何になるの?」

「いえその、少し気になりまして……」


もしやと思いそれを聞く。

彼女ははぁとため息を吐いた後、予想通りの回答をしてきた。


「好きよ、文句ある?」

「いえ、ここにいる皆さん、輪廻さんが好きな人多いので…」


そうか……ここの人達はみんな、輪廻さんが好きだから

新人に嫉妬心を得ているんだ…。

そうなれば、彼女に一泡吹かせる為には、報告すれば良いのか。


(でも…直接言ったら、何言われるか……)


だからと言って、紙に書いてしまっては

あの鋭い視線で見れられてしまうだろう。


(どうしたら、気が付かれないだろう?)


一生懸命に伝える方法を、考えながら、書類に判子を押していく。

一枚、二枚…ポンポン、と暫く押して…ふとハンコと書類を見やる。

そして…ハッと思い浮かんだ。


(これなら、きっとバレない筈!)


新しく書類を持ってきて、ポンと判子を押す。

押した後…朱肉が残った判子を、ちょんと一文字に付けた。

本当に少し、バレない程度に付け、次の書類を持ってくる。

同じような作業を繰り返し……

メッセージを込めた一つの書類束を作り上げた。


(きっと、輪廻さんなら……)


尊敬は出来ないが、信頼は出来る人だ。

きっとこのメッセージにも気がついてくれるはず。

それを信じながら、再度積まれる書類を片付けていった。


やっと、全ての書類を片付け、その場に真っ白に燃え尽き倒れ込む。

ふと、窓から目を見やれば、日が落ち真っ暗になっていた。

丸一日、処理していたようだ。

横になっていると、鼠谷が書類をテキパキと整え、

立ち上がり私を冷たい目で見つめる。


「お疲れ、報告は私がやっておく」


そう言って、彼女は書類を持ってこの場を去る。


「さて…と、不安だから、聞きに行こ…」


疲れた体を起こし、ふらふらと歩き、輪廻さんの部屋へと向かう。

前まで来れば、中から声がかすかに聞こえる。

私は扉に耳を当てて、聞き入った。


「おつかれはん、頑張りはったな」

「ありがたき幸せです」


輪廻さんの声と鼠谷の声、また紙を捲る音が聞こえる。

あの書類を見ているのだろう。気がついてくれるといいのだが……。


「桃華はどうやった?ちゃんとやれてはった?」


輪廻さんの柔らかい声で、彼女に私のことを聞いている。

彼女の小さく、ふうとため息を吐いた音が聞こえ

寒冷な声が聞こえてくる。


「少しは、ですね」

「ふぅん…」


ペラ、ペラと紙を捲る音だけが聞こえる。

それ以外は何も聞こえない…。


(…もしかして、わかんなかった?)


心の中に不安が落ちる。

心臓が高鳴り、呼吸が荒くなる。このままではまた…。


「……鼠、あんさん桃華イビリはったね?」

「……はい?」


どっくんと心臓と身体が跳ね上がる。

…一旦ふぅと息を吐き、もう一度耳を澄ませる。


「みてみ?点々と、赤い朱肉がつきはる」

「……確かに、これは…」

「そんで、繋げはると……し・ん・じ・ん・い・び・い・り」


聞こえるは輪廻さんの笑い声と、悔しそうな彼女の声だ。


「あんさんもイビりはったんやなぁ?そないに気にくわんか?」

「いや、ですがそんな、偶然ということも……」

「問答無用、一週間接近禁止ええな?」


その言葉を皮切りに何も聞こえなくなる。

恐らく…真っ白になって凍りついているのだろう。

ほっと、胸を撫で下ろす。

心のモヤが無くなり、トラウマも少しは晴れた。

私は立ち上がり、戻ろうとした時

扉が開かれ中から輪廻さんが出てくる。


「やっぱり、おりはった」

「あっ、えっ…とただ、通っただけで……」

「誤魔化さんでええ……そんにしても、全く頭の回る兎だこと」


くすくすとイタズラっぽく笑いながら、私を褒める。

少し照れていると、彼女は何かを考える素振りをして

私の方を見つめ、ある提案をしてきた。



「桃華、明日あての紅を、作って欲しいんよ、ええな?」

彼女は色っぽく、自身の艶やかな唇を指さした。

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