二十五、秘術

 ──まただ。以前はこの夢をよく見ていた。

 鬼火が揺れる暗闇の中に立っている夢。足元の水面に反射する自分は、妖魔王の姿に変わっていた。

 妖しげな鬼火は宵珉シャオミンの周りにまとわりついて、逃げ場を遮るように円を作っている。


 そして、『解放しろ』とでもいうように体内に巡る魔力が熱く疼くのだ。


「妖魔王! 悪いが、俺が器に転生した以上おまえを復活させる気はないぞ! 恨むならカミサマを恨むんだな!」


 宵珉シャオミンはビシッと指を立てて大声で叫ぶ。

 すると、全身を縛り付ける熱の膜はゆるゆると剥がれ落ちていき、呼吸が楽になっていく。


 宵珉シャオミンは自分の両手を見つめる。


『"宵珉シャオミン"がこの魔力をコントロールするんだ。いいね』


 汪澄ワンチェンの忠告を思い出す。

 宵珉シャオミンが修行を経て、強くなるにつれて魔力の動悸も頻度が少なくなり、この暗闇の夢を見る回数が減った。自分の霊力で魔力を抑え込むことができるようになってきているのだろう。


 この調子でいけば、宵珉シャオミンとしての意識を保ったまま、魔力を使役することも可能かもしれない──。


◇◇◇


 夕暮れ時。宵珉シャオミン苓舜レイシュンの部屋に駆け込み、祈るようにパンッと両手を合わせて頭を下げた。


「師兄、いきなりですが師兄の術を俺に授けてくださいっ!」


 昨夜は言い訳をあれこれ考えていたが、結局正直に苓舜レイシュンに泣きつくことにした。考えすぎて深夜テンションを引き継いでいる。


「秘術?」


 突然のことに苓舜レイシュンは目を瞬かせ、首を傾げる。


「えーとあれです、"滅火の術"です! この術を教えていただきたいです!」

「滅火の術……私が父から受け継いだ仙術だ。なぜ知っている?」

「えーと……」


 疑わしげな苓舜レイシュンに、宵珉シャオミンは誤魔化すように微笑む。


(それは俺が作った術だから……とはいえないな)


「あーえーと、ちょっと小耳に挟んだというかなんというか……師兄お願い!! 俺に教えてください!!」


 怪しむ苓舜レイシュンをぐっと上目遣いに見て、気合いで押し切ることにする。

 いつになく切実な宵珉シャオミンの様子に、苓舜レイシュンは狼狽えているようだった。


「そうだな……君に武器を譲った時も強い術を教えて欲しいと言っていた。金丹ができてからと思っていたが、君は特殊だからな」


 そして、苓舜レイシュンは少し考える素振りを見せた後、「いいだろう」と頷いた。


 宵珉シャオミンは「ありがとうございますっ!!!」と喜ぶ裏腹、心の中で頭を抱える。


(チョロい!! チョロすぎる!!!)


 でもそれだけ、自分のことを信頼してくれているのだろう。それは嬉しい。


宵珉シャオミン、そこに座りなさい」


 苓舜レイシュンに促され、宵珉シャオミン苓舜レイシュンと向き合う形で正座する。


「いいね。リン派の蒼炎を扱う術とは異なり、炎を滅する術だ。この術は特殊な効果を持っており、例えば……火狼族などの核を破壊することができる」

「火狼族……」


 宵珉シャオミンはドキリとする。

 火狼族とは餐喰散サンハンザンの一族のこと。まさに奴を倒すために、今こうして頼み込んでいるのだ。


「まずは君の霊気の流れに合わせて、私の霊気を送り込もう。目を瞑りなさい」

「はい」


 宵珉シャオミンは言われるがままに目を瞑る。

 すると、苓舜レイシュン宵珉シャオミンの胸と肩にそれぞれ手を添えて、そこに自身の霊気を灯した。手の周りにぽうっと霊気が纏われる。


 原作でも同様にして、苓舜レイシュン華琉ホァリウに霊気を送り込むのだ。修仙者が他の修仙者の身体に触れ、意識的に体内から体内へと霊気を注ぐことができる。

 これにより、治癒、仙術や知識の伝授など霊的な結び付きを作ることができるのである。


(リラックス、リラックス……)


