親愛なるショーペンハウエル

斉藤詩延

ようこそ素晴らしき世界へ

十年以上の付き合いがある友人が子を産んだ。予定よりも少し早かった。午前四時、無痛分娩とは名ばかりの陣痛に耐えて。


私がいまだにモラトリアム期のような悩みを抱え、生きる意味とか、狂った秩序の正当さを文学や哲学に求めている間に、彼女は現実に目を向けて頑張った。

我が子への温かい眼差しと、小さな腹に手のひらを当てる仕草は母親そのものであった。


世の中の母となる人物は偉大だ。

女だからと言って皆が母になれるわけではない。



年齢のせいだろう。

どうしても内省的に考えてしまう。

私はその痛みに耐えられるのか、耐えたとて育てることができるのか。


もしくは、子を持たぬことを後悔しないで生きていけるのか。一人寂しく死んでいくことを後悔しないのか。



生誕、ああ、生誕とは恐ろしい。

なにも産まれる子に苦しみを与えるからではない。私の身に起こることが恐ろしいのだ。

私が男だったらどれだけよかったことか!


尋常じゃない痛みを覚えること、それから待ち受ける不自由な生活。私はあまりにも恐れているせいで、アンチナタリズムに手を出し、自らをどうにか納得させ正当化させているのだ。なんとも矮小で、か弱き人間である。


それに比べて母なる女の何と偉大なことよ。

まず私には母になる覚悟がないのだ。母になりうる素質が揃っていない。自分のことだけしか考えていない。30年も生きてきて!


いや、違う。

30年、他人の動向ばかりを気にしてきたせいだ。私は30年目で初めて自分に目を向けた。


どうだ?今、お前は何を考えている?


正直に言おう。

子供が欲しい。けれど出産はしたくない。


なら、どうすればいいかは明確だ。

選択すること。

結局人は、どちらかの痛みを覚えねばならぬのだから。



ほーらみろ。

今は友人が母親になったことを祝うべきだし、生まれてきた命を祝福すべきなのだ。なのにお前ときたらどうだ。脳内に浮かぶのは全部自分のことである!!



震えが止まらない。

この恐怖は出産による痛みを想像したせいか、それとも死に際に一人でいることを想像したせいか。いのちのバトン。その言葉がずっと嫌いだった。そんな重いバトンを持つのはいつだって女だ。


思考停止。

心臓だけが動く時間。

生きるとは。死ぬとは。

ノリと勢い。狂ってる。

この世界はノリと勢いでできている。


狂ってる。





けれど彼女が正しい。正しいんだろう。

人として、女として…いや、ムカつくな。この結論はやはり納得がいかない。




いや。何はともあれだ。

まずはおめでとうなのだ。

そう、おめでとう。


彼女は耐えた。

痛みにも、未来に目を向けることにも、これから起こりうる困難の想像にも。



そもそも結論なんて出すことはできない。

人が人を産み、産まないという決断に何を以って納得するべきか。そんなもの誰もわかっちゃいないのだ。


しかし、友人のおかげで一つの答えは導き出せた。これは疑いようのない、何よりも確かな事実である。



生命の誕生は、おめでとうなのだ。



わかったかい、愛しのショーペンハウエル。

ああ、生誕について耳触りのいいこと言ってたから危うく信用するところだった。


ようやく理解ができた。

初めて君を否定しよう。


いいかい。

生まれてくる生命は、すべからくおめでとうなのだ。



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親愛なるショーペンハウエル 斉藤詩延 @shinamiz

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