二十二、師尊

「んんん、寝れない……!」


 枕に頭を委ねて、はや虎の刻。

 布団の上で何時間経っただろうか。最悪なことに目がギンギンに冴えている。昨日起きた色々なことが重なって、寝付けないまま日を跨いでしまった。


「こうなったら徹夜だ。散歩でもしよう」


 宵珉シャオミンはのそりと布団から抜け出して、苓舜レイシュンの部屋から静かに出ていく。


 外は日が昇っておらず、深い紺色の空に覆われている。弟子たちが起き出すまでまだ一、二時間ある。

 宵珉シャオミンは音を立てないようにして宿舎の中庭を目指して廊下を歩いていく。


(この仙郷が俺の故郷になるなんてな)


 しょうもないことで死に、思いもよらない世界に転生する。本当に、人生は分からないものだ。


「おや、寝覚めが早いね。それとも眠れなかったのかな」

「!?」


 勾欄に凭れて月を眺めていると、横から声をかけられる。驚いてその方向を見ると、背の高い男が立っていた。

 男は穏やかな笑をたたえて、宵珉シャオミンを見つめている。小ぶりの冠で髪を纏め、耳朶には銀色の耳飾りが。切れ長の目は柔らかに細められているが、柔和そうに見えて鋭さを持ち合わせている男だった。


「ふふ。君はわたしの新しい弟子だね」

「えっ」


 雰囲気からして只者じゃない。リン派の中でも最も濃い紺色の深衣、浮世離れしたオーラ。

 宵珉シャオミンはこの男を知っていた。


「も、もしかして、師尊ですか……?」

「いかにも。ちょうど中夜に天郷での修行を終えてね。驚かせようと忍んできたのだけれど……どうやら君にはバレてしまったみたいだ」

「すみません……」


 反射で謝ると、男は「構わないよ」と言ってくすりと笑う。


(この人こそ、リン派の師尊・汪澄ワンチェン……! そういや、ちょうどこのタイミングで帰ってくるんだった)


 宵珉シャオミンはまじまじと男──汪澄ワンチェンを観察する。

 汪澄ワンチェンは仙界の中でも名を馳せる実力者。英明であるが変わり者だと噂されている。


(俺、汪澄ワンチェンもお気に入りなんだよな〜)


 飄々としていてミステリアスな感じがかっこいい。それでいて、特定の人──原作ではイェン派の師尊等──の前では人並みに動揺したり拗ねたりと子供っぽい一面を見せるというのがまた良いのだ。


「君は宵珉シャオミンであっているかな。合格者の名と顔は伝え知ってるんだ」

「はい! 宵珉シャオミンです! お会い出来て光栄です……!」

「こちらこそ。わたしは汪澄ワンチェン。君たちが入ってくる前に帰還しようと思ってたのだけど、長引いてしまって。苓舜レイシュンには任せっきりで悪いことをしてしまった」


 汪澄ワンチェンは申し訳なさそうに眉を下げて、苓舜レイシュンが居るであろう宿舎の中に視線を向ける。


「ところで、宵珉シャオミン

「はい」


 再び向き直った汪澄ワンチェン宵珉シャオミンの傍に近づき、ぽんと肩に手を添える。

 そして、汪澄ワンチェンは変わらず微笑んだまま問いかける。


「その胸の中にある魔力は一体どういうことかな? かなり上手く隠してあるから、担当の弟子たちにもバレずに入門できたのだろうね」

「……っ!」


 鋭い刃で突かれたように、宵珉シャオミンの心臓がドクリと跳ねる。


(なんで……汪澄ワンチェンともなれば一目見ただけで分かるのか……?)