 苓舜レイシュンが霊気の流れを作りやすいように、宵珉シャオミンは目を瞑り瞑想のように精神統一をはかる。


 しかし、十秒ほど経った後、苓舜レイシュンは手を離した。


「……宵珉シャオミン、全身の力を緩めることはできるか?」

「え?」


 宵珉シャオミンは首を傾げる。

 緊張してはいたが、強ばっていた自覚はない。むしろ、霊気を受け止められる体勢を整えていたつもりなのだが。


「ふむ……これも妖魔王の力なのだろうか。霊気の道が固く閉ざされている。他人の侵入を警戒しているのだろう」

「えっじゃあ俺は無理ってことですか!?」

「いや……他にも案はあるのだが……」


 苓舜レイシュンは微かに顔をかたくして、続きを言い淀む。

 対して、どうしても伝授して貰いたい宵珉シャオミンは、身を乗り出して懇願する。


「なんでも大丈夫です! お願いです!」

「……わかった。嫌だったら私を殴りなさい」

「なぐ……?」


 苓舜レイシュンは頷くと袖を払い、向かい合う宵珉シャオミンへと一歩近づく。さらりと流れる横髪を耳にかける仕草がやけに艶っぽい。


 そして苓舜レイシュンは、真剣な表情のまま宵珉シャオミンの顎先に手を添えて、ぐっと上に持ち上げた。


「へっ!?」

「静かに。もう一度目を閉じて」


 苓舜レイシュンは低く囁いた。切れ長の蒼い瞳が間近に迫り、宵珉シャオミンはぽかんと小さく口を開いたまま混乱する。


 突然、苓舜レイシュンの雰囲気が変わったような気がした。


(ん、んんん???)


 何が起こっているのか分からないが、とりあえず指示通りに瞼を伏せる。


「っ!?」


 その瞬間、宵珉シャオミンの唇に暖かいものが触れた。苓舜レイシュンに口付けられたのだ。


(あ、案ってそういうこと!?!?)


 かぁっと顔に血が上り、思わず目を開けてしまいそうになる。だが、これは修行の一貫だという理性のおかげで宵珉シャオミンの動揺は脳内だけに収まった。


 苓舜レイシュンが口付けを通して息を吹き込むのに合わせて、彼の霊気が体内にドクドクと注がれるのを感じる。


 そこには、彼の修行の蓄積や仙術の知識などが凝縮されていた。宵珉シャオミンは自分から願い出たことなのに、勿体ないと思ってしまう。


 数十秒が経った後、苓舜レイシュンはそっと唇と顎に添えた手を離し、「これでいいだろう」と囁く。


 宵珉シャオミンは火照った顔で瞼を持ち上げる。実際の時間よりもとても長く感じられた。


「これで、私の霊気に記憶された術の型や知識は、既に君の中に取り込まれたことになる。あとは他の術と同じように修行を積んでいけば、"滅火の術"を使いこなせるようになるだろう。ただし、この術は霊力の消耗が激しいから、一度の戦闘につき一回だけにしなさい」


 苓舜レイシュンは動じない表情で宵珉シャオミンを見つめる。


「わ、わかりました。ありがとうございます……」


 しかし、宵珉シャオミンは目を合わせる事が難しくて、俯きがちにお礼を言う。


(なんで苓舜レイシュンは平然としてるんだ!? あーやばいやばいどうしよう俺しぬかも……)



「すまない。こうすれば、直接霊気を送り込むことができると思ったんだ」

「あ……いえ! 助かりました! 全然嫌じゃなかったですしむしろありがたいというか……って何言ってんだ俺!」


 宵珉シャオミン苓舜レイシュンの腕を掴んで引き止める。

 ひとりで顔を赤くしたり青くしたりする宵珉シャオミンに、苓舜レイシュンは困惑する。


「師兄のおかげで寿命が伸びました! ありがとうございますっ!」

「ああ……」


 宵珉シャオミンがバッと頭を下げると、苓舜レイシュンはほっとしたような表情を見せた。


(これで餐喰散サンハンザンを倒す準備は整った! あとは洞天仙会を迎えるだけだ。いやもう、めちゃくちゃびっくりしたけど……)


 苓舜レイシュンにバレないように、ぎゅっと胸を抑えて深呼吸する。

 前世から情事に縁がなかった宵珉シャオミンにとって、これがファーストキスなのだ。妖魔王に初恋をした幼い苓舜レイシュンも同じような気持ちだったのだろうか。

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