二十一、臣下

 拱手して頭を傾ける綺珊チーシャンに、宵珉シャオミンは困惑の眼差しを送る。


 綺珊チーシャンと話したのは、数週間前の演習きり。座学や修行で顔を合わせてはいたものの、会話らしい会話はしていなかった。

 そのため、綺珊チーシャンに恭しく振る舞われる理由が分からない。


「えっと……綺珊チーシャン? どうしたんだ?」


 宵珉シャオミンが首を傾げると、綺珊チーシャンは寝台のすぐ側まで寄ってきて、そこに跪く。


「陛下、やっとお会いできました……!」

「へ、へへへ陛下ぁ!?!?」


 とんでもない呼称で呼ばれ、宵珉シャオミンは驚いて寝台から滑り落ちそうになる。

 

(こ、こいつ、いきなりなんなんだ!? まるで異世界の王様に転生した主人公みたいなシチュエーションじゃないか!)


 唖然と綺珊チーシャンを見下ろす宵珉シャオミンに対して、綺珊チーシャンは饒舌に言葉を紡いでいく。


「転生したら仙郷に潜入するとは言っておられましたが、まさか、同じリン派にいたなんて思いませんでしたよ〜。数時間前、陛下の魔力を感知した時は本当にびっくりしました」

「えと……綺珊チーシャン、あの」

「僕が潜入していると分かっていながら他人のように過ごされるなんて悲しいです……」


 綺珊チーシャンは大袈裟にぐすぐすと手巾を取り出して涙を拭う素振りを見せる。


(もう、全然聞く耳を持たないし、陛下って一体なんなんだ……)


 宵珉シャオミンは喋り倒す綺珊チーシャンに呆れた視線を向ける。


「ああでも、陛下と見抜けなかったなんて……なんと、情けない臣下でしょう! しんでしまいたい……!」

綺珊チーシャンちょっと待て! 俺は陛下じゃない! 宵珉シャオミンだ!」

「えっ?」


 宵珉シャオミンが一際大きな声で割り込むと、綺珊チーシャンはおかしげにぱちぱちと瞬きをする。

 綺珊チーシャンって、こんなキャラだっただろうか。原作には登場しないキャラなので、彼のことはよく知らないのだが、もっと静かな人だと思っていた。


「あれ、おかしいですね……。陛下の自我が戻っていない……? 器には陛下の意識ごと引き継がれるはずだったのですが」

「な、なあ……その陛下って妖魔王のことか?」

「もちろんですとも! 貴方様以外に僕が"陛下"とお呼びする者はいません!」

「やっぱり!?」


 嫌な予感が当たり、宵珉シャオミンは驚嘆と共にがっくりと肩を落とす。


リン派に妖魔界の間者がいるなんて、この世界は本当にどうなってんだ……!)


 とんでもない状況に宵珉シャオミンは頭を抱える。綺珊チーシャンの言動から推測するに、妖魔王の臣下だ。そして、先程の魔力の放出によって、宵珉シャオミンが妖魔王の器だということがバレたのだろう。


 原作で妖魔王は仙界を征服するために、彼の重鎮を何人か仙門に潜入させていた。リン派の予定はなかったのだが、どうやらこの世界ではこの綺珊チーシャンも潜入者らしい。

 この少年──実年齢はおそらく三桁──も宵珉シャオミンと同じく、秘魔の紗で魔力を上手く隠しているのだろう。


「あー綺珊チーシャン……こうなった以上器だってのは隠さないけど、俺はまだ妖魔王として復活してない。さっきのは少し魔力が漏れちゃっただけだ!」

「そうだったのですね。陛下は時が経てばとおっしゃってましたけど、いつ頃完成するのでしょうか……。ともあれ、あなたが陛下であられることには変わりありません!」


 ノリが変わらない綺珊チーシャンに、宵珉シャオミンは頭が痛くなる。

 妖魔王の配下には盲目な信者が多いという設定にしてあったが、どうやら綺珊チーシャンもその一人らしい。


「それで、いつ仙界を侵略しますか? まずはリン派から滅ぼしますか?」

「ダメ! 綺珊チーシャン、絶対にリン派を滅ぼそうなんて考えるんじゃないぞ!」

「ええ……? ですが陛下は仙界を内部から壊滅するために、今回の転生を上手く使おうと……」

綺珊チーシャン、ダメなもんはダメ!」


 恐ろしい提案に、宵珉シャオミンは必死に首を横に振る。しかし、綺珊チーシャンは訝しげな表情で「ですけど……」と眉をひそめている。


(ええい、こうなったら……!)


