第六話前編「取れぬ鼠の皮算用」

「…はっずかしいぃ……」


自室のベッドの上で、朝日を浴びながら、昨日の事を思い出す。


「いくら感情が溢れたからって…泣くのはないでしょ……」


感情が溢れて、輪廻さんの前で、泣いてしまったどころか

あれだけ恐怖を感じていた女性に、慰めてもらったのだ。

一夜たち、朝目覚めたところで、恥ずかしさが溢れていく。


「う…ヴぅぅぅ……」


恥ずかしいが仕方ない。あきらめて今日の仕事へと向かおう。

私はベッドから起き上がり、化粧をしに鏡の前へと座った。

化粧水を付け、パウダーをはたこうとしたところで、ある事に気が付いた。


「……なんか、だいぶ肌綺麗になってるような…」


会社員時代からは、考えられないくらいに、

かなり綺麗に艶やかになっていた。

ハリもあり、毛穴も綺麗になっている。


「…やっぱり、化粧水とかがいい物だからかな」


支給されている物は、かなり高い物ばかりだ。

きっとそれのせいだろう、嬉しさを隠しながら

顔を整え、仕事へと向かった。



輪廻さんの部屋まで向かう。

今日はどんな仕事を、言い渡されるのだろうか?

そんな事を思いながら、襖の扉を叩く。

暫くして、入りという声が聞こえた。


「失礼します…」


襖をあけ中に入れば、きっちりと着付けした着物を

身に着けている彼女が、そこには居た。


「おはようさん、ようさん寝はった?」

「は、はい、とても眠れました…その…昨日はすみません」

「ふ、ええよ、辛い事だってあるさかい。気にせんでええ」


彼女は、自分の化粧を整えながら、そう話してくる。

化粧もかなり整っており、美しさに極みが掛かっていた。


「ありがとうございます……お出かけですか?」

「せや、少し話さんといけん相手がおりはってな」


彼女は自身の身だしなみを整えながら、何かを考える素振りをする。

暫く考えたのち私に向かって仕事内容を話してきた。


「今日は……せやんねぇ、経理の方、手伝ってやってや」

「経理……ですか?数学苦手だったのですが……」

「ま、書類整理、判子押し、とかならええやろ?」


それくらいの雑用だったらと、こくりと首を頷く。

彼女はにこりと微笑んだ。仕事場の位置を、教えられ

言われた場所まで向う。襖を開け中を見れば、広がっていたのは紙の海だ。

そこらかしこに広がる紙束と、腰丈まで積まれているファイルや紙の束。


(わ…凄い量)


足を踏み入れ、回りを見渡す。

どこらかしこも紙束だらけで、前の職場を思い出すような感覚に包まれる。

少し気持ち悪くなる中、部屋の中央で作業している女性を発見する。


机の上にある大量の紙束を、テキパキと裁く女性

しわのないきっちりと着飾った着物

丁寧に整えられた白い美しい肌、丁寧に整えられたまつ毛

藍色の瞳と少し釣り上がった、目を強調するアイライン


目尻の赤いアイシャドウにはラメが混ざっており、他と違った美しさを感じた。

髪の毛も綺麗に整理されており枝毛一本もなさそうな、

シアンブルーのウルフカットが、美しさとかっこよさを強調している。


その女性は、机の上の作業を一度とめ、私の方を見つめる。

メガネ越しではあるが、きりりとした冷たく凍るような視線を向けた。


「どうも、やるならこっちで」

それだけ言うと、冷ややかな目線を手元へと戻す。


「あ、は、はい」


確か、この人は昨日輪廻さんと、話していた女性だ。

とても冷静で氷の様なイメーいを受けたが…いつもこのような感じなのか。


「し、失礼します」

恐る恐る、彼女の前へと座り込む。


「えっと、兎沙美です、書類整理とか頼まれたのですが…」

私がそう言うと彼女は、紙の束と判子を渡してくる。


「この書類に、これを押すだけ」

「えっ…は、はい…」

「私は鼠谷、よろしく」


それだけ言うと鼠谷という女性は、自身の作業へと戻っていった。


(話辛いなぁ……)


まぁでも、作業するだけだし、話すことも無い。

私は言われた通りの作業を始めた。


最初は簡単だった、ただ押せば良いだけだからだ。

普通の事務作業となんら変わりない。


(これなら、いつもやらされてるのよりはマシじゃん…)


洗濯や掃除などの重労働よりも、ただ淡々と印鑑を押すだけの作業は

全くもって苦ではない。これならすぐにでも終わるだろう。


しかし…途中から印鑑を押す場所が変わったり

ペンでチェックを入れたり、書類を二分割しないといけないなど

渡されてやる事が多くなっていった。


「あのこれは……」

「これをこうして、それだけ」


新しく増えた書類の処理を聞けば

淡白で冷たく言葉を返す彼女に、少しムッとなる。


(まぁ…やり辛いけど、あと少しで終わるし…)


自分の手元には、あと少しとなった紙束がある。

あと数十枚と、言ったところだろう。さっさと終わらせて、お昼へ……


そう思っていた瞬間

私の目の前にかなりの太さの紙束が、ドンッ、という音と共に、置かれた。

ピシリと真っ白になり硬直する。目線だけ上の方に上げれば……

鼠谷、彼女が、冷たい目線でこちらを見つめ、大量の紙束を置く。


「……あ、あの」

「これも、よろしく」

「あっ…はい、わかりました」


いいえと言わせない様な、冷たく威圧的な目線に、

どうしようもなくはいと言ってしまう。


…今までの傾向と、猪狩の忠告からして…

もしかして、そんな嫌な予感が過ぎる。

だが、確証が出来ない、偶然…と言うことも……

そんな事を考えながら、目の前の作業を進めた。


この嫌な予感が的中する事も知らず。

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