56. 想い

 結婚祝いの後、皆が寝静まった……いや、そんな綺麗な言葉はふさわしくない。酒の飲み過ぎで寝落ちした面々。彼らはそのままにヒルデは湖の前にいた。


 風もふいていない静かな夜だ。呪いが解けた湖……解呪前も後も何も見た目は変わらない。湖の周りも特に乱れはなく戦いが行われたとは思えない。まあ湖の中でどんちゃん騒ぎをしていたのだから当たり前だが。


 ヒルデは身をかがめるとそっと指で湖にふれる。波紋が起き、湖にうつった月の形が崩れた。そして、ヒルデの姿は消えた。5秒後再び同じ場所に姿を現したヒルデの手には髑髏があった。


「……あなたとの約束は果たしましたよ……」


 髑髏を撫でながらヒルデはぽつりと呟いた。その目には解呪できた嬉しさ、喜びはない。空虚だ。


「あなたは怖がりながらも死を覚悟していました。あなたの願いは息子、いつか生まれてくる孫たち、更にその先に生まれてくるお子たちを助けてほしい……そういうことでしたね」


 そう……彼の願いはいつだって、彼の息子にむけられたものだった。自分に向けられたのは解呪の道具の役割としての視線。それが、嫌だったわけではない。食事も外出もたくさん一緒にした。当たり前のことだった。しかし、彼の目にはいつも残念な気持ちが目に宿っているのを彼女は知っていた。だって、彼の側にいたのは息子じゃなかったから。


 トーマスに対しては、いつも羨ましいと感じていた。親に大切に思われて、でもどこか申し訳無さも感じていた。親子の時間を奪ってしまっているのではないか?と。自分がこんな力を持っていなければ……彼に見つけられていなければ……例え短い時間だったとしても仲の良い家族としての時間を過ごすことができたんじゃないか……と。


 そう思うたびに、それは違うと自分で打ち消してきた。彼はずっと彷徨っただろう。そして、何も出来なまま呪いに殺されていただろう。解呪できる可能性のある自分と出会えたことで彼には希望ができたのだから、良かったのだ。そう思うようにしていた。


 でも、どこか悲しかった。彼は希望を持っていた。子供が助かるかもしれないと。けれど、彼はいつも自分のことは何も言わなかった。いや、言わないようにしていただけ。本当は自分も助かりたい……息子と過ごしたい……そう思っていた。言葉にしたことはないけれど別ごとで当たられたり、罵られたことはいくらでもある。でも彼女のまえで生きたいと口にしたことは一度もない。


 自分のことは諦めていた。諦めなくてはいけないと思っていた。人とは勝手なものだ。自分を助けろ!と言えばよかったのに……。彼は一度も言わなかった。口にしてしまえば、枷になるとでも思ったのだろうか。

 


 ヒルデはあまりにも幼すぎた。もうあと数年、早く生まれていれば可能性もあったかもしれないが、時間がなかった。

何歳で呪いが発動するかわからないが、長くもったほうだった。


 未だに彼がなぜ自分を助けろと口にしなかったのかわからない。道具のはずの自分に……。助けろ、と言っておいて助けられなかったらヒルデが傷つくと思ったのだろうか……。


 わからなかった。わからなかったから、彼女は勝手に決めた。彼も助ける……と。8歳のときのことだった。


 それから2年後、ときが来た。できると思ったが、動かなかった。呪いを見たときに、無理だと悟った。まだはやい……と。彼の望みは子供を助けること、今動けば叶えられない。


 彼女は心で泣いた。後ろで先王……いや、当時は王がいるのに気づいていたから。心の涙で、彼も助けるという覚悟を洗い流した。


 最後に見た彼の表情は無だった。呪いに操られているのだから当然なことだった。でもまだ完全に操られる前に自分に向けられる視線は恐怖一色だった。それでも彼は助けろとは言わなかった。


 そうか、彼女は悟った。彼の心は最後まで息子への思いでいっぱいだった。少し笑えてしまった。解呪するという約束を守れという最後の言葉。彼はヒルデを縛った。必ずやり遂げろと……それは彼からの自分の命をかけ呪いを解けというメッセージ。自分は彼の息子を助けるための道具なんだと改めて悟った。


 そこまであなたが道具としてしか見てくれないなら、道具として必ず成し遂げてみせようと思った。将軍になり、名声も得た。捨てることはなんとも思わなかった。だって、自分は道具。道具に心はいらない。必要なのは金だけだった。


 トーマスに初めて出会ったとき、目を見張ってしまった。彼と似た顔でありながら表情豊かで、単純な彼に。ああこれを守りたかったんだな、と思った。死の恐怖のないごく普通の顔。この男爵家に生まれなければ普通に手に入れられたもの、しかし、他の先に生まれた男爵家のものには得られなかったもの。


 ここには平穏があった。呪いのことなどなにも知らない、すぐそこに呪いがあるのに、平穏だった。不思議だった。

トーマスもミランダもアイルも人使いがかなり荒かったが、なんというのか……心があった。

 

 彼にも、王宮にいるものたちもどこかピリピリしていた。彼には死の恐怖。王宮のものたちは権力争い……上の者たち下の者たち……ほんの些細なことで人生が狂ってしまう可能性があったから。孤児院もピリピリしていた。院長の機嫌を損ねないように……、空腹に……。


 仕事はたくさんあるし、いくら働いてもお金にならなかったけれど、どこか優しい空気がここにはある。アイルとミランダは呪いのことを知っているようだったが、穏やかだった。そうあろうとしていたからかもしれないが。とにかくここは居心地がよかった。


 だから、呪いが現れたとき彼との約束もあったが、この穏やかな場所を奪わせない、という強い思いもあった。


「あなたはそれをわかっていたのでしょうか?」


 陛下に戻ってくるかと言われた。

 でも、戻るとは?と思った。

 私はもうすでに戻って来た。

 湖の底からこの穏やかな場所へ。


 無論、断った。だって、自分はここが気に入ったから。


 彼はいつだったか、言っていた。いつか、男爵邸に行け、と。


 そのときはそりゃあ、解呪しに行くがなと思ったが、違ったのだろう。男爵邸に行けば、私が穏やかな生活を手に入れられる……という意味だったのだろう。


 つまらないから……と、解呪に協力した自分。力を持て余した自分。でも、普通の生活を夢見ている気持ちが隠れていることを彼は気づいていたのだ。彼は自分のこともきちんと見てくれていたのだ。


 すっと頬を涙が伝った。


「今気づきましたよ。あなたはちゃんと私も見ていてくれたんですね……。でも……なぜなのでしょうね?解呪もした、あなたの気持ちも見えた。とってもうれしいはずなのに……。嬉し涙が流れません」


 そう、これは嬉し涙でも、やり遂げたことに対する涙でもなかった。


「私はあなたに生きていて欲しかった……!」


 そう、解呪したときに隣にいてほしかった。ハイタッチして、抱きしめあって、解呪の喜びを分かち合いたかった。


 それが彼女が一番望んでいたことだった。


 ここに飛び込めばあの世でそれが叶うのだろうか。


 しかし、それはしない。


 だって彼女は新たに心に決めたことがあったから。


 そう、やらねばならないことがあったから。

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