「その……レイ師兄が好きなんだ! だから、リン派は滅ぼさない!」


 宵珉シャオミンは意を決して、告白する。正直にいえば、これは本心だ。

 臣下は妖魔王の幸福を願うはず。こう言えば、リン派を滅ぼそうとはしないはず。


 宵珉シャオミンの言葉を受けた綺珊チーシャンは瞠目する。


「なんと……! それでは今すぐにでも手篭めにして、妾にでも置けばいいのでは?」

「いやいやいや、苓舜レイシュンリン派の一番弟子だぞ!? 第一そんなことは望んでいないし……」

「では、苓舜レイシュンの記憶を改ざんして妖魔界に攫えば」

「それも望んでない!」


 話が変な方向へ向かっている気がして、宵珉シャオミンは「こほん」と咳払いをする。


「第一、俺はまだ器としての身体ができてない。だから……仙界の征服は保留だ。他の誰にも俺のことを教えてはならない。もちろん他の上層部にも!」

「はぁ……陛下がそうおっしゃるならば、しばらくの間は僕の胸の内に留めておきます」

「ならいい。それと……できるだけ妖魔が人を襲わないように妖魔界を律してくれないか」

「ええっ、あれだけ妖魔は自由にさせていいとおっしゃられていたのに!?」


 ああ、やっぱり妖魔王はクズだ……。原作の妖魔王は傲慢で横柄。妖魔界以外は見下していた。

 しかし、俺が妖魔王の器となってしまった以上、身の振りは我が身に返ってくる。もはや征服する気はサラサラなく、むしろ妖魔界を平和に改革すべきだろう。


(仙郷にいながら、妖魔界のことも考えないといけないなんて! まあ、ここで綺珊チーシャンが名乗り出てくれて助かったな……)


 宵珉シャオミンが「頼む」と念押しすると、綺珊チーシャンは困惑したまま渋々といった様子で、「信号で上層部に伝えておきます」と了承した。


「陛下、華琉ホァリウの気配が近づいてきております」

「え、華琉ホァリウが?」

「ええ。陛下は隠密行動を望まれておられるようなので、僕はここで失礼します。なにかありましたらお呼びください。すぐに駆けつけますので!」


 綺珊チーシャンは「失礼します」と言って窓から外へ飛び出ていく。ご丁寧に窓は閉めてくれた。

 その颯爽とした動きに宵珉シャオミンはついていけず、ぽかんと窓を眺める。


(なんか、思ってたやつと違ったな……)


 宵珉シャオミンがぼうっと考えていると、一分も立たずに華琉ホァリウが部屋にやってきた。その後ろにはモン兄弟もいる。


(前世ではぼっちだったのに、今はこんなに見舞ってくれる友達がいるなんて……!)


 心の中で感激の涙を流していると、真に迫ったような華琉ホァリウ宵珉シャオミンの傍に駆け寄ってくる。


宵珉シャオミン、大丈夫か!?」

華琉ホァリウ!」


 元気に名前を呼び返すと、華琉ホァリウはほっとした様子を見せる。


宵珉シャオミン、身体はもう平気なのか?」

「うん、霊力の消耗と戦闘の衝撃で倒れたみたいな感じだから怪我とかはない」

「ふーん……急いで来て損した」

「へえ、心配してくれてたんだな」


 素っ気なくため息を吐く華琉ホァリウに、宵珉シャオミンはニヤけた顔を見せる。


「そういや、俺は途中までしか知らないけど、今回も晏崔ユェンツェイがトップなんだってな」

「ふん、今回はあいつに譲ってやったんだ」

「ほーん」


 わざと晏崔ユェンツェイの話題を出すと、華琉ホァリウは神妙な顔をする。


(聞かなくても、俺は何があったか知ってるけど)


 華琉ホァリウは素っ気ないように見えてその実、身を呈して守ってくれた晏崔ユェンツェイにときめいているのだ。

 怪我をして倒れた自分の前に立ってボスの攻撃を庇ってくれたその背中、手を差し伸べてくれた時の優しい眼差しに。要するに、華琉ホァリウは初めての恋に葛藤中なのである。


(多分、順調に距離が縮まっていってるはず!)