 逃げられない。緊張に身体を支配される中、何か言わなければを口を開く。

 その時、宵珉シャオミンの背後から「師尊」と呼ぶ声が降ってくる。


「師兄……!?」

苓舜レイシュン、久しぶりだね。おまえも眠れなかったのかい?」

「いえ……」

「長い間ここを守ってくれてありがとう。評判は聞いているよ。流石苓舜レイシュンだ」


 突然苓舜レイシュンが現れ、汪澄ワンチェンから宵珉シャオミンを隠すようにして立つ。

 彼は宵珉シャオミンを一瞥した後、まっすぐ汪澄ワンチェンを見据えた。


「その子を庇うようにして立つということは、おまえも魔力のことは知っているみたいだ。各仙狭との契りを忘れてはいないだろうね」

「もちろんです。ですが……この子は魔道などではなく複雑な事情があるのです」


 苓舜レイシュンはそう言った後しばし沈黙し、数時間前に宵珉シャオミンが彼に語ったことを汪澄ワンチェンに話し始めた。

 宵珉シャオミンは話題の当の本人であるのに、二人の間に立ち入ることができず、やり取りをじっとうかがっていた。


「おまえが一人の弟子に執着するとは珍しい。いいよ、我がリン派は宵珉シャオミンを歓迎しよう。フフ、真実はどうであれ妖魔王の器だなんて、面白いじゃないか」

「えっ、俺を捕えないんですか……?」

「まさか。わたしは苓舜レイシュンを信じるよ。ハハ、リン派の師尊が知ったらどんな顔をするかな」

「はぁ……」


 宵珉シャオミンの不安とは裏腹に、秘密を知った汪澄ワンチェンはくつくつと愉快そうに笑った。


(ええーっ、そんなノリで許されるのか!? バレたらどうしようって俺の心配はなんだったんだ!)


 拍子抜けした宵珉シャオミンは、全身の力が抜けるのを感じて息を吐く。苓舜レイシュンもほっとした様子だ。


 汪澄ワンチェン苓舜レイシュンの横を歩き、宵珉シャオミンの傍に寄る。そして、宵珉シャオミンの胸に手を添えた。


「わたしや苓舜レイシュンだから良かったけれど、他の仙門──特にイェン派と北峰の者たちにバレたら君は終わりだ。たとえ、妖魔王の力があったとしても完全でない以上、消滅する可能性だってある」


 汪澄ワンチェンは目を瞑って手に力を込めながら、宵珉シャオミンに釘を押す。


(秘魔の紗が硬く、厚くなっていく……)


 数十秒が経ち、汪澄ワンチェン宵珉シャオミンから手を離した。


「これでしばらくは大丈夫だろう。ここにいる分にはいいけれど、君に対しての警戒は怠らない。それじゃあ、また明日」

「ありがとうございます……?」


 他の強力な修仙者にバレないように、汪澄ワンチェンが秘魔の紗を強化してくれたのだ。彼が宵珉シャオミンを受け入れる理由が分からないが、なんとかしのぐことができた。


「師兄、ありがとうございます」

「先程はちゃんとしたお礼もいえずにすみませんでした」

「いいや。私の方こそ勝手に君のことを話してしまってすまない」

「いえ!」

「師尊は無闇矢鱈に人の秘密を話したりしない方だ。ああ言ってくれた以上、しばらくは君を悪いようにすることはないだろう」

「師兄、本当にありがとうございます!」


 ここに来てからというものの、苓舜レイシュンに助けられてばかりだ。先程もこの人が来てくれたおかげで、汪澄ワンチェンの警戒が緩まったのだ。

 

「昨日、俺の魔力ってかなり漏れてましたか? 皆に分かるくらいに……」

「いや、湖の傍に寄ってやっと違和感を覚える程度だ。弟子たちも、外にいる監視役の者たちも気づかなかったと思う。君の別の姿も私以外には見られていないはずだ」

「そうですか……」


 他にバレていないことに安堵する。

 遠くに居たであろう綺珊チーシャンが気づいたのは、妖魔の繋がりということか。


 それにしても。


「……師兄は俺が隠してたことを知っても、優しく接してくれるんですね……」

「君が何者であれ、私の大事な弟子だ。今後も、それが変わることはない」

「師兄……!! その……明日から、また一緒にご飯を食べてもいいですか?」

「ああ」


 前と同じように優しく頷いてくれる苓舜レイシュンに、宵珉シャオミンはだらしなく頬を緩めた。


◇◇◇


「今日からよろしくね。優秀な弟子が指導してくれたみたいだから、今までの修行とあまり変わらないけれど」


 汪澄(ワンチェン)の隣に、苓舜レイシュンが並んで立つ。今日から汪澄ワンチェンが修行を見てくれるのだ。

 苓舜レイシュンは、彼の補佐として変わらず宵珉シャオミンたちの面倒を見てくれるらしい。リン派には他にもたくさん弟子がいる。師尊も新入りに掛かりっきりではいられないのだ。


(こうみると、やっぱり師尊の方が熟練者だな)


 師ではなく、だれかの弟子としての苓舜レイシュンを見るのは新鮮で、ぼうっと眺めていると、何か言いたげな視線を送られた。


 修行内容は特に変わりはない。瞑想など精神統一をして霊力を蓄え、教書に習って術を習得する。そして、演習場で仙術や剣術の鍛錬をする。

 宵珉シャオミンはさらなるレベルアップを目指し、霊気の吸収に重きを置いている。


 イェン派との交流会を経て、華琉ホァリウはもちろんのこと、他の弟子たちも一段と気合いが入っていた。


 やがて休憩時間になり、宵珉シャオミンは木陰に腰を下ろして一息つく。

 もう慣れたが、修行というものはかなり体力を消費するから、こまめに身体を休ませなければならない。


「陛下ー!」


 木陰で休んでいると、綺珊チーシャンがたたっと駆け寄ってくる。それに対して、宵珉シャオミンは「しいっ」と口元に指を立てる。


綺珊チーシャン、二人きりの時はいいけど、皆の前で陛下って呼ぶなよ」

「あ、気をつけます」


 本当に分かっているのだろうか。

 それに、離れたところから痛い視線を感じる。皆、普段ずっと独りでいる綺珊チーシャンが誰かと話しているのを珍しく思っているのだろう。


 宵珉シャオミンはぽんぽんと隣を叩いて、綺珊チーシャンを座らせる。そして、他の人に聞かれないように、小さな声で問いかける。


「そういえば、綺珊チーシャンはなんの種族なんだ?」

「ううっ、まるで陛下が記憶喪失になられたみたいで辛い……」

「いいから」

「つれないですね〜僕は煙龍ですよ」

「え、煙龍!?」


 宵珉シャオミンは驚いて立ち上がる。


(煙龍って言ったら、高ランクの中でもトップクラスの種族じゃねーか!)


 妖魔にはそれぞれ種族があり、煙龍はその中でも特に優れた妖魔だ。大昔、龍は信仰の対象として仙界でも敬われていたが、龍の中の煙龍族は魔に堕ち、妖魔となったと言われている。ちなみにとても強い。


(まさか、この少年が煙龍だったなんて……一体何年生きているのやら)


「なら綺珊チーシャン餐喰散サンハンザンを知ってるか?」

「ええ、もちろんです。あの忌々しい犬野郎ですね」

「忌々しい?」

「あの図太い犬はずっと陛下に楯突いているので、陛下も嫌っておいででしたよ。でもまあ、あれでも黑熾ヘイチー山の長ですから、心優しい陛下は見逃してやってたんです」


 やはり仲が悪いのか。この綺珊チーシャンと同じように、自分が器であることを明かして懐柔させようという案が浮かんだのだが、それは無理なようだ。


(というか、あの巨躯を犬呼ばわりって!)


 宵珉シャオミンは思わず苦笑を零す。

 餐喰散サンハンザンは獰猛な狼の妖魔だ。とてもそこらの犬と同等に扱える者ではない。


「今の俺が餐喰散サンハンザンを倒せると思う?」

「純粋な霊力のみを用いるのであれば、正直いって厳しいです。気に入らないですが、あの犬も一応高ランクですし、特定の術でしかトドメを刺せないという厄介な面もありますから」

「なるほど」


 秘術なしでも餐喰散サンハンザンを倒せるようになったんじゃないかと考えていたが、やはりそう上手くはいかないらしい。


「でも、この前のように魔力さえ解放すれば陛下なら術がなくても倒せますよ! やっとあの牛を片付ける決心が着いたんですね〜! 僕としても嬉しい限りです」

「いや、魔力は解放しないけど」

「ええっ、どうしてですか!」

「あー、また倒れたりしたら大変だから」


 昨日のように魔力を解放するのは、精神も妖魔王に侵食されるリスクがあるから、なるべくしたくはない。


綺珊チーシャンには悪いけど、この先一生妖魔王の意識を復活させる気なんかないぞ……)


 洞天仙会まであと数ヶ月。それまで大きなイベントはないため、今後はひたすら修行に励むことになる。

 苓舜レイシュンに秘術を教えてもらうことさえできたら、奈落イベントを迎えても餐喰散サンハンザンを倒して死亡回避することができるはずだ。


(もう少し実力をつけたら、それとなく苓舜レイシュンに聞いてみよう)


 宵珉シャオミンは近づいてくる洞天仙会に向けて気合を入れるのだった。

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