第五話後編「甘く立ち上る煙」
「母は、とてもええ人やった、慈愛に満ちていて美しい人やった」
彼女はそう言って、咥えていたタバコを手元へ移す。
「あてらに、分け隔てなく愛情をくれはった。時には叱る事も」
「よくあては怪我をしてた。
母はよくこれを出して、あてに手当してくれはった」
そこまで言うと、彼女はもう一度タバコを吸い、吐いて話を続ける。
「ある日、母が病で倒れはった。如何にかしようと皆でしはってたけど…」
ギリリと音を立てて、歯軋りをする。その顔は怒りの形相だった。
「母はクソに捨てられた…」
「……お父さんに?そんな病で倒れたからって…」
「不治の病やったから、クソは金がかかりはると言って……」
またギリリと歯軋りをする、いつもの冷静さは無く怒りが露わとなっていた。
「…あてはクソに引き取られた。有無を言わさず組の跡取りと言って…」
「……この組は、引き継ぎで?」
「違う、これはあての組」
ギッと凍てつく様な目線で睨まれる、心臓を鷲掴みにされた様な感覚。
だがすぐに彼女は目を丸くして、はぁとため息を吐いた。
「ごめんなぁ、少しカッとなり過ぎてしもてた」
「い、いえ…それで、組を自分で立ち上げたんですか?」
彼女はこくりと頷き、言葉を続ける。
「猿どもしかおらん組に、何の価値もあらへん」
「あてが居たところは、だれも彼も、汚い男ばっか」
「あての体目当ての、さかってくる猿、組を奪おうと近づいてくる猿、
そんなんやからすぐに家出しはった」
……なるほど、彼女が女性が好きなのは、
そう言う理由が……心の中で納得する。
「あては自分の手で、この組を、あての城を築いた。
あての気に入った奴しかおらん城を」
そう言って、また彼女はタバコを吸っていく。
「あらゆる賭場荒らして、半グレどもを黙らせて、好きな女手に入れて」
「つまり、ここが理想郷?」
「せや、理解が早いなぁ桃華」
この組は、彼女の理想郷、彼女の夢そのもの。
確かにそれなら、私の借金を全て払って、
尚且つ離さない理由も……多少はわかる。
「……桃華も、ええ女やから」
「…私なんて、別に……」
卑屈な事を言おうとすると、口に無理やりタバコを突っ込まれる。
眉間に皺を寄せつつ、煙を吸い込む。
二回目となれば慣れて味がわかる様になった。
「…いつも、卑屈言おうとすると、無理やり止めますよね」
「せや?あてが好きな女が、自分を卑下する事は許さへんからな」
顔色ひとつ変えず、そう宣言する彼女に、
その手には乗らんぞとむっと顔をしかめる。
「ふ…全くかわええなぁ」
「ぐ、ぐぐぐ……こ、このぉ!!」
ポンと彼女を押し倒す。
なすが儘に倒れた彼女に乗りかかり、顔の横に両手をドンと、床ドンをする。
「私だって、おうちに推しが居てですね!」
彼女は、それを聞いてじっと私の目を見つめて、顔に手をあてる。
「ほんなら、あてを推しにしはったら?」
そういたずらな笑顔で提案してくる。
「わ、私は別に、恋愛対象男ですし!それに○○くんは、
会社員時代の私を、支えてくれた心の支えで……」
彼女は何も言わず、じっと見つめてくる。私の頬をゆったりと撫でながら。
「ほんで?」
「それで、とっても良くって、性格もかっこいいし、病んでた私を助けてくれたのも、彼ですし…まぁ、それのせいで借金しちゃったんですが……」
「そないなくらい辛かったん?」
「そうですよ!毎日残業だし、上司はセクハラしてくるし、
同僚は仕事押し付けてきて、さっさと合コン行ったり……」
「後輩は指示待ちだったし……」
会社員時代の事を、つらつらと言葉に出すだけで、どんどんと気分が沈んでいく。
気持ちが溢れてきて、涙として溢れていく。
一滴、二滴と彼女の顔に落ちていく。
ボロボロと涙が溢れ、彼女の顔へと落ちていく。
「うっ……うぅ…」
彼女は落ちる涙を拭くこともなく、優しい瞳で私を見つめる。
暫くして両手を私の胴体へと回すと、そのまま優しく抱き寄せた。
ぎゅっと優しく抱きしめられ、頭を後ろから撫でられる。
ただただ何も言わず、泣き崩れる私を、優しく抱き留めていた。
「うわぁぁぁ……辛い……辛い……」
「…もう、辛い思いはさせへんよ」
「うっ……うぅっ………」
「ほら、ほら、泣かへんの」
彼女は私を抱き寄せたまま、起き上がる。
頭を撫でながら、優しい声で慰めてくれる。
「こんなべっぴんはん、泣かせた奴はゆるせへんなぁ」
「ぐすっ……」
落ち着いた私は、暫く彼女の慰めを受けていた、とても心が落ち着く。
ふわふわした感覚が、私の全身を包む。
そう、推し活をしてる時と同じような、幸福感を。
「……ありがとうございます」
そう言って、彼女から離れる。
彼女の顔を見れば、私の涙で化粧の一部が溶けて、ドロドロになっていた。
「もうええの?」
そんな事は気にもせず、私の事をじっと見つめ、にっこりと微笑む。
「…はい、すみません…化粧も崩してしまって……」
「そんなええの、あんさんの気持ちが晴れば、そんでええ」
彼女はまた私の頬に、手を添えると、ゆっくりと撫でおろしていく。
猫を撫でるような、ふわふわとした感覚が、心を満たした。
暫く撫でたのち、彼女は机の上に置いてあったタバコを手に取り
再度渡してくる。
「それ吸いはって、心落ち着かせ」
私は、彼女からそれを受け取り、口へと運ぶ。
優しく唇で挟み、ゆっくりと吸い込んだ。
甘い煙が、私の気道を通っていき、心を癒していく。
肺も満たされたところで、ふぅ……とゆっくりと吐き出した。
「……やっと、美味しいと思いました」
「…ふ、ええやろ?…あても貰いはるよ」
そう言われ、彼女へタバコを渡そうと前に出した。
彼女はそれを、手に取るふりをして
そのまま私の頬へと手を添え、顔を近づけて、唇を重ねてくる。
「……んぅっ!?」
すぅと彼女は私の口を吸い、パッと顔を戻した。
驚き口を手で押さえ、背をのけぞる。
「ま、また!!もう!!」
「一番これが美味いからなぁ?ふふふっ」
いたずら気味に笑う彼女に、ムッとしながらも、何故か、何故だろうか?
この間はあれだけ怖いと思ったのに、今はとても安心感を感じたのだ。
****
「よろしいでしょうか?」
びくりと体が跳ねる、誰かがいきなり、声をかけてきたのだ。
「……鼠、あんさんいい趣味してはるなぁ?」
声の方を見れば、そこには眼鏡を付け、シアンブルーの短髪
きっちりと着飾った着物を着た女性の方だった。
手にはノートパソコンを持っている。
「いえ、定期報告の時間でしたので」
声のトーンを一つも変えず、パソコンの画面を見せている。
一体この人は、誰なのだろうか?そんな事を考えながら
ただただ二人を……見つめていた。
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