 ボスとの戦闘を覗き見できなかったのは悲しいが、また追い追い華琉ホァリウに恋バナを仕掛けるとしよう。


 晏崔ユェンツェイたちイェン派の弟子たちは既に帰ってしまったのだろう。

 せっかく話せる機会だったのに……次に会うのはあの洞天仙会だ。(華琉ホァリウ晏崔ユェンツェイの二人には遭遇イベントが残されているのだが。)


「というか、おまえこそ二位だろ。まさか俺が抜かされるなんて」

「まー、たまたま別のボス?に遭遇できただけだけど」

「でも倒せたんだろ? はぁ……俺も強くなんないと」

「よし、一緒に仙人目指して頑張ろーな!」

「このお気楽め」


 華琉ホァリウに向かってガッツポーズを作っていると、今度は梦晻モンアンが声をかけてくれる。


「なんでも高ランクの妖魔に襲われたって聞いたが、思っていたよりも元気そうだな」

「そー! 倒れたのが嘘みたいにもう元気!」

「それならよかった」


 穏やかに頷く梦晻モンアンの背後から、梦陽モンヤンがひょこっと顔を出す。

 

「あの宵珉シャオミンが二位になるなんて、信じられねぇ」

「褒めてもいいんだぞ〜」

「ハッ、調子に乗ってられるのも今のうちだぜ」


 梦陽モンヤンはいつものように角立った物言いをするが、そこには親密さも感じられる。このひと月でかなり打ち解けることができたのだ。


「病人とはいえ、師兄を部屋から追い出すなんて大したもんだな」

「うっ……」


 冗談めかして言う華琉ホァリウに、宵珉シャオミンは気が重くなっていく。

 苓舜レイシュンには突拍子もないことを告げてしまったし、部屋から追い出してしまうし……。そういえば、ちゃんとお礼も言えていなかった。


(明日、朝一で謝りに行こう……)


◇◇◇


 同時刻。苓舜レイシュンは書斎の座椅子に座り、心を落ち着かせるように太い息を吐いた。


「妖魔王、か」


 もう百年以上"仙人様"と呼び心の中で慕ってきた人が、仙界と相反する妖魔界の王だったとは。

 それは苓舜レイシュンにとってはとても信じられない話だ。宵珉シャオミンの話が本当なのか分からない。

 しかし、嘘とも思えない。今なら分かる、仙人様の凄まじい実力。彼が妖魔王ならば納得できる話だ。宵珉シャオミンの急成長の理由も、彼か妖魔王の器であったのならば頷ける。


(それならば、なぜ仙人様は人間界で苓舜私を助けたのだろう……)


 今の妖魔界は荒れ果て、人を襲う妖魔たちで溢れかえっている。それは妖魔王が統制せずに、妖魔たちをのさばらせているからだと言われている。しかし、記憶を手繰り寄せても、仙人様は恐ろしい方ではなく、優しく美しい方だった。まだ混乱が治まらない。


 今、裏切られたという気持ちはない。到底他の人には言えない真実を話してくれたのだから。


 宵珉シャオミンは自分のことを妖魔王の転生体である器だと言っていたが、前世の人格が蘇っていないようだった。

 しかし、鍾乳洞の中で会った、仙人様──妖魔王の姿の宵珉シャオミンはあの方と同じ雰囲気を纏っていた。

 今や、宵珉シャオミンと妖魔王は同一人物なのだろう。彼には二つの人格があるのだ。


「一体どうしたものか……」


 この東西南北の仙郷間で定められた暗黙のルールには「魔力を持ち得るものを門下に入れてはならない」というものがある。

 しかし、苓舜レイシュンの中で宵珉シャオミンの存在は"ただの弟子"には収まりきらない。一緒に過ごしていく中で引力に導かれるようにして彼に惹かれていき、苓舜レイシュンにとってはとても深く大切な存在になった。


「クソッ、私には無理だ……」


 それに、人格は別にしろ彼こそが初恋の人だと知った今、どうして手放すことができよう。たとえ、彼が悪名高い妖魔王だとしても、苓舜レイシュンには彼をどうすることもできない。

 むしろ、やっと再会できたのだから彼に恩を返したい、まだ彼と共に過ごしていたいという気持ちばかり溢れてくる。


「……もうじき、師尊が帰ってくる」


 ワン師尊はすごい方だ。彼が宵珉シャオミンと対面すれば、いずれその正体にも気がつくだろう。


「そうなれば……いやしかし、師尊ならば……」


 師尊は真面目な一方、普通の修仙者とは違う感性を持っている。もしかしたら、宵珉シャオミンを捕らえたり、追放したりしない可能性もある。


(いっそ、このことが反妖魔派の仙門に知られる前に、師尊には話しておくべきかもしれないな……)


 この日、苓舜レイシュン宵珉シャオミンに対して、不安と期待、そして静かに燃える喜びを抱くのだった──